されこうべは緑児の夢を見るか?

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」ほど、擦り倒されてるタイトルはないのでは。使いやすいよね。おふざけにも、シリアスにも使いやすい。使い勝手のいいタイトル選手権一位。でもちゃんと読みましたって人に出会ったことはない。みんなタイトルだけ知ってるのか、読んだと公言するのもはばかられるレベルに読んでいて当然の本なのだろうか。ごんぎつね読みました!ってドヤらないもんね。

今日は子育て幽霊について話をしようと思う。子育て幽霊は昔話に近い怪談である。以下、あらすじ。

ある夜、店じまいした飴屋の雨戸をたたく音がするので主人が出てみると、青白い顔をして髪をボサボサに乱した若い女が「飴を下さい」と一文銭を差し出した。主人は怪しんだが、女がいかにも悲しそうな小声で頼むので飴を売った。

翌晩、また女がやってきて「飴を下さい」と一文銭を差し出す。主人はまた飴を売るが、女は「どこに住んでいるのか」という主人の問いには答えず消えた。その翌晩も翌々晩も同じように女は飴を買いに来たが、とうとう7日目の晩に「もうお金がないので、これで飴を売ってほしい」と女物の羽織を差し出した。主人は女を気の毒に思ったので、羽織と引き換えに飴を渡した。

翌日、女が置いていった羽織を店先に干しておくと、通りがかりのお大尽が店に入ってきて「この羽織は先日亡くなった自分の娘の棺桶に入れたものだが、どこで手に入れたのか」と聞くので、主人は女が飴を買いにきたいきさつを話した。お大尽は大いに驚いて娘を葬った墓地へ行くと、新しい土饅頭の中から赤ん坊の泣き声が聞こえた。掘り起こしてみると娘の亡骸が生まれたばかりの赤ん坊を抱いており、娘の手に持たせた三途川渡し代の六文銭は無くなっていて、赤ん坊は主人が売った飴を食べていた。

お大尽は、「娘は墓の中で生まれた子を育てるために幽霊となったのだろう」と「この子はお前のかわりに必ず立派に育てる」と話しかけると、娘の亡骸は頷くように頭をがっくりと落とした。この子供は後に菩提寺に引き取られて高徳の名僧になったという。(Wikipediaより引用)

三途の川の渡し賃を使って赤子の為の飴を買うなんて、母は強し。でもこんなに子どものことを想う母はきっと極楽浄土にいけるので大丈夫。六文銭は賄賂みたいなものだし。

京都に六波羅蜜寺という寺がある。国宝指定されている御本尊より、空也上人像が有名ではないだろうか。口から南無阿弥陀仏の文字を表した六体のお地蔵様が出てる像です。私はこの空也上人像が好きだ。表現がとても漫画的。そんな空也上人像を見に、六波羅蜜寺を訪れた時のことである。近くに「幽霊子育飴」と書かれた看板があった。六波羅蜜寺には何度か訪れているものの、その時初めて気付いた。え!?!?あの飴ですか!?!?と喜び勇んで購入した。どうやら袋の中には固い飴が入っているようだ。絵では幽霊が赤子に与えていたのは水飴だったような……何かが違うぞ……と思いつつ、袋を開ける。

「こんなんあげたら赤子が死ぬぞ!!!!」

一口サイズの飴が沢山入っていた。引き延ばして固まった飴を一口サイズに割ったもののようだ。角が鋭利!とてもじゃないが子どもに与えようとは思えない代物である。大きさも丁度誤嚥が怖い、絶妙な大きさだ。子育て幽霊、母の鏡と思っていたが案外大雑把だな……そして誤嚥もせず、これから栄養とって生き延びた赤子は偉い……と思いながら食べた。シンプルな飴。砂糖の優しい甘さが口に広がる。角は鋭利だけど、味は優しい。これなら赤子も舐めるのか……?何となく腑に落ちないままに飴を舐める。

この記事を書くにあたって、購入した「みなとや」さんのホームページを確認した。当時はやはり水飴だったのだそう。材料はそのままに今は普通の飴として販売をしているそうだ。個人的には当時の飴を食べたかったので、水飴も販売して欲しいところである。


狙っていく心霊スポットも楽しいが、思いがけないオカルトとの出会いもまた一興である。これからも良い出会いがあることを祈る。

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