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ときをうたうもの 第陸話

「ぼくの夢は、世界一強い人になることです。そして世界せいふくをたくらむ悪いやつらをたおして、億万長者になります。おわり」

バカみたいな夢を抱えてんなぁと頬杖を突きながら聞いていた。そして周りと同じように拍手をする。子供の夢は現実的に叶えられるモノだけではない。物体になりたいと考えたり、有名人になりたいと考えたりもする。大人になれば、次第にそんな気持ちは羞恥心へと変わっていってしまうのだろう。ただ漠然と考えていた。
 俺がこんなことをしているのは、昨日隣人に頼まれたからである。なんでも、授業参観に来るために休暇を取っていたが、緊急の仕事が入ってどうしても抜けられそうになくなってしまった。子供には行くと伝えており、喜ぶ姿を見ていたため、行けなくなったと告げて子供を悲しませたくない。どうしようかと悩んでいた時に、子供に好かれていて尚且つ暇そうな人物が思い浮かんだらしい。ソイツには恋人がいて許可を求めたところ、アッサリオッケーをもらったそうだ。

 暇そうで悪かったな。俺はこう見えても仕事は一応している。朝から昼間にシフトに入っているだけだ。色々掛け持ちしているが、過労死しないので問題はない。ただ税金とルカの説教が痛いところである。
 たまたま休日だった今日、たまたま授業参観があった。これは誰かの仕込みではないかと疑いたくなる。

「さて、では親御さんもお子さんの近くに行ってあげてください」

教師の言葉で、教室の後ろにいた親たちが自分の子供の元まで歩み寄る。俺は最後まで後ろに残って、親がいないことに気付いてしょげている子供の元まで向かった。

「よう、良く書けてたんじゃないか」

頭を乱暴に撫でてやると、子供は驚いた表情をしていた。それも一瞬で、嬉しそうな表情へと変わる。

「万古!来てくれたの?」
「嗚呼。お前さんのお母さんが来られなくなったからな。でも安心しろよ、お前の雄姿を伝えといてやる。百倍ぐらいに盛ってな。きっとお母さんも褒めてくれるだろうよ。
それにお前のお母さんは人の命を助けに行ったんだ。俗にいうヒーローだな」

子供はヒーローと言う言葉を繰り返している。何とも子供らしい姿に、もう一度頭を撫でてやる。やめろとかほざいているが、満更でもなさそうだった。


「帰ったら、母さんにほめてもらうんだ!」
「おうおう。いっぱい褒めてもらえよ」

夕日が沈もうとする中、俺と子供は帰っていた。授業参観が終わって、もう数時間が経過していた。これには果てしない事情がある。
 俺は授業参観を終え、そのまま帰るつもりだった。子供を連れまわして、親を心配させる訳にもいかない。さっさと帰ろうと話しかける。

「万古、ご褒美ちょうだい」

意外とその子供は現金な奴だった。ゲームやらお菓子やらご褒美を強請ってきた。俺は母親にそんなことをしてもらった記憶はないし、他所様のこどもにそんなことをしていいのかも分からない。世の中、子供だからとご褒美がもらえるほど甘くないと口にしようとした。

「あのなぁ…」

その先が出てこなかった。子供の頃、言われた言葉が頭の中をよぎる。
”子供は無理に大人になろうとしなくていいんですよ。大人には、いつかなれるんだから。徐々にね"
唯一覚えている母親の優しい声と撫でてくれた柔らかな手の感触。頑張ればご褒美がもらえるなんて子供の間だけだ。だから今は…

「…仕方ないな。今回だけだぞ」

ため息交じりに言った。子供はヤッターと喜んで、謎のダンスを踊っている。流行のダンスらしいが、いまいち流行が分からなかった。舞踊の方が、まだ自分の感覚には合っているようだ。

 というわけで、ゲームセンターに行ってクレープの店に行って…あと何件か寄った結果がこれである。財布も空に近い。給料日はもう過ぎたはずだから、金を下ろしにいかなければ。これでは生活できない。
 遊び耽った末、時計を見て察した。時間帯的にも遅いし、これはこの子供の親とルカのお説教が待っていると。

