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3月19日の開白に向けて「辻政信氏の調査考察」2024.3.19

書きたいことを書き切るのに時間を要したため、
開白に間に合わないかもしれませんが、
これまでの辻政信氏の調査考察の続きをやっていきたいと思います。

辻政信氏は敗戦後、日本の「後図を策する」ために
「釜中に坐して心魂を鍛える」ような三千里の道を
潜行してきました。
GHQの表立った追及から逃げ切ったあとに
表舞台に飛び出したのは

ひとえに

「日本という国の行末を、
 世界で起こっている戦から
 守り抜こうとしていたから」

だと思います。

辻氏は、ご子息へ宛てた手紙で
日本が敗戦を喫した理由を分析していました。

「我等は何故敗けたか」

辻氏による分析の要点を私なりにまとめると、以下の通りです。

日本が敗けた要因は、八つ挙げられる。

一つ目は、「国体の精華を発揮し得なかったこと」
政治の方針が、一部特権階級の手の内で左右され、
平民による真実の声が弾圧、掩蔽されたことで
天皇陛下のご判断をおおい翳らせることになった。

二つ目は、「官僚が政治を誤ったこと」
さんざん言論を弾圧封鎖した後には
ただ上級軍人の傲慢と、低能なる官僚との独善とがあった。
決戦のため全国民の全能力を
集中発揮しなければならぬ
ときに、
一家の働き手が数年間生命がけのご奉公に
家を忘れ妻子を忘れているときに、
国内に不可充要員として残ったお役人は
軍人の「サーベル」の陰に隠れて「軍の要求ですから」と
善良な民と有能繁忙の実業家を軽視圧迫していたと聞く。

三つ目は、「外交を誤ったこと」
先導者を名乗っておきながら、実際のアジアにおいて、
中途半端で無責任な対応に終始してしまったがために
「かえって誠意を疑われ、
 東亜解放の真義は東亜侵略と誤解を抱きつつ
 (アジア諸国から)その協力を期待できなかった。」

四つ目は、「国家としての熱心さの欠如による、科学力・工業力の薄弱さ」
科学者、発明家の地位が社会的にも経済的にも不当に低く、
せっかく意欲を伸展させることができなかった

五つ目は、「国内自給の不可能」
「腹が空いては戦争はできん」のは古今の鉄則。
地理的条件もあるが、さらにこれを深刻にさせたのは
過去数十年にわたる政策の誤りによって、農家が衰退していたから。

六つ目は、「陸海軍の対立」
これによって「軍力の統一発揮を妨害し、作戦の不統一を来たした」。
作戦の順調な時期においては醜き功名を争い、
作戦の不利なときには忌むべき責任転嫁が繰り返された。
例外もあったが、これらは陸海将帥の人格によるものと
「取得の平等を原則とする統一協調」によるものだった。
要は人を得ることに帰するが、
制度は凡愚の運用を原則として立てねばならない。

七つ目は、「天祐思想」
「神国日本の光栄は空虚な天祐期待となり、
 つとめずして神風を待つの心理が
 上は総理より下は平民に至るまで一貫した」
外侮は自ら侮るものに至ることを心すべきである
「天祐思想は遂に神国日本を破滅に導いた」

八つ目は、「戦略を誤った」我等軍人、特に上層中枢部の責任。
「当初から、徹底した戦略を自主的に決定し、
 戦局の見通しを最後までつけなかったことは、
 我等の重大な責任である」
この根本は、陸海の見解が常に一致を欠いたことにある。

要約メモ

そして、当時の時世について
こういう分析が相手にされない世相にあること
にも言及されています。

国家は最高の道徳であり、
国際間の正義は理論ではなく力である以上、
負けたものが如何に負けた戦争を正義づけようとしても
世界が受け容れるはずはない。
国民は敵の巧妙な宣伝によって、我等の国家が
天人てんじん許すべからざる悪逆無道の侵略をなしたかの如くに
信ぜさせられている。

「我等は何故敗けたか」

辻氏は、敗戦後の状況から
「敵」の計略によって
自国を蔑ろにする教育が後世に施され、
日本の国体が骨抜きにされようとしていることを
危惧していたのではないでしょうか。

この「ご子息への手紙」の最後には、
今後についての抱負がしたためられ、
意気軒昂ぶりを感じさせる文言で締めくくられていました。

日本を再建し、その上に中国と一体となり
東亜連盟を結成することが
後半生の父に与えられた使命と信じ、
目下精進潔斎して自己を反省し、世界を見、
救命の恩義に報いつつある。

