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ミルクピッチャーさえずる時

ミルクピッチャーさえずる時   

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 東京の東久留米市にある雑貨店「ことり堂」さまを舞台に書かせていただきました。

ことり堂 Instagram
https://www.instagram.com/kotori_sasahara?igsh=MWFlYjFwcnBsbXlxdA==

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 ここは内緒話の吹き溜まり。小さな売り場は人がふたり入ればようやく、というくらいだから、入ってしまうとたいていの人は小声で話してしまうものなの。

 大通りから脇に入った下り坂。つめたい風と一緒に、あふれた秘密がいっせいに吹き込んで、〈ことり堂〉の戸をたたいたら、それが合図。凛としたパラソルと、ちょっと臆病な本棚が、店の前に出されるの。引き戸から風が一筋入り込み、店内をぐるり一周。売り物のひとつひとつにさわっていく。よーしよし、今日もみんな、しっかり口をかたくしてお利口だね! お人形、小さなカップ、小さな馬や家、ハギレにボタン、隅に立てかけられた絵本たち。誰も、ここでお客がする内緒話を外にもらしたりはしない。風は安心して、また大通りへと戻っていくの。

 だけどね、どんな秘密も知っていそうなここの売り物たちも、店主の秘密は知らないの。本当に大事なものは、ここには並べないっていうんだもの。いったいどこに隠し持っているんだろう。それとなく聞いてみようとしても、店主はふふんと笑みを浮かべるばかり。あたしたちに教える気なんかさらさらないんだわ。

 あたしは姿勢を低くして、慎重に〈ことり堂〉に入っていく。大丈夫、誰も気づかない。大きなスクールバッグが棚にぶつからないよう注意しながら、その場で、くるりと回る。ありとあらゆる小物が、なんにも喋れません、みたいな顔で、だまーって、あたしを囲んでいる。それこそ、床の上から天井まで。店内には日本のポップミュージックが流れている。なんだか、くらくらしてきそう。

 手作りのジャムやパンを売る棚と並んで、会計棚があり、その向こうには、お客さんの入れないスペースが広がっている。あたしは天井からぶらさがるヒンメリにぶつからないように、控えめにかかとを上げた。そんなぽっちの背伸びじゃ、向こう側は見えない。

 きっと、あそこに、店主の宝物がどっさりあるんだ。そう思って飛び込もうとした指人形や、豆本や、箸置きたちも、今は知らん顔。みんなの口のかたさはウワサ通りみたい。あたしはバッグのストラップをぎゅっと握った。緊張はしてない。わくわくしてるの。

 あたしがここを初めて見つけたのは、つい一週間前。生徒会の仕事を終えて、夕方の帰り道を歩いていた時のこと。鳥のさえずりなんて珍しくもないのに、つぴ、つぴ、とかわいらしい声が耳に届いて、つい足を止めたの。小鳥の姿はどこにも見えない。声のする方を向いて歩いてみると、小鳥の声は、あたしを導いていくみたいに、道なりに進んだ。――そう、飛んだの。もちろん姿は見えない。いわば、透明な鳥がすぐ近くを飛んで、さえずっている感じ。あたしは坂道をほとんど駆け下りていた。その先でちょうど、〈ことり堂〉の店主が、臆病な本棚を持ち上げて、戸の中に運び込もうとしていた。

 あたしはふたたび足を止めた。追いかけていたさえずりの行方が、急にわからなくなったから。でも、どこからか聞こえてくる。泳がせた視線の先で、店主のパーマヘアが、戸の向こうに消えようとしていた。

「あ、あの!」

 あたしの出した声に、店主は振り向いた。目が合った。あたしは先を告げられない。さっきまでここを飛んでいた透明な鳥はどこに行ってしまったの、なんて、聞けるわけもない。あたしって頭の中ではおしゃべりだけど、いざ口にしようとするとてんでだめ。それでもなんとか絞り出した。