「今日のことは、二人だけの秘密だぞ」
「どうして?」

首を傾げる子供に、笑って答えた。

「それはな、今日のことを黙っておけば、何も知らないお前のお母さんにもご褒美がもらえるからだ」
「なるほど!万古、頭いい!」

子供はチョロいものである。目の前にご褒美をぶら下げれば、ご褒美めがけて一直線に進む。裏があるとか考えようとしない。このままいけば、俺の無駄遣いもばれることは無い。俺は説教を回避できるし、子供は追加のご褒美がもらえる。両者に徳があるここがポイントだ。この条件で断るヤツはほとんどいない。


 人生、運命の出会いとか一度や二度ある。多分。俺はルカと出会った日に、三度目の出会いをした。そして今回はどうなのだろう。
 子供と並んで歩いていると、反対側から誰かが歩いてきた。足を引きずっているようだ。さらに白く染まった髪に身体中には火傷と痣が見える。どう見ても病院行きの容態。異常に見える姿に、子供は怯え俺の服を掴んだ。無視してもいいのだが、流石に良心が痛んだ。

「救急車呼びましょうか」

細かいことは置いておいて率直に伝えた。危ないヤツだったとしても、見捨てられなかったから。そのヒトは、少し立ち止まりチラリと俺たちを見ると、プイと顔を背けてどこかに行ってしまった。子供が安心したような顔をして、俺の服をそっと離す。そのヒトが通った道は、どこかで嗅いだことのある香りが残っていた。


 その晩。
 子供の家の玄関に入ると、怖いぐらい満面の笑みを浮かべた二人がいた。矢張りというかなんというか、怒られた。子供の母親にも。しかもクソガキは、俺との約束をばらした。生き残るためだ仕方ない…なんて言えるか。初めは俺と子供に向いていた怒りの矛先が、俺一人に向かってきた。子供を誑かすなとか、今週始まったばっかりなのに無駄遣いしてどうするんだとか。そんな子供じみた説教をされた。子供も同意してたから誑かしてなんかいないし、今週始まったばかりで余裕があるから無駄遣いするんだろう。
 しかし、俺が反抗することは無かった。反抗したところで、口答えしないと怒られるだけだ。こういう時は大人しく黙っておくのが正解である。それにしても、怒られると分かった瞬間、掌を返して俺を売ったクソガキだけは許せない。だから仕返しをしてやった。

「コイツは小遣いを使い果たして強請ってきたぞ」
「万古!それは男同士の秘密だって言ってたじゃん!」
「先に破ったのはどっちだよ。この裏切り者め!」

言い合いをしている間にも、子供に母親の怒りの矛先が向いている。わなわなと震え出した母親に、子供はもうすでに涙目である。自業自得だ。俺も子供が先に破らなければ、告発しようとはしなかったのに。自分で墓穴を掘ったな。
 ニヤニヤと笑いながら説教を眺めていると、ルカがため息をついた。

「大人げない」

グサッと刺さる一言であった。

「相手は子供だ。黙ってやっててもいいんじゃないか」
「体は子供でも、精神は立派な男だ。男同士の約束は破ってはいけないんだよ」

ルカは盛大にため息をついた。
 大人に説教をするなんて…情けないなとルカは言って、早々説教は終わった。そしてまだ説教をする母子をしり目に家に帰った。アバよと言ってやると、背中をバシッと叩かれた。


「そういえば冷蔵庫、空だった」

玄関を開けたときに思い出した。昨日冷やし中華をして、残ってた野菜と肉をぶち込んだのだった。弁明しておくとすれば、産官が終わった後に買いに行く予定だったと言っておこう。

「なら、外食に行くか」

財布を片手にルカが言う。ここは男としておごってやらねばなんて思うが、生憎今は財布が空に等しい。どうしてこんなこともあると想定しなかったのかと過去の自分を叱責したくなった。
 行くとしたらどこに行きたいか、悩んだ末近くの商店街に行ってみることにした。商店街には、ラーメン、寿司、焼き肉…メジャーな店があったはずである。あまり行かなくなって久しいため、記憶が曖昧だ。
 適当な話題を話しながら記憶を頼りに歩いていると、人だかりができていた。何の店かと視線を上げると、田中電気製品店と書かれた看板がぶら下がっている。ジジババしかいないようなところにこんなハイテクな店ができているなんて、全く知らなかった。たぶんオープンしてから広告はポストに入っていたが、碌に見もせずに箱に作り替えていたのだろう。
 人の目は一台のテレビに注がれていた。体験で設置されているテレビらしいが、視線はテレビ本体ではなく放送しているニュースに注がれていた。