「我等は何故敗けたか」

辻氏は、この時点で
「日本の再建」と「東亜連盟の結成」が
自分のこれからの使命だと定められたようです。

前田啓介氏著『辻政信の真実』には、
辻氏の生き方へのスタンスが伝わるエピソードが紹介されていました。

マレー作戦の時、第二十五軍で辻の上官である高級参謀だった
池谷半二郎は1950年(昭和25年)の秋、
渋谷駅で辻と偶然出会っている。

池谷はこの年の春、5年間のソ連抑留から帰還したばかりだった。

お互いの無事を祝し合った後、
池谷が「辻君、君の著書、潜行三千里を読んだのだが、
君も、よく帰ったものだね」と話したところ、
辻は即座に「未だ、私が必要なのでしょう」と返答した。

池谷は内心驚いた。
「当時、職業軍人は、誰れ彼れの別なく、
 尾羽打ち枯らして居るのに、彼から、この答を聴いた瞬間、
 彼の自信力に驚嘆すると共に、
 敬意を表したい気持ちさえ起こった」
(池谷半二郎『ある作戦参謀の回想手記』)

『辻政信の真実』

「死なずにいるということは、
 まだ自分にはすることがあるということなのだろう」
こういう、
「天に生かされている」感覚によって動いていたのなら、
彼の言動が常識の範疇に収まらないのも理解できます。

その後、辻氏は「政界」に足を踏み入れます。
それは、国の舵を握る分野に手を出さねばならない
「主張」をお持ちだったからだと思います。

戦勝国に骨抜きにされない「中立」こそ、日本が助かる道

辻氏は、GHQの追及が解除されて息を吐く間もなく
戦記の出版という形で表舞台に躍り出ました。
その勢いで、
日本人の力で国を守り、外国に依存しないという
「自衛中立」を主張し、
有言実行するために政界にも足を踏み入れました。

(ソ連代表部のキスレンコが)
「東亜連盟の主張はなんですか?」
と聞くので、次のように答えました。

「それは石原莞爾将軍が唱えたもので
 アジア人がアジアをつくろうという運動である。
 アジア諸国はお互いに独立を尊重しなければならない。
 お互いに共存共栄の経済合作を図り、お互いの力を合わせて
 アジア以外の外国の侵略に対して守ろう
 という運動であって、私はその同志の一人である」

「今、どういうスローガンを持っているか?」

「自衛中立、すなわち自分の力で日本の国を守ろう。
 米ソ戦争の中に入らないことが自衛中立である。
 日本が速やかに軍備を整え、
 自分の国は自分で守ってアメリカの軍隊とその基地を
 早く引き揚げてもらいたいのである。
 しかしながら断じてスターリンの前衛ではありませんぞ」

「それはよろしい。その案は非常に結構だ。
 その次に目指すものは?」

「その次はアジアの解放である」

「アジアの解放とはどういうことか?」
「事は簡単である。
 日本がアメリカから解放されることが第一、
 その次は、中国がソ連から解放されることだ」

こう言ったら彼は不愉快な顔をしておった。
私の言いましたことは、

「アメリカといいソ連といい、アジア問題におせっかいを焼きすぎる。
 アジアはアジア人で立派に守ってみせる。
 余計なお世話だから両方とも引き揚げてくれ。
 われわれは中国四億五千万人と兄弟のように手をとり合って
 仲よくアジアを建設することができる。
 日本は不幸にして敗けたけれど侵略戦争ではなかった。
 現に戦争の結果六つの国が独立した。
 インドといいビルマといい、
 パキスタン、セイロン、ベトナム、フィリピンも
 『日本は戦争に敗けたけれどもそのために、
  われわれは独立したのだ』と感謝している。
 現在の日本のみじめな姿は六人の子供を産み、
 それを育てる母親、しわの寄った母親の姿なのである。
 二百万の英霊は決して無駄ではない。
 アジア解放の尊い戦士であった」…

『私の選挙戦』

当時の、日本からの反響については
『辻政信の真実』が挙げる資料を参考にします。

共産党は『前衛 日本共産党中央委員会理論政治誌』
の1953年2月号で「辻政信をめぐる選挙闘争」
と題して検証を試みている。
[中略]
辻の主張がどう受け入れられたかを、次のように解析する。

 辻の論法は第三次世界大戦は必至であるとの前提の上に立って
 本年末か明年秋までに戦争は勃発すると予言して
 聴衆の聞き耳を立てさせてから、米ソの軍事力を比較し、
 あらゆる面から米国の不利な点をあげてその敗戦を暗示しながら、
 米国にとって日本の軍事基地は時をかせぐために必要なのであり、
 退却は予定の行動だと国民の対米依存心に一撃を加え
 共産軍の侵略の不安をかき立てる。
 そして自衛のために再軍備はしなければならない、
 との主張に大衆をひき入れてゆくのである。

[中略]

