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勝手に「私と安部公房」

 文芸誌でお馴染みの『新潮』が安部公房の特集を組んでいると知り、早速購入してから早2ヶ月。どうしても冒頭から読まないと気が済まないせいでいつまでも特集に辿り着けなかった私だが、やっとこの間特集部分を読み終わった。そしてこれを書いている、一体何故か。

 「私と安部公房」というテーマで何人かの作家さんが自分と安部公房の出会いを綴っていた。私は異様に悔しかった。私にも安部公房との思い出がたくさんある!!!!!

 というわけで私も「私と安部公房」がやりたくなったので、勝手にやるというわけだ。ちなみに『新潮』に掲載されているような各々の鋭い作品への切り込みとか、そういうのは全くない。ただただ私の思い出を語るだけですので、あしからず。


<前説、終わり。>




勝手に「私と安部公房」


 小学生の頃、社会の授業で「地域に関係のある作家について調べましょう」という課題が出た。先生が予めクラスの人数分に相当する作家を羅列し、そこから各々選んで行くのだが、私はそこに「安部公房」を発見し、即座に安部公房を選んだ。

 パソコンのない時代に何を使ったかは忘れたが、鉛筆で新聞のフォーマットになった提出用の紙に『壁』で芥川賞を受賞したことや、『砂の女』が有名なことを書き記したのを鮮明に覚えている。

 さて、そもそも安部公房は母の持っている数少ない本の一つだった。母はものすごく本を読む人だが、本を所有せず図書館を使うので、家の押し入れにはシャーロックホームズの文庫本(おそらく全巻)と安部公房(2冊)、星新一も数冊あった気がする。それから海外の文学がいくつか。

 その本当に少ない蔵書の中に安部公房があったのである。

 当時の私は、何気なく押し入れを開けて母の本を見ても、難しそうなので読むことはしなかったし、それ以前にさほど読書が好きなタイプでもなかった。それでも「安部公房」という一風変わった名前と、『箱男』に『砂の女』…と言った奇妙なタイトルが印象的だった。

 そんなわけで無事に安部公房を調べ課題を提出した私だが、しばらく安部公房のことは頭から抜けていた。

 時間が過ぎ、私は高校生になった。高校が家から遠くなった私は、通学中の電車で暇なことに気付き、とりあえず本を読むことにした。図書館に行くほど読みたい本のアテがないので、ついに母の本を手にする時が来たのだ。

 ホームズは私には難易度が高そうに見えて(ちなみにホームズの苦手意識はその後も続き、最近やっと全部読めた)、ならばあの『砂の女』か!と文庫本を手にし、私の安部公房への旅が始まった。

 安部公房は、なんだか心配していたよりスルスル読めたのを覚えている。砂まみれの男女、段ボールを被った男…、なんか変な話だけど面白い!

 安部公房はおもしろいぞ!と分かった私は、早速図書館を利用して次々と文庫本で他の作品を読むことにした。

 ところでこの時期、せっかく図書館に行くのだからと他の本も借りていた。読むのがそんなに早くないので量はたかが知れているけれど、とにかく人生で一番読書をしていたと思う。海外文学を手当たり次第読んでいたのも同じ頃。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』、あるいはカフカやヘッセなんかを高校時代にザッと読めたのは本当に良い経験だった。

 さて私は高校卒業を目前に、どうせ受かるわけもないと舐めてかかった大学受験に案の定失敗した。浪人も就職も全く現実的ではなく、親に頼んで専門学校へ進学させてもらうことにした。今思えば本当に浅はかな決断なのだが、実はそのおかげで私と安部公房はさらに密接な関係となる…!


↓ここで一旦、閑話休題。(オマケなので読まなくてもいいです。)

私の小説ミニ感想を載せてみました。ここに載ってない短編も色々読んでいる…はず。戯曲も読んでます。なんでも好きです。まじで。

『終りし道の標べに』 /なんと!一度読んで断念したので、最近読み返している途中。
『壁』 /こんな面白い小説ある?!
『飢餓同盟 』/田舎怖っ!
『R62号の発明』/ちょっと怖いSF。
『けものたちは故郷をめざす』/満州のやつ。あんまり覚えてないのでまた読みたい。
『第四間氷期』/十代で読んだらあんまりよく理解できず、数年後にリベンジしたらほんっっとうに面白かった。SF。
『砂の女』/読んでいると口の中がジャリジャリしてくるのですごい。
『他人の顔』/読むのがしんどかったけど最後の展開が大好き。ある意味スカッと系…?
『無関係な死』/もはやコメディっぽくて好き。
『榎本武揚』/実は!!読みそびれています!!
『燃えつきた地図』/一番好きな作品を挙げるとしたらこれ。都会の虚さ大爆発で大好きです。
『人間そっくり』/ちょっとギャグっぽいのに後からじわじわ怖い。《こんにちは火星人》。
『箱男』/祝・映画化ということで最近読み直したら本当に面白い。箱は孤独。
『密会』/なんかこう耽美漫画ぽい雰囲気もありませんか、こちら。
『方舟さくら丸』/実はあんまり覚えてないのでちゃんと読み返したい。
『カンガルー・ノート』/かいわれ大根!!!!!
『飛ぶ男』/文庫本出ました、買いました、続きが気になってつらい。
『題未定』/文庫本出ました、買いました。楽しみ過ぎて、まだ読んでません。

