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親近感・仲間意識・共闘も進化の産物

割引あり

農場で飼われているニワトリが鷹に襲われたとき、仲間のニワトリが駆け付けただけでなく、ヤギも加勢してタカを追い払ったそうです。動画の投稿は2021年。

我が家の4匹の猫のうち、メス猫2匹は仲が悪く、古参のメス猫は機嫌が悪いと新参のメス猫を追いかけて叩いたりします。かといって顔を合わせれば喧嘩をするという状態でもなく、猫同士の鼻を合わせて挨拶しあうことこそしないものの基本的に平和に過ごしています。そんな猫同士の関係ですが、野良猫が窓の外に来たりすると、一気に仲間として団結します。みんなで野良猫を威嚇するのです。

森の猟人ピグミー』には、集団から離れて生きる変人の話が出てきます。平和なときには特段の不利益を被ることもなく暮らすことができるのですが、集団に病気が流行するなどの問題が発生し、深刻化したりすると状況は変わります。呪術師から、この問題の原因はその変人にあると宣言されて、罪を負わされるという不利益を被ることになります。


私は、人とはどのような存在なのか?人はどう生きるべきかを考えるうちに、私たちの肉体や感情、記憶の仕組みなどすべては進化の産物であると考えるようになりました。また、人の本質は生物であり、異性を好きになったり、生き残るために利己性を少し強めに持つことは、生物であるから当然のことと考えるようになりました。

さて、上記3つの事例についてです。

魚の群れなどは、単独行動をする個体が集まる習性をもつだけのことであり、群れの他の個体に対して仲間意識を持たないでしょう。これに対して、猫やヤギ、ニワトリ、人などは、ある程度メンバーの固定された群れや、普段顔を合わせる相手が概ね決まっている環境で暮らしているでしょう。

普段出会う個体を識別して、その相手は敵対的でないことの多い相手であると認め、危険を知らせあったり、団結して敵に対応したりすれば、生存のうえで有利であるでしょう。そのため、いつもの相手を仲間として認識し、しばしば協力し合うような認知が進化の過程で生まれたのだろうと私は考えます。

この認知においては、いつもの相手が、同種であるか異種であるかはあまり重要ではないため、最初の記事にあるような、ヤギがニワトリに加勢するという現象が生じるのでしょう。

生物というのは、この例で同種であるかどうかを問わないことが示すように、ある程度あやふやな判定基準で行動していると思います。だから同性を好きになってみたり、自分の子どもに対するような感覚でペットに接したり、野生動物が人に助けを求めたりするようなできごとが起きるのだと思います。

話を戻しましょう。

私たちは、よく接する相手で、あからさまに敵対してくるような相手ではない相手に対して、仲間意識を持ち、親近感を抱くような性質を進化の過程で身に着けてきたようです。この性質があるためメディアに頻繁に登場することにより支持を得ることができたりするのでしょう。また、自分が属する集団とある程度良好な関係性を維持することは、実際に重要であったりするのでしょう。

今回は深入りは避けますが、この性質は、メディアの発達によってかなり利用されているのではないかと思います。

とにもかくにも私たちは頭で考える自分よりも肉体としての自分が主である存在であり、その肉体は感情や記憶の仕組みなども含めて、すべて進化の産物であると踏まえることが重要だと私は考えます。

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