「辻はさし迫る戦争の危機を説きつつ
 平和を求める国民に第三の道を示し、
 この中立の道こそが平和と独立を守る唯一の道であると暗示し
 大衆をつかんだのである」とし、
「われらのさけぶ平和が
 抽象的で内容のないものとなって
 大衆の胸をゆさぶる感情と力強さがかけていた。
[中略]辻が労働者の間に多数の支持を得たことは
 われわれに対するこの上ない重大な警告である」と総括している。

『辻政信の真実』

少し私見が混じりますが、
こうやって「求心力がどうの」と言っている時点で、
辻氏の相手ではないな、と感じてしまいます。
何を見ているかが違う。
日本という国の行末か。自己の立場の安泰か。

辻氏は「国を守るために必要」だからと、
政界に足を踏み入れたのではないかと思います。

大宅壮一も、その辺りの国民の心情をかぎ取り、
「辻政信という男」という批評を
1952年12月『講演時報』に特別寄稿している。

 彼のファンの大部分は、僕のいう類似インテリである。
 知識はあるが、思索できない人間たちである。
 簡単に興奮しやすい。だから彼は一種のアルコールでもある。
 アルコールとして高級ではないが、簡単に酔える。

その上で大宅は、こう辻にエールを送る。

 政治家としての辻の今後はやはり特異な存在におかれるだろう。
 一人、彼がいるということに興味がある。
 羊の中に狼がいるようなもので、
 政党の腐敗、官僚の惰落を問いつめるであろう。
 ただ一人の力としてやれるかどうかがわからぬが。[中略]
 彼は行動半径が常識の外に出る程典型的な正義漢である
 日本政界の浄化に期待する点、単に私一人だけではあるまい。

『辻政信の真実』

また、
国を守るために命を懸け
家族のことを国に任せて戦ってきた
かつての軍人仲間たちが、
その功労を労われるどころか、蔑まれ打ち捨てられて
家族ともども生活にさえも困窮させられているーー

こういう実態を、
辻氏はいたるところで言及していました。

それは仲間の不遇を思い遣っての発言だろうし、
その不条理を平然と受け入れている国への危惧でもあった
のではないかと思っています。

「自分に敬意を持てない」
「自分のストーリーを自負をもって語れない」
ということは、
その生命力を発揮するために致命的な阻害になる
と私自身が信じているため

「自分の正当性」を取り上げられた国民が
自他への「侮り」の感情に侵されて
弱体化していく筋書きを
私は「自然の流れ」のように想像しました。

如才のなさが優位に働く戦場にあって、
自己の立脚地を持てない
=「他者に依存する」ということは
それだけで不利になると思います。

戦いの土俵に入るまでもなく、
依存した対象にとって都合のいい部分だけを
搾取され、吸い尽くされて
だし昆布扱いされておしまいだからです。

辻氏の思いは「無念」か「警告」か。

もともと、一番はじめにもたらされたのは、
「辻政信氏の“無念”はなにか」という指針でした。

しかし、進むうちに私は

「辻氏は生涯において、
 善きにつけ悪しきにつけ自身の選択に責任を負い
 それを誇りにしていたように思える」

「死地に常在していたからこそ
 身辺のことは悔いのないよう整えていたようだし、
 自身の理想をしっかりと主張し
 群を抜いた行動力を発揮してきた方に、
 思い残すような“無念”があるのだろうか」

と考えるようになりました。

むしろ、今生きている私たちに
「伝えたいことがある」からこそ、
こうして人を巻き込み、縁を引き寄せて
大きな流れを作ろうとしているのではないか…

というのが、今の私が感じていることです。

ともすれば、それは
「すっかり腑抜けた状態」にある
 今の状況への「警告」か。

私は、これまでに
真偽も定かでない情報の海に浮かんでいるものを見てきたなかで、
「この国は骨抜きにされて久しい」
という感覚を覚える機会が多かったので、
直感的に想像すると、こういう結論に至りました。

私の感覚を持って、
辻氏が「伝えようとしていること(仮)」に応えようとするならば

何を信じ、なにを疑うかをよくよく吟味して、
容易く扇動されないようにする。

印象操作や思考誘導に惑わされないために
実際の状況をこの目で見、
自分の感覚を信じて、その頭で考える。

そのために労力と時間を割く。

それができる人間になることが、
今の自分にできる自衛の方法なんだろうと考えています。

追記

一つ、気になっている事があります。
それは、辻氏が
「米ソのどちらにも依存しない」代わりに
中国に全幅の信頼を置いていたこと。

これは「東亜連盟」の思想ゆえだと思うのですが
彼のこのスタンスには危うさを感じました。

「中国人に接する道は信を腹中におくことである。
 二度だまされても、三度背負投げくらっても
 平気で信頼してやれ。
 そのうちに決してだまさない中国人を発見し得るだろう」


2024年3月19日 拝

知る・学ぶ・会いにいく・対話する・実際を観る・体感する すべての経験を買うためのお金がほしい。 私のフィルターを通した世界を表現することで還元します。