_○○市○○町で火災が発生し、消防が消火に_

どこかで火災のようだ。映像では消防士たちが懸命に消火しようとしている姿が流れている。周辺で燃えているのは有名人の家らしいとの噂も聞こえてきた。

「ルカ、火事だとさ」

人だかりでテレビ画面が見えないだろうルカに教えてやる。ルカは地面を見つめ俯いていたが、急に顔を上げた。

「万古、ちょっと負ぶってくれ」
「はい?」

急なお願いに戸惑ったが、早くしろとせがまれて身をかがめた。ルカはヒョイと背中に飛び乗って、姿勢を正すように言う。すごい剣幕で言葉を捲し立てていく。
 ルカの言う通り、姿勢を正す。俺にも見えているのだから、きっとルカにも見えているだろう。しばらくルカは何も言わなかった。まるで呼吸を忘れたかのように固まっている。

「ルカ、どうした」

問いかけると、ルカはハッとした表情で我を取り戻したようだった。そして、この近くに駅はあるかと問いただしてきた。この近くに駅はあるが、この時間だと電車が少なくなると教えると、ルカは渋い顔をする。次に、違う駅まで歩けるかと聞かれた。この周辺に駅はもう一つあるが、そっちへ行くには十分ほど歩かないといけないと伝える。ルカが、不便すぎると喧嘩を売ってきた。仕方なかったんだよ、他のところだと家賃が高かったんだ。あの辺りに住み始めたころは、貧乏だった。毎食に困るぐらいには。

「あそこに行きたいのか」

テレビの映像を指差すと、ルカは首を縦に振る。勢いよく振り過ぎて、首がとれるんじゃないかと密かに心配していた。それほど藁にもすがる思いらしい。奥の手を使うしかなさそうだ。この手だけは使いたくなかったのだが、事情があるらしいし仕方ない。胸元から電話を取り出すと、とある奴に電話を掛けた。




暫くすると、商店街の出口に車が止まる。万古は扉を開けると、少し乱暴にルカを押し込んだ。そして続くように自分も乗り込む。

「急に電話がかかってきたから、ビックリしたよ。明日は槍が降るのかね」
「さあな。冗談を言い合っている時間はない。急いでくれ」
「人使いが荒いね。万古君は」

車内には女性と運転手がいた。運転手は白髪の生えた老紳士のような姿をしていて、蛍火家で世話を焼いてくれていた執事に似た雰囲気をルカは感じ取っていた。一方で女性の方は、着物を優雅にこなしタバコを吸っていた。車内がたばこのにおいで満たされる。くさい訳ではないが、においのキツさに咽てしまいそうになる。
 
「おっと、ごめんね。お嬢さん」
「い…いえ。問題ないです」

少し抑えめに咳をすると、万古が背中を優しくさすってくれた。

「その煙草やめろよ。においがキツい」

ズバッと遠慮なく言う万古をルカは諫めるが、万古はお構いなしに迷惑だと言い切った。意外にも女性はそうねとアッサリ煙草の火を消す。そしてそれを見た万古は、換気だと言って窓を開けた。窓から微かに煙のにおいがした。遠く離れているはずなのに、火事を私たちに教えるかのようだった。

「お嬢さん、万古君のこれね」

突然そう言って女性は、小指を立てた。ルカがどうしてわかったのかと尋ねると、万古が珍しく他人のことを気にかけているからだという。いまいち理解できなかった。万古は誰に対しても何かと世話焼きな気がする。雨にぬれても洗濯物を取りに行ってあげたり、銀行強盗から守ってあげたり。

「君にはそんな風に見えているんだね。個人的な意見だけど、万古君はそんな人間じゃないと思うな。彼はあくまで、自分に関係することだからしているだけ。
彼はもとより、人間は好きじゃないしね」

ねと女性は本人に話を振る。ルカもつられて万古を見た。

「好きか嫌いかと言えば、好きじゃないだけだ。本人の前で言わないでくれよ、傷つくだろ」
「まあこんな感じの人間だしね。好きな人の前では格好をつけたいのかも」

話が完全に女性に主導権が握られてしまっている。私はそうですかと返すしかできない。

「それで、大火事になっている場所_蛍火邸_に行くのよね」
「はい」
「どうして?どうしてそこに行きたいの」

女性の口調は優しい。しかし、どこか問いただすような威圧を感じる。万古は何も言わず、私を見ていた。

「火事現場は危険だよ。どうして行きたいの?名家のお嬢様には火事現場よりもお花畑の方が似合ってるよ」

どうして行きたいのか。危険があるのは承知の上で、それでも行きたい理由がある。それはきっとあの場所は思い出があるから。蛍火邸には家族で過ごした温かい記憶がある。それにまだ間に合うかもしれないから。最近昔の夢を見たからだろうか。そう思ってしまう。

