南アフリカ_

僕がラグビー登山家になるまで 25歳 | データセンター中で見た3.11の話。

2011.3.11というのは誰もが忘れられない日であると思う。

入社2年目。僕は東京の西部の端の地図には記載されていない場所に1人いた。そこは真っ白の無機質な壁に覆われていて窓はなく、外は全く見えない。ドラゴンボールの「精神と時の部屋」のようなイメージと言えばいいだろうか。電磁波がありすぎて己の方向感覚を失う。

サーバーからの熱を冷却するために大量のファンが設置されており、床が小刻みに揺れている。部屋は寒く、何枚も重ね着をして僕はデーターセンター(以下、DC)の室内にいた。ここは僕にとって最も苦手な場所である。

この日はサーバーを搬入するために立会いに来ていた。僕は基盤系のチームの中で一番若く、現場作業を主に担当していた。ここでの夜の作業も多く、搬入された梱包材や段ボールでベッドを作り、仮眠を取る事もあった。人間のための部屋ではなく、機器用の部屋づくりになっていることから、居心地は非常に悪い。

予定よりも早めに到着し、部屋に1人篭り、ここでしかできない作業をやろうと思っていた次の瞬間。

不気味なファンの音しかしないこの部屋でサーバーラックがガタガタと音を立てて揺れ出した。次第に中にはいっている機器が今にも飛び出してきそうになり、ラックのドアにガシャガシャぶつかる音でこの部屋はコダマしていた。

DCというのはおそらく世間一般的なビルよりも耐震性は強く設計されている。数あるDCの中でも日本で一番強固であると思えるこのDCでこんなにも揺れているのであれば、地上ではどのような状況なのか?それこそ爆弾がここら近辺に落とされたのではないかと当初は思っていた。

周りには人っ子ひとりもいなく、非現実的な状況のため、しばらくボッーとしていた。それからしばらく経って、電話をしようとしたが誰も繋がらない。

とりあえず機器のLEDランプがちゃんと付いているかどうか確認し、僕は一旦外を出た。隣接するDCの中から、人がウニョウニョ出て来ており、そこで初めて地震が起こったとの事を理解した。

当初の搬入の到着予定時間であったため、もう一度部屋に戻ったが、一向に来ない。担当者と連絡も繋がらない。

この日は夜の23時から今度は東京の東部で夜間の作業がある。取引が終わってからしかシステムを触れないからだ。僕は50kmを移動しなければならなかった。しかし、電車も止まっており、タクシーも捕まらなければ、移動手段は自ずと決まってくる。僕は近くのホームセンターに向かった。

この時、僕と同じ考えをしていた方が多く、自転車の売り場は長蛇の列であった。1番安い自転車を購入しようと思っていたが、既に売り切れであり、そこそこ高い自転車を自腹を切って買った。

その頃の僕はスマホではなく、ガラケーであったため、手元には地図はなく、自分の方向感覚で目的地に行かなければならなかった。ぐるぐるとまわり道をしながらも、新宿までの看板を見つけた。

道は甲府街道につながり、20号線を突き進んだ。明大前あたりから異様な光景が続いていた。いつもは自動車がガンガン走っている道ではあるが、その日はホコ天になっており、ゴジラの映画のワンシーンのように皆、恐怖の表情を浮かべていた。

みんなは帰宅しているのに、なぜ自分は逆走して職場に向かわなければならないのか?そんな思いを胸にしながら、ペダルをずっと漕いでいた。

笹塚あたりで僕は何も食べていない事に気付き、中華料理屋に入って初めてテレビでその被害を知った。言葉にできなかった。

ただ、この時も先輩や上司には連絡を取れず、公衆電話でもそうだったので僕は戻るしか選択肢がなかった。途中道に迷い、東京スカイツリーの目の前にいたが、ツリーは折れてなく、この時だけフト安心したのを覚えている。

4時間ほどかかったが、なんとか30分前に作業場に戻った。上司が僕の姿を見て早々に「なぜ来たのか!?」と予想を超えた一言を発した。

DCには緊急時のホットラインが必ずあるから、それで電話すれば良かったのにと伝えられたが、そんな事、あの場では考えつかないよと思いながら「はい」と答えるしかなかった。

新規サーバーの構築作業は当初の予定通り、実施された。

非常時のため、作業の隣でテレビを付けていたが、余震が徐々に南下しており、いずれ東京にデカイ地震がくるのではないかと思いに駆り立てられた。しかし、作業を終了時刻までに終わらせなければならなく、眠い目をこすりながら、ミスが許されない作業は続いた。

相変わらず、テレビや携帯からの地震速報の桁靈アラームは鳴りやまなかった。お客さんからの今日の作業についての連絡はなく、そのため、続けるしかなかった。正直に言えば、その日ではなく、別の日でもよかったものではあるが、僕たちの仕事とはこんなものだと上司は隣で嘆きながら呟いていた。

3.12の朝の6時頃、作業が終わり、やっと帰宅しようと思っていたところ、その日のお昼にまた、あのDCに行ってくれとの連絡が入った。

電車が再開したかわからなかったが、手元には自転車がある。僕はまた、あの地へを戻らなければならなかった。



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