再開。


 実は中学生の頃から家族のデジタルカメラを借りて空を撮っていた私。高校生になって部活を決める時、すぐ帰れそうという理由が大部分だが、それでもなんとなく写真部を選んだ。実際、写真部はほとんど活動がなく、文化祭で一枚だけ写真を飾った思い出しかない。その一方で、部活とは別に美術の授業で暗室を使う機会があった。これが今思うと写真に対する興味の一番のきっかけだったかもしれない。

 まあそういうわけで私は(なんとなく)写真の専門学校に進学したのだった。

 でも入学してすぐに気づいた。写真と私は親睦性が低かった。上手く言い表せないけれど、写真はめちゃくちゃ「理系」なジャンルであることが分かったからだ。カメラ・シャッタースピード・F値・画素にサイズ。暗室に行けば薬品の割合・露光時間…などなど、まさにそこはめくるめく数字の世界!私は数字が苦手で、数学なんか数Ⅰしか勉強していない。勘弁してくれ。

 加えて、スタジオでのライティング、モデル撮影(嫌過ぎてサボった)…特に人物撮影など、コミュ力のない私には到底やっていけない世界であった。これを仕事にしようだなんてまあ、無理だ。

 そうして入学して半年も経つと完全に心が折れてしまった私だが、とりあえず授業には出ていた。(モデル撮影と、とある必修授業だけは別だが。←単位を落としそうになって蒼白したが、なんとか挽回した。)

 それでも日々鬱屈してどうしようもなかったので、ある日私は「写真史」の授業のあと、勇気を出して講師の先生に声をかけた。具体的に何を言ったかは覚えていないけど、「写真を撮るのが向いてない、どうしたらいいか」みたいな感じだ。

 何故その先生にターゲットを絞ったかというと、先生は写真評論の分野で執筆活動をしている人だったからだ。そう、私は写真を捨て、「文章」でなんとかやっていけないかと思ったのである。

 ちなみに私はそれまで文章を評価されたことなど全くなく、高校時代には誰に見せるでもなく、趣味で詩を書いたりオリジナル小説の冒頭だけ書いてすぐ飽きたりなどはしていた。だが本当にそれだけ。でもそれだけのことにでも縋るしかなかった。

 ところで先生は非常に親身になってくれた。本の感想文を書く課題をくれたり、次年度の先生のゼミにも誘ってくれた。しかもそのゼミは論文で卒業することが可能だと言うではないか!

 もちろん、翌年私はそのゼミに入った。そして前期課題に向けての制作が始まった。制作、と言っても私は論文である。自分で題材を探すことになり、私はふと思った。「安部公房って…、写真撮ってるよな?」と。そうして『箱男』を再読し、『箱男』と写真にまつわる論文を書くことにした。

 先生も関連資料などを色々教えてくれて、それまであまり読んでいなかったエッセイも漁った。自分の大好きな安部公房が写真を通してグングン迫ってくる(?)感じが物凄く楽しかったのを覚えている。

 特に、安部公房が「ゴミを撮るのが好き」みたいな発言をしていたのを見て、当時ゴミのスナップ写真ばっかり撮っていた私は、あまりの感動で泣くかと思った。ゴミの写真に関する安部公房の見解は、今風に言えば「わかりみ」に満ちていた。(とはいえそこは論文には使ってないけど。)

 いつだったかは忘れたけど、「君は安部公房が好き過ぎる」と先生にはちょっと引かれた。

 ついに完成した論文は、「箱男の箱ってカメラっぽくない?てか作者も写真好きだったじゃん!関係あるくね?」みたいなことをただ好き勝手書いたわりには、講評でかなり褒められた。書いた物を褒められるのはあれが初めてだろう。まさに好きこそ物の上手なれ、という感じだ。そしてこの課題に手直ししたものが、無事に卒業論文となった。

 この頃になると別の授業で短編小説を書いていたこともあってか、すっかり「書く方が向いてる」人になっていた。(そのくせ専門学校卒業後もちらほら写真の仕事をし続けているので、なんか自分でも謎だが。)

 あと余談だが、この学校には「安部公房が好き」と宣言していた先生がおり、こちらの先生にも非常にお世話になった。母親以外に安部公房ファンに会うのは初めてだったので、本当に嬉しかった。その節はどうもです。

 専門学校卒業後は、ほぼ訳もなく海外でフラついた。日本に戻り、結局何も手にしていないことに愕然として、小説は無理だし〜と思って脚本を勉強した。そこで戯曲に出会い、何本か書いた。

 でも結局脚本よりは小説が向いてる気がして(そんなんばっか)、その間、家でちまちま短編小説も書いた。気づけば小説の量は100本を超えた。今も非常にスローペースではあるが、小説を書いている。

 時々、自分の小説に「安部公房っぽくね?」を感じることもある。でも、それが必然だったような気さえする。最初は、押し入れにあった母の本。調べ物学習の人。それから、一番好きな作家。そして研究対象を経て、なんと私の一部となって新たな小説が生まれるのだ。

 安部公房なくして、私なし。

 なんだか長くなってしまったけれど、没後100年の今年、こうしてびちゃびちゃに安部公房に浸った私をこの世界に書き記す。ありがとう、そしてこれからもよろしくお願いします。



2024/04/15.


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