「家だからです。家に帰って何が悪いんですか」

私の答えに女性が、肩を震わせた。何かまずいことを答えただろうかと心配になってくる。

「おい、もう十分だろ」

万古がため息交じりに言うと、女性は堪えきれなくなったと腹を抱えて笑い出した。ゲラゲラと上品さの欠片もない笑い声が車内に響く。運転手がゴホンっと咳をすると、そうねと言って笑いすぎで溢れた涙を拭いた。一体どういうことなのだろう。

「もういいよ。なるほど、万古君が気に入る訳だ。彼女のそういうところにに惚れたんだね」
「…どうでもいいだろ」

万古が不貞腐れたように返事をして、女性がからかっている。本当にどういう状況なのだろう。聞いても、忘れろとはぐらかされるばかりだった。
 女性のことを簡単に説明すると、女性は万古の戸籍上の親にあたる人らしい。多少の無茶をしても、顔が利く彼女が帳消しにしてくれていたそうだ。つまり、私からすると頭が上がらない姑という訳だ。



「それで本当にいいんだね。向かっても。到着してからやっぱり帰りますは無理だよ」
「分かってます」

何度聞かれても、私の答えは変わらない。女性_もとい桃華さんは、ため息をつきながらも私を現場付近まで送ってくれた。

「車で近寄れるのはここ迄みたいだよ。ここからは自分の足で行きなさい」

私は首を縦に振って歩き出した。
 現場に近づこうと進むたびに、人の波に流されそうになる。焦げ臭いにおいと人波で酔ってしまいそうだ。野次馬たちに負けじと押し進む。この先に家がある。逃げろと叫ぶ人の声がするが、知ったことか。
 人に押されて、現場とは反対方向に流されてしまいそうになったとき、私の手が強く引かれた。

「しっかりしろ」

万古が私の手を握った。そしてぐいぐいと人を縫って、前へと進んでいく。万古の手が温かい。目線を上げると、万古の姿と燃える実家の姿が見える。早くいかねば。そう思い、足に力を込めた。
 最前線までくると、消防車と救急車が止まっていた。何人か救助されており、その中には執事がいた。頭から血を流している。血を見た瞬間、止める手を無視して私は執事のもとに駆け付けた。

「執事!大丈夫か」

声をかけるが、反応はない。頭が真っ白になりそうだ。

「おい!聞いているのか!」

叫ぶと何度も揺さぶりかけると、瞼がピクリと動いた。良かったと安堵した瞬間、私は消防隊員に引き離された。邪魔だということらしい。こんな子供何の役にも立たない。いられても邪魔だろう。分かっているが、大切な人が心配なのだ。私は執事から引き離そうとする手を振り払い、執事を抱き寄せる。

「ルカ様…」

執事が私の名前を呼んだ。私は返事をして、大丈夫かと声をかける。すると執事が唇を震わせて何か言っているのが分かった。この距離では聞き取れない。次の言葉を聞き逃さないように耳を傾ける。

「あの中…様が」

私は耳を疑った。正直声が小さすぎて、正確に聞き取れたか分からない。私は”あの中に櫻永様が”と聞こえた気がする。あの中というのは燃え盛る蛍火邸のことだとするのなら、その通りなら…私は邸に目をやる。ごうごうと炎に包まれて、中にいる人は無事じゃすまないだろう。己のつばを飲み込む音が、鮮明に聞こえた。

「嫌あああああああ」

そんな叫び声が上がった。視線をやると、女給の一人があげた悲鳴だったようである。その女給は救助されて運ばれてきた女給のもとに駆け寄り、赤子のようにぐずっていた。

「目を開けてよ。こんな冗談やめてってば、お姉ちゃん」

顔を覆い、涙をこぼしている。救助された方が姉で、泣いている女給は妹だなのだろう。女給の姉は妹が泣いていても知らんぷりだった。
 わずかに開いた口から空気を取り込む。必死に息をしようと吸い込むが、うまく吸えない。吸っても吸っても足りない。
 見捨てて逃げれば正解なのか。そうすれば今ここにいる人たちは助かる。次期当主命令だとでもいえば…しかし、そんな都合のいい時だけ、傘を着るのか。それか、助けに行く?命はひとつしかないのに?なによりも私を嘲り笑ってきたヤツらだ。助けなくてもいいだろう。罰が当たったのだ。
だから、死んでも仕方ない…?


