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恋をするのは難しい



最近なにやらネガティブめな文章しか書けなくて
投稿に間が空いてしまいました。

内に向かうネガティブならまだしも
あれが嫌だこれが嫌だというようなことで
もやもやとして
ちょっと攻撃的な言葉になってしまうような…

自分の投稿だし好きに書いてもいいのでしょうけれど
それを人目に晒すようなことはしたくないのです。
心の内に湧き出すものは人間として自然なことですが
内に留めるかどうかは意思で決めることができる。

いい人を演じたいわけではなく
ただただ、恥なんですよ。
悪意というわけでなくとも
誰かを傷つけるような形になる言葉を吐き捨てることは。

(過去の投稿でそれをしっかり守れているのかは謎である)

もちろん、意図せず受け手側次第で勝手に傷ついたり
はたまた救われたり。
それがこういう場の言葉なのだろうということも
わかってはいるのですが。

誹謗中傷なんて以ての外ですが
批判とかなにかを利用した勝手な正義感とか
言葉というものに疲れきってしまい。



そこでなにを書こうかなと
うーんうーんとして
思いついたことが
昔の恋の話です。

このしょうもない前置きも本題に繋がるはず…


恋の話。


わたしはまぁまぁ恋愛至上主義な人間でした。
過去形です。
たくさん楽しいことも辛いこともあった。
過ぎてしまえばそれだけの話。

ここでしたいのは、人生でいちばん好きになった人の話です。

恋とはなにか、あれは恋だったのか。

ちょっとわからないですが、
「頑張ったな」と言える唯一のひとのこと。


結論を先に書いておくと、その人と恋人同士になるということはありませんでした。
そしてもう会えないところにいってしまいました。
今でも引きずっているとかではなく
思い出として、何故その人のことを好きだったのか、
そのことを書き残しておきたいと思います。


彼はちょっと変わった男だった。

それは共通の友人皆の総意としてあるような
そんなひと。

見た目はどこにでもいるような…というか
あまり目立ちもしないタイプ。
でもぶっ飛んだ行動を取り周囲をやや驚かせつつ
楽しませることのできるひとでした。

わたしはすぐに仲良くなり
毎日連絡を取るくらいになり
たくさん遊びに行きました。

誰かと仲良くなるにもわりと時間のかかるわたしですが
そのひとだけは特別でした。
簡単にわたしの心の内も本質も読まれてしまうので
心を開く開かない以前の話で土足でいつの間にかそこにいた。

見た目は全然タイプじゃない(わたしは面食いです)
なお社会的地位やたくさんのお金があるわけでもない
(そこは重視しないのですが)
それでも、異性として好きなんだなということは
わりと早めに自覚していたのかな。
その境目はちょっと覚えていないくらい
自然なものでした。

男女だったのでそれなりのあれこれはありました。
これを言うと自分も相手もまぁクズなんでしょうけど
べつにいいだろ?それが人間だ。
そればっか重視してたら面白くないぜ。



恋愛にいちばん大切なのは
一緒にいる時の空気感(あくまでも自分が感じているそれにはなるが)だと思いますという持論です。

会いもせず文字のやり取りだけでそういう候補になるとか
全く有り得んのですよ。
画面越しのひとだってそう。
言葉だけならなんだって言えるし
画面の向こうはただの憧れでしかない。
色気もない。


空気が心地よかったこと。

それが彼に惹かれたいちばんの理由ではあると思いますが
わたしが彼のことを思い出すことが今でもあるのは
尊敬すべき点がとても大きかったことです。


彼はどんなことも「楽しめる」人間でした。

例えば音楽や漫画や映画の話なんかもよくしましたが、
彼は「面白くない漫画はない」「観るべきところがない映画なんてない」「つまらない音楽もない」というようなことを
よく言ってました。

「◯◯の新作いまいちだよね」というような話は
友人同士でよく出る会話だったりするものですが
彼は批判するようなことは言わずに
ちゃんと面白さを見出そうとするひとだったのです。

人気がなく打ち切られる漫画も
コケたと言われるような映画も
売れていない音楽も
所謂、逆張りのように賞賛するわけでもなく
ただ、楽しんでいた。


人間に対してもそうだった。

「アイツってさぁ…」と皆に言われるような人のことも
負の部分さえ引っ括めてそのひとのことを認めていた。

なにに対しても色眼鏡で見るようなことをせず
自分なりの良さを見出していた。

ああそうか、
これはつまらないアレは駄目、アイツは嫌なやつだ、
そう見てしまいそう思い込む自分こそがつまらない人間なのだから
それは変わらなければ、わたしもそうなりたい。
そう思わせてくれる学びがあったのです。
それは人生観を豊かにしてくれるものでした。
その思想にわたしは今もずっと影響されている。


冒頭に書いたような
あれもこれも嫌だと思ってしまうような時に
わたしは彼のことを思い出す。

「つまらない人間になってしまっているぞ」

それは他者からの視点でなく自分自身で自覚したものであるが、
誰にどう思われようと

「なんでも楽しめる面白い自分でいたい」

最期までそうありたいというのが
生きるうえでの唯一のなにがしなのです。


外側に対してネガティブを感じすぎてしまうときに
引き戻してくれる存在として
彼はずっとわたしの中で生きているのです。

もちろん絵に書いたような完璧聖人ではなく、
先に書いたようにクズな部分もある人間でした
それなりに人を傷つけるようなことも
あったのでしょう。
わたしも傷ついたことはたくさんあった。
でもそれが人間だ。

恋は夢や希望やステータスやアクセサリーや打算や無難な人生設計のためにするものではない。
いい恋愛悪い恋愛というのもなんだか馬鹿らしいが
後々にいい影響があるならばそれは
いい恋愛だったのではないか。


後々に…悪い影響があったとすれば、
その後に出会うひとたちをどうしても
心の中で彼と比べてしまうことだったでしょうか。
それもまた人生である。


この話を記事として書いたのは
彼の在り方が誰かに届いたらいいなと、
今の世を絶望ばかりのこのご時世を憂う誰かに
ちょっと視点を変えてみようよ、と
なにか前向きなキッカケになってくれたらいいなと
そんな理由です。

もしかしたらありきたりなありふれた人間の話かもしれない。

けれど視野がどうしても狭くなってしまう時に
在り方のひとつとして参考に、ほんの少しでも響いてくれたら嬉しいなと。



🐰穏やかにいきましょう🐰

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