「お店って、まだ入れますか?」

 戸の上には軒があって、暗い茶色で塗られた軒先に、〈ことり堂〉の文字があった。だから、お店だろうと思ったの。
 店主はほがらかに、

「閉めるところだったけど、いいよ、入っちゃって」

 なんて言って、あたしをあっという間に内緒話に巻き込んでいった。
 鳥はきっと、ここに入っていったんだ。だけど、中を見ても、鳥は隠れてしまったのか、息をひそめている。ゆっくり、視線だけで店内を見た。ささやかなスペースに、それはもうたくさんの、物! 本や、壁にかかった絵、ぬいぐるみ、ミニカー、食器、ミトン、陶器のお人形がついたペンダント。だけどそのどれも、何も話しかけてはくれない。

「学校の帰り? 何か部活とか?」

 店主はカウンターの向こう側に行き、半身乗り出して、気さくに話しかけてくれる。

「部活ではないですけど、生徒会の帰りで……」
「へえ! 生徒会ってそう何人も入れるものじゃないんでしょ? すっごいじゃない」
「ええ、まあ……」

 話下手なあたしは、前のめりで聞いてくれる店主にすこし気おされる。でも、ここには目のやり場がたくさんあるから、ちょっと助かる。

「役職なんてあるの?」
「書記を」
「立派だよお。記録をしていくのって、案外楽しいしね」

 楽しい? そうかな。あたしはまだ、ぜんぜん楽しいなんて思えない。

 書記でも、生徒会に入ったのはあたしにとっては一大決心だった。高校に入ったはいいけど、入りたい部活もないし、友だちもそんなにいない。そんなあたしが、余計に物語にのめりこむのを、親が心配したのが事の発端。高校生活、何かやったら? なんて、適当に言うんだもの。あたしは、本当は、物語があればそれでよかったの。でも、ほんのちょっとだけ、気の合う友だちが欲しかったのもホントの気持ち。だから、一縷の望みをかけて立候補してみた。あれよあれよというまにあたしは生徒会の書記になっていて、今日も定例会に参加して、議事録を書いた。

 書くのが、物語ならよかったのに。

 つまんない議事録を見返すたびに思ってしまう。

 会長からは、つい最近こう言われた。
「春日さんの書く文章って、なんか、ときどき少女漫画みたいだよな」

 それがすごーく悔しくて、悔しいって思う自分のことも、嫌だった。
 堂々としていればいいのに、「すみません」なんて。頭の中みたいに、文に書くみたいに、おしゃべりできたら気持ちいいだろうになあ。どんどん自分が嫌になる。

「そうかあ、物語が好きなんだね。あたしと同じだわ」

 ハッとして、店主の方を見る。カウンターに両手で頬杖をついて、一段低いところにいるあたしに目線を合わせていた。店内でそうされると、なんだかとても近い。それより、なにより、あたし、今どこまで話していたんだろう! 頭の中で、一瞬だけ、生徒会室のことを思い出していただけのはずなのに。口元を抑えてみても、もう遅い。店主はやさしい笑みを浮かべて、あたしの「内緒話」を、店の奥にそっとしまった。

 そのときから、あたしは確信していたの。この人は、こうしてみんなの内緒話を集めているに違いない。それが宝物なんだ。店先にも並べられない、大事な大事な秘密。

 なんとかして取り戻さなきゃって思うのに、バッグを持つ手にばっかり力が入る。

 だって、そんな物語みたいなこと、本当に起こるわけないじゃない。
 ここはちょっと変わってはいるけど、ただの雑貨屋さんだもの。
 隠している秘密たちを返してなんて、言えるわけなかった。

 店主はお話上手。あたしは気づいたら、棚に並んでいるジャムのことや、本のこと、お話を書いているらしいことや、保育園でも働いていること、いろんなお話に聞き入っていた。その中のどこにも、透明な鳥や、内緒話のありかは出てこなかった。

 だけどやっぱり、あきらめきれない。週に一回の定例会が終わったら、あたしは議事録をぱっぱっと片付けて、バッグをまとめて、生徒会室を飛び出したの。バスを待つ数分の間も、そわそわして落ち着かなかった。そうして敷居をまたいだ今、思わぬ静けさに、あたしは拍子抜けしてる。いるい違いないと思った店主はどこにもいない。今日は営業日のはずだから、お休みってことはないと思うんだけど……。勢い勇んだ分、なんだか不安になってきた。商品は増えているような、そうでもないような。みんなじっくりと黙って、よそよそしい。