 パチンといい音が鳴る。気持ちいいほどはっきりと聞こえた。その後に徐々に私の頬が痛みを持つ。そこで叩かれたのだと分かった。

「さっきも言ったが、しっかりしろ!今優先するのはなんだ!」

万古の声がする。万古は、私の顎を掴み自分の顔に近づけた。息もかかるほどに近く。綺麗な目と目が合って、それで…コロンと私の中で何かの突っかかりが取れた。
 私は立ち上がる。そして、近くで懸命にバケツリレーをしていた住民たちからバケツを奪った。そのままバケツの水を自分にぶっかける。ちょうど目が覚めるようなものが欲しかった。突然消火活動の妨害をする女を住民たちは怒鳴りつけた。

「後で聞くから、黙ってろ」

私はそうはっきりと告げて、燃える邸の中に飛び込んだ。


廊下に火の手が回るのも時間の問題である。木造建築の悪いところが出た。崩れる恐れがあるから、早く櫻永を見つけなければ。見慣れた屋敷の中を、速足で歩く。

「櫻永!どこだ!」

絶対に父さんなんて呼んでやらない。呼ばなければ死ぬとしても嫌である。執事から櫻永の居場所を聞き忘れたことが悔やまれた。これでは一部屋一部屋探していくしかない。バカでかい邸に部屋がいくつあると思っているのだろうか。一部屋探している間にも、火は着々と邸を燃やしているというのに。
 煙が蔓延してきて、私が歩いてきた道はもうすでに天井が崩れてきてつぶれてしまった。私は先に進むしかない。
 お前の恨みはそんなものかと言われればもっと深いと答えるだろう。この人生彼ら蛍火家のものたちに縛られてきた。自分のありとあらゆるものが、彼らによって構成された。好みも考え方もすべて。私も必死に生きていた。捨てられたくないから。
 きっと蛍火家に生を受けなかったら、別の場所で生まれていたら、全く違う人生を歩んでいた。そんな自信がある。しかし…もし今から人生を変えてやると悪魔か何かに囁かれたとしても、私は受け入れない。この人生で嫌いな奴らと会えたし、友達も、大切な人もできた。この人生にしか存在しない縁。なんだって取り替えられない。だから…

「櫻永!」

勢いよく御当主様の部屋を開けると、床に倒れる櫻永がいた。辺りには血をまき散らしている。急いで駆け寄り櫻永の体を起こすと、傷を確認した。腹に一発。それに肩にも受けている。弾は運よく体を貫いているようだ。運が良ければ助かるかもしれない。櫻永の肩を担ぎ立ち上がろうとするが、うまく立ち上がれずよろける。

「…よしなさい」

耳元で櫻永の声がした。首を動かすと、額に大粒の汗をかき口から血を垂らす櫻永と目が合う。嫌いだった声。だというのに、今は嫌悪感は感じなかった。
 私は、櫻永の言葉を無視して歩き出そうとする。一歩踏み出すたびに、足元に赤い花が咲く。

「よしなさい…ルカ。この傷ではどうせ長く持たない」
「嫌だ」

諦めた様な言葉を吐く櫻永の言葉をぶった切るように言い放ち、私はまた一歩と燃え盛る屋敷から脱出しようとする。

「ルカ、私を恨んでいるのではないのですか?」

私は一瞬だけ足を止めた。恨んでないなんてきれいごとは言えない。心の底から蛍火櫻永という人間のことは嫌いだ。

「うん、その通りだ。でも恨んでいるのは、当主としての貴方だ。私の記憶の中にある父親としての貴方は嫌いじゃない」

櫻永は乾いた笑いを漏らし、そうですかと答えた。
 その後は、二人とも無言だった。しかし居心地が悪そうな沈黙ではない。むしろ心地よい沈黙であった。ふと櫻永が言った。

