「恋愛」をするために、私が乗り越えるべき過去

まぁ、そもそもあまり恋愛をしたいとも思わないのですが。
結婚した友達から言われました。
「30超えたら需要はない!恋人見つけて結婚するなら今が最後のチャンスだぞ!」
私、結婚願望ないのあなた知ってますがな…と思いつつ、
実は年末に男性とデートをして、恋人がいるってどんな感じなんだろう?
と変なベクトルに好奇心を掻き立てられてしまった私は、友達オススメのマッチングアプリを始めてみた。

そして今日、無事退会。
向いてない。
圧倒的に向いてない。

現在絶賛独身貴族の私は、誰かを必要としていないことに気付いてしまいました。
恋愛したいなって思うこと、あります。
誰かに心の支えになってほしいなって思うこと、ありますあります!
じゃあ恋人作ろうぜ?いや、いらないや!!
と、現在こんな心情でおります。
矛と盾にも度があるだろうと思ったあなたは何も間違ってない。

ただ、恋人、婚約者、夫ができたところで、多分私の不安感とか不信感ってなくならないのではないかな?と思ったのです。
だって、私誰かと長時間一緒にいるの苦痛じゃん。
ひとり大好きじゃん。
と、考えている時、ふと「私なんでこんなに人といるの苦手なんだろう」と思いました。
誰かと一緒にいたい、または、誰かと一緒にいても苦にならない、という人にならなければ、恋愛どころか友達とも長続きしないじゃないか。
これが私が恋愛しない、できない理由なのではないかと行きつきました。
どんな項目、感情にも「誰かと居たくない」が勝ってしまうのです。

どうしてこうなった

でも私には、ちゃんと心当たりがあります。
私は、他人から傷つけられたくない、裏切られたくないという思いが強い。
傷つけられるくらいなら、ひとりでいたい。
その強い思いを作り出した原因は、私の幼少期まで遡ります。

両親が離婚して20年経とうとしています。
私の中での家族に、父という項目がないのが当たり前になっている。
なのに私は、両親の離婚にまだ納得できていないことに、ようやっと気付いたのです。

もうすぐ小学三年生に上がろうという頃でした。
当時の私には、進級するワクワク感も嫌いだった担任と別れられる安堵感もありません。
毎夜毎夜、別室にこもって話し合いをする両親に気が気でなかったからです。
市営団地の狭い間取りだったから、部屋から聴こえてくる母の罵声と啜り泣く声は家中に響いていた。
弟は不安そうだけど、どうしようもないからひたすらリビングでテレビ見ていました。
けどたまに、チラチラ両親のいる部屋の方を見ていました。
兄は自分の部屋に篭ってました。
逃げ場なんてないけど、逃げたかったのかもしれないです。
かく言う私は、リビングと両親のいる部屋の前を行ったり来たりしていました。
泣いているであろう母に、ティッシュを届けたかったんです。
でも、結局ティッシュを届けることは一度として叶わなかった。

ある日、家族全員がリビングに集められました。
ソファなんて高級なものはないから、皆絨毯の上に正座して。

開口一番、父からの「ママとパパは離婚することになりました」
離婚なんて言葉、当時の私は知りもしない。初めて聞いた言葉。
なのに分かった。もう家族全員でいられない。
離婚理由は言われませんでした。
ただ、私達三兄弟は母と共に家に残り、父は近々荷物をまとめて出て行く事が告げられました。
両親が兄に何か言った。兄は下を向きながら一度頷いた。
隣の弟を見たら、ただポカンとしていた。
よく分かってなかったのだと思います。
当時、5歳くらいだったから無理もないよなぁ。
次に両親が私に声をかけてきた。なんと言われたかは覚えてない。
だけど私は
「嫌だ」
と返事したことははっきり覚えています。
「みんなと一緒に暮らしたい」
そう言った私に、何故か両親は薄ら笑いを浮かべていました。
なんで笑うの?内心で強く感じました。
ぼたぼたと涙が溢れてくるなか、私は言いました。
「私が悪いの?」
「勉強もっと頑張るから」
「お菓子ももう買わないから」
私の涙の訴えに、二人は薄ら笑い続けて返しました。
「別にあんたが悪いわけじゃないよ」
じゃあ何が悪かったのか。
二人は何も教えてくれないまま、さっと立ち上がって、
家族会議を終わらせてしまった。
たかだか10分程度の家族会議で、私の明日はガラリと姿を変えてしまったのでした。
何も納得できてない私は、しばらく動けず泣いていました。

少しずつ少しずつ、父のものが家から消えて行く。
最後の最後に、私の大好きだった、父の匂いが染み付いた枕がなくなった時、
私はもう二度と戻れないと悟りました。
一年くらいたったころ、離婚理由は「父は子供たちと遊んでくれないから」と言われました。
納得いくわけない。遊んでくれなくてもいいから一緒にいたかったと思い、
私はそんなくだらない理由で離婚した親を恨みました。

しかし、月日が流れ私が高校生のころ、
母は、さも知ってたでしょ?というかのようにさらりと爆弾発言をした。
「あんたのお父さんが不倫さえしなければね」
高校生にもなれば気付く。本当の離婚原因は、父の不倫。
子供と遊ばない=夫婦仲の関係悪化(仕方のない事)と捉えていた私にとって、
十数年も私を騙していたのかと、もともと不信がっていた母を
更に信用できなくするには十分でした。
父も父だ。私に一度だけ年賀状を送ってきたが、その内容は
「パパはずっと味方だよ」
酷い裏切りだ。
味方だと思っていた相手の不倫が原因で、私は何度も泣いたのだから。
その日、宝物だった年賀状を破り捨てました。

母にはすでに何度も裏切られていた。
味方だと思っていた父にも、十何年の時を超えて裏切られた。
私は「家族」というコミュニティそのものが嫌いになった。
家族なんていらない、作らない。裏切られるだけ。
家族が私に与えたものは、不条理や苦しみや、とにかくネガティブなものばかりだった。

私が、両親の離婚に納得するためには、
両親からの説明が必要なのだと思います。
なぜ本当の理由を言ってくれなかったのか。
なぜ私の意見を少しでも受け入れてくれなかったのか。
なんで笑っていられたのか。
泣いて反対していた私に何も思わなかったのか
なぜ三人も子供がいながら不倫したのか、できたのか。
それらの答えがもらえた時、私はもしかしたら「恋愛」を始められるのかもしれません。

でも、そんな機会があればいいのだけど、
そんな機会は一生訪れないんじゃないかな。
毒親と化した母とは極力関わりたくないし、
そもそも父がどこにいるのかも知らない。
私は、人の力を借りずにこの納得いかないことに納得していかなければならないのかな、と思っています。
それには、膨大な時間と精神が必要になるけれど、これを乗り越えない限り、
誰かと一緒に歩む人生は、私には考えられない。

友よ、すまん。
私30までに結婚出来なさそうです。



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