 どうしてか店主がいない今は、チャンスともいえる。会計棚から先には戸のひとつとしてなくて、ただ、床が一段上がっているだけ。これなら覗くどころか、簡単に入れてしまえる。あたしはもう一度背伸び。それから、勢い余った風を装って、一歩前に出てみた。胸がどきどきと鳴った。まるで全身が鳩時計になってしまったみたい。もう片方の足も前に出してしまえば、きっと、カウンターの向こうが見えてしまう……! 怖いような、楽しいような気持ち。今、あたしはあたしの秘密を取り戻す。そしてそれこそが、新しい、あたしの秘密になるんだと思うと、いっそう胸が高鳴った。

 さあ、行ってしまおう。

「何してるの」

 不意に聞こえてきた声に、あたしは飛び上がった。
 見られた。入っちゃいけないところに入ろうとするところを!

 恐る恐る振り返ると、いつのまに戸を開けて入ってきたのか、十歳くらいの女の子が立っていた。
 真っ白いワンピースに、黒いリボンで首元が飾られている。黒いおかっぱ頭に金色のカチューシャ。後ろ手を組んで、じっと、一段低いところから、あたしを見ていた。

「ええと、あの、店主さんを探してて」

 しどろもどろのあたしは、とっても怪しく見えただろう。顔から火が出そうだった。でも、女の子はあたしをいぶかしんだり、からかったりする気はないみたい。あたしの言葉にただ頷いて、

「ことりさんの知り合いの人ね」

 と、大人びた様子で言った。

「でも、ほんとは秘密を探しに来たんでしょう」
「えっ」
「ほら、図星」

 なんて言ったらいいのかわからないあたしに、女の子は笑うわけでもなく、一坪のスペースで、くるりと一回転。白いワンピースのすそが広がって、商品にぶつかりそうになるけど、何も動かず、何も落ちなかった。金色のカチューシャがきらり。すりガラスごしに入ってくる外の光を受けて、輝いている。

「ことりさんの秘密があるのはそっちじゃないよ。こっち」

 女の子が棚のひとつを指さした。あたしはあわてて、一段降りて、手元をのぞき込んだ。
 入り口にいちばん近い棚の、上から二番目。小さなカップと、砂時計、ミルクピッチャーがならんでいた。そのどれもが、茶色いツヤツヤの陶器でできている。お店にあるほかの物と比べたら、地味で、あんまり目立たない。だけど、女の子に指し示された瞬間、あたしは目が離せなくなった。特に、いちばん小さな、ミルクピッチャーから。

 この子は誰なんだろう。気づいたらうんと近い距離で、隣り合って立っている子をそっと盗み見る。ことりさんの娘さん、では、なさそう。そうだったら、ことりさん、なんて呼び方はしない。じゃあ、お客さん? お手伝いさん?

 女の子がミルクピッチャーを手に取って、人差し指の先っちょで、軽く表面をこすった。
 とたんに、陶器の表面に浮かんでいた外の光が、輝きを増した。
 つぴ、つぴ。
 指の動きに合わせて、音が鳴る。

「あ!」

 あたしは思わず声をあげた。それは、透明な鳥のさえずり、そのものだったから。

「どう、あなたもやってみる?」
 女の子がちょっと怪しげに笑みを浮かべる。あたしはおそるおそる、手渡されたミルクピッチャーを手のひらに乗せ、片方の指でこすってみた。
 つぴ。女の子がやったのと同じように、音が鳴る。
 あたしの指先に、たくさんの内緒話が伝わってくる。

 その中に、あたしの声も混ざっていた。本当は、物語のことばかり考えていたいこと。学校生活が退屈でしかたないことも。

 よくよく耳を澄ましていると、他にも知っている声が聞こえた。

 会長の声だ。あたしは目を閉じて、聞き取ろうとした。電波の悪いラジオみたいに、ときどきノイズが混ざる。あたしはひとつひとつ音を拾っていくみたいに、意味をくみ取っていく。