「ルカ…今まですみませんでした」

突然の謝罪にルカはだんまりを決め込んだ。櫻永は対して気にするそぶりはなく、続ける。

「ルカの幸せを願っているフリをしながら、私はかつて私が受けた仕打ちを繰り返していました。

繰り返してはいけないそう願っていたはずなのに_

せめて家族だけは守ろうと…」

櫻永は懺悔をして、血を吐いた。それも大量に。思わず足を止めた。このままでは外まで持たない。止血をしなければ。どうして止血をさっさとしなければならないと判断できなかった。動揺している余裕はない。冷静に、考えろ。そう。大丈夫だ。
 そっと櫻永を火の手が迫る廊下にもたれさせた。そして自分に言い聞かせながら、震える手で止血をする。しっかりとした止血は出来なかったが、急げばまだ…最悪の未来など想像してはいけない。生きるための活力を生み出さなければ。

「さっさと逃げるから、立て」
「ルカ、今の貴女は幸せですか」

櫻永の身体を起こそうとするが、ピクリとも動かなかった。何をのろまなことをしているんだとイラつきと焦りがこみ上げる。

「何してんだ!さっさと立てって!」
「私には、貴女が幸せそうに見えました」

そう言って櫻永の腕を引く。しかし櫻永が立ち上がろうとしない。

「だから」
「ルカ、あんな男を好きになるなんて…驚きです」
「そんなここで死ぬみたいな話をするなって言ってんだよ!お前はここから出て、そこで…そこで私の話を聞いて!」

人が真剣にしているのに、少し笑いながら櫻永が話すから自分が道化のように感じる。

「いい加減にしろ!だから」
「この先…危険ですから、ね。ルカーーーーーー」

声にならない声を漏らして、乾いた息だけが吐きだされる。そしてさっきまで何とか支えられた櫻永の身体が一層重くなった気がした。
 


「そんなこと言うなよ…恨めないじゃないか。このクソ親父」

頭上から瓦礫が落ちてきた。
 




 




蛍火邸で大火事が発生。負傷者は多数。燃え後から少なくとも一人の男性死体が発見されている。現在捜査中…っと。
 で、実際どうなの。万古さん?」

怪は紅茶の入ったコップを持ちながら、万古に目を向ける。万古は知らぬ存ぜぬでまともに取り合おうとしなかった。

「んじゃ、話題を変えようかな。君があのババアの手まで借りてあそこに行ったのはどうして?いつもなら知り合いが危篤状態だって言っても、スキップをしてくるぐらいじゃん」

万古はため息をつきながら答えた。

「あのなぁ…流石にスキップはしないぞ、流石にな。今回はなんとなくだ。行かせてやりたいと思った」
「そうなんだ」

聞いた割につまらなそうに怪は返事をする。そのまま視線を逸らすと、表情が急激に喜びへと変わった。まるで犬のようである。

「ルカ嬢…じゃなかった。ルカちゃん!」

ルカは例のショッピングモールできていた服を身に付けてやってきた。そして万古たちに気が付くと、走って席までやってくる。

「お待たせ」
「似合ってるよ!」

少し照れ臭そうに礼を述べると、ルカは万古の横に腰を下ろした。

「体の調子は大丈夫?」
「うん。まあそこそこってところだね」
 
そんな他愛もない話をして、ルカはコーヒーを注文する。店員が頭を下げて去っていくのをしり目に見ながら、怪は話した。

「そういえば、あの大火事って呪いなんじゃないかって噂になってたよ」
「ああ、ネットにスレ立ってたよね。見てみたけど、そんなオカルト的なものだったよ」

ルカは「意外と内情だけで見ると当たってるものもあるような気がしたけどね」とルカは付け足す。怪はそうなんだと返すと、何も言わずじっと見つめる万古に目をやった。彼の視線の先には、ルカがいる。言ってあげればいいのにと少し呆れながら、怪は意地悪そうに言った。

「万古、ルカちゃんが折角お洒落してきてくれたのに何も言わないの?
彼氏が何も言ってくれないのは寂しいね、ルカちゃん」
「そうだな…やはり似合わなかったか?」

ルカは不安げに万古に尋ねた。わざとではない。自己肯定感の低さがにじみ出ている。この彼氏あって、この彼女あり。ルカがしょげたような表情をすると、万古も嫌そんなことはと歯切れの悪い返事をした。いつものように自慢げに話して欲しかった。怪は少しため息をつきそうになるのを堪え、話しを明るくしようとする。

「似合ってるよね?」
「ああ」

また短い生返事を返した。そして瞬きをせず、じっとルカの方を見ていた。しっかりしろと万古を小突くと、万古は我を取り戻したようにハッとした表情をする。

「やっぱり、男装…してもらっていいか」

気持ちはわかるが、ルカの心情も察してやってほしい。怪は柄にもなく、世話を焼いていた。


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