書きたいことを書き切るのに時間を要したため、
開白に間に合わないかもしれませんが、
これまでの辻政信氏の調査考察の続きをやっていきたいと思います。
辻政信氏は敗戦後、日本の「後図を策する」ために
「釜中に坐して心魂を鍛える」ような三千里の道を
潜行してきました。
GHQの表立った追及から逃げ切ったあとに
表舞台に飛び出したのは
ひとえに
「日本という国の行末を、
世界で起こっている戦から
守り抜こうとしていたから」
だと思います。
辻氏は、ご子息へ宛てた手紙で
日本が敗戦を喫した理由を分析していました。
「我等は何故敗けたか」
辻氏による分析の要点を私なりにまとめると、以下の通りです。
そして、当時の時世について
こういう分析が相手にされない世相にあること
にも言及されています。
辻氏は、敗戦後の状況から
「敵」の計略によって
自国を蔑ろにする教育が後世に施され、
日本の国体が骨抜きにされようとしていることを
危惧していたのではないでしょうか。
この「ご子息への手紙」の最後には、
今後についての抱負が認められ、
意気軒昂ぶりを感じさせる文言で締めくくられていました。
辻氏は、この時点で
「日本の再建」と「東亜連盟の結成」が
自分のこれからの使命だと定められたようです。
前田啓介氏著『辻政信の真実』には、
辻氏の生き方へのスタンスが伝わるエピソードが紹介されていました。
「死なずにいるということは、
まだ自分にはすることがあるということなのだろう」
こういう、
「天に生かされている」感覚によって動いていたのなら、
彼の言動が常識の範疇に収まらないのも理解できます。
その後、辻氏は「政界」に足を踏み入れます。
それは、国の舵を握る分野に手を出さねばならない
「主張」をお持ちだったからだと思います。
戦勝国に骨抜きにされない「中立」こそ、日本が助かる道
辻氏は、GHQの追及が解除されて息を吐く間もなく
戦記の出版という形で表舞台に躍り出ました。
その勢いで、
日本人の力で国を守り、外国に依存しないという
「自衛中立」を主張し、
有言実行するために政界にも足を踏み入れました。
当時の、日本からの反響については
『辻政信の真実』が挙げる資料を参考にします。
少し私見が混じりますが、
こうやって「求心力がどうの」と言っている時点で、
辻氏の相手ではないな、と感じてしまいます。
何を見ているかが違う。
日本という国の行末か。自己の立場の安泰か。
辻氏は「国を守るために必要」だからと、
政界に足を踏み入れたのではないかと思います。
また、
国を守るために命を懸け
家族のことを国に任せて戦ってきた
かつての軍人仲間たちが、
その功労を労われるどころか、蔑まれ打ち捨てられて
家族ともども生活にさえも困窮させられているーー
こういう実態を、
辻氏はいたるところで言及していました。
それは仲間の不遇を思い遣っての発言だろうし、
その不条理を平然と受け入れている国への危惧でもあった
のではないかと思っています。
「自分に敬意を持てない」
「自分のストーリーを自負をもって語れない」
ということは、
その生命力を発揮するために致命的な阻害になる
と私自身が信じているため
「自分の正当性」を取り上げられた国民が
自他への「侮り」の感情に侵されて
弱体化していく筋書きを
私は「自然の流れ」のように想像しました。
如才のなさが優位に働く戦場にあって、
自己の立脚地を持てない
=「他者に依存する」ということは
それだけで不利になると思います。
戦いの土俵に入るまでもなく、
依存した対象にとって都合のいい部分だけを
搾取され、吸い尽くされて
だし昆布扱いされておしまいだからです。
辻氏の思いは「無念」か「警告」か。
もともと、一番はじめにもたらされたのは、
「辻政信氏の“無念”はなにか」という指針でした。
しかし、進むうちに私は
「辻氏は生涯において、
善きにつけ悪しきにつけ自身の選択に責任を負い
それを誇りにしていたように思える」
「死地に常在していたからこそ
身辺のことは悔いのないよう整えていたようだし、
自身の理想をしっかりと主張し
群を抜いた行動力を発揮してきた方に、
思い残すような“無念”があるのだろうか」
と考えるようになりました。
むしろ、今生きている私たちに
「伝えたいことがある」からこそ、
こうして人を巻き込み、縁を引き寄せて
大きな流れを作ろうとしているのではないか…
というのが、今の私が感じていることです。
ともすれば、それは
「すっかり腑抜けた状態」にある
今の状況への「警告」か。
私は、これまでに
真偽も定かでない情報の海に浮かんでいるものを見てきたなかで、
「この国は骨抜きにされて久しい」
という感覚を覚える機会が多かったので、
直感的に想像すると、こういう結論に至りました。
私の感覚を持って、
辻氏が「伝えようとしていること(仮)」に応えようとするならば
何を信じ、なにを疑うかをよくよく吟味して、
容易く扇動されないようにする。
印象操作や思考誘導に惑わされないために
実際の状況をこの目で見、
自分の感覚を信じて、その頭で考える。
そのために労力と時間を割く。
それができる人間になることが、
今の自分にできる自衛の方法なんだろうと考えています。
追記
一つ、気になっている事があります。
それは、辻氏が
「米ソのどちらにも依存しない」代わりに
中国に全幅の信頼を置いていたこと。
これは「東亜連盟」の思想ゆえだと思うのですが
彼のこのスタンスには危うさを感じました。
2024年3月19日 拝