(春日さん、やっぱりあまり仕事を楽しめていないみたいだなあ)

 もくもくした吹き出しの中に、言葉が並ぶイメージが浮かぶ。

(ちょっと心配だけど、春日さんの書く文章は好きなんだよなあ)

 それは秘密というより、独り言だった。大通りから吹き込んできた秘密の中に、会長の心の声も混ざってしまったんだと思う。
 ああ、会長は、あたしのこと心配してくれていたんだ……。

 ミルクピッチャーの中にもっと耳を近づけようとしたら、女の子にとりあげられてしまった。とたんに、静かなざわめきは遠ざかり、あたしは目をぱちくりとさせる。

「そっとしておきな。秘密は、そのうちひとりでに外に出てくるから」
「そうなの?」
「あたしだってそうだもの」

 女の子はミルクピッチャーをもとあったところに置くと、ひらりと一回転して、戸を開けた。

「ここはたくさんの秘密や内緒話が、外に出る準備をする場所でもあるのよ。あたしも、今日から町に出るんだ」

 あたしは追いかけようとしたけど、伸ばした手に、女の子の影はひっかからなくて、あっという間にスカートのひらひらは戸から出て、あたしが外に顔を出しても、もう、どこにも姿はなかったの。

 まもなく店主のことりさんが戻ってきた。
「あら、この前の! また来てくれたの」
 あたしは何でもないふりで、ぺこんと頭を下げて、また、棚に目を向ける。

「ごめんね誰もいなくて困ったでしょ。でもかわりにいいお土産もあるよ」

 ことりさんは外出から戻ったままの恰好で、かばんから、一冊の本を取り出した。原色の水彩絵の具で描かれた、花畑の表紙絵。ひらがなのタイトル。童話の本みたいだ。

「たった今仕入れてきたものなんだけど、きっとこういうの、好きでしょ。よかったらゆっくり見ていって」

 やっぱり、ことりさんにはあたしの好きなものなんてバレてしまってるみたい。あたしは大人しく本を受け取って、開いてみた。大きなひらがなと、挿絵が、いくつも並んでいる。何気なくぱらぱらめくっていくと、ひらりと、紐がはみ出ているページに行きついた。

 栞だ。誰かの。

 紐は、奇妙な形に切られた厚紙にセロハンテープでつけられていて、その紙が本に挟まっていたの。セロハンテープは黄色く変色してしまっている。見ていたのは裏面。表面にひっくり返して、思わず、戸の外に視線が向いた。

 表面には、マジックペンで女の子の絵が描かれていたの。黒いおかっぱ頭に、黄色いカチューシャ。白いワンピース。黒いリボン。目を閉じて、両の手を握り合わせている。子どもの描いた線だった。下の方に、やっぱり子どもの字で、こうあった。

 ほしのせいのおまもり

 星の精のお守り。

 冬晴れの空気が、戸の外でゆれた。また、どこかから秘密が集まっていく。店主はそれを知ってか知らずか、鳥の住んでいそうな髪型を揺らして、鼻歌交じり。あたしは「ほしのせいのおまもり」を挟んだまま本を閉じた。

「これ、買います」
「え、いいって、持っていきなよ」

 店主はそう言ったけれど、あたしはどうしても買いたかった。だって、こんな素敵な秘密が挟まった本、他のどこを探したってないもの。

 店主はきっと知らない。店主も知らない誰かの秘密が、今日、町の外に出かけて行ったこと。

 本をかばんに入れてしまうのも惜しくて、あたしは、両手に抱えたまま外へ出る。胸のわくわくが抑えきれそうになくて、ついに、「ふふ」と笑いがこぼれた。

 だって、この世界はすごく楽しい。
 つまんないと思っていたこの町に、いろんな秘密があふれているかもしれないこと。
 〈ことり堂〉に行けば、いつでも物語になってしまえること。
 そういう場所が、あってもいいんだってこと。

 何もかもが、あたしの胸を弾ませていたの。

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