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私の話

私は書くことを辞めない。

小学校6年生の頃、私は社会を明るくする運動の作文で犯罪とまわりのひとというテーマで最優秀賞をとった。あいにく、中学受験があまり上手にいかなかった私を慰めるように母は「文才がある」と言ってくれた。母から褒められたのは久しぶりで思い上がっていた。昔から振り返りなどを書けば手が止まらないほど文章が書けたものだから本当に自分には文才があるのかもしれないと思った。母は「中学校でも作文で沢山賞をとれそうだね」と期待してくれた。私が通う中学校は推薦などがあるもので賞などをとれば有利になるのだった。私は意気込んで中学校に入った。
しかし、中学1年生で一度も賞をとることはなかった。夏休みの作文も学校内の弁論大会でも予選に出してもらうことさえ出来なかった。
私は中学校に入って友達ができた。同じ幹事委員会の友達。気が合って、自分と似ているような気がしてその子と一緒に過ごす時間は楽しかった。
でも、私とその子は全く違かった。その子は英語のスピーチコンテストにだって自分から参加していたし、漢字ではないけれど他のコンテストでも私は2問間違えているところを満点をとっていたし、成績だって私より遥かに良かった。そこまでは良かった。まだ私より劣っているところもあるし、同じラインに立てているだろうと。
同じラインになんて、いやそもそもその子のいる場所にすら私は追いつけていなかった。
その子は弁論大会で選ばれて見事学年2位をとった。
その発表をされた日、私はその子の顔を見ることができなかった。
なんとも情けない。
『私とこの子は生きる世界が違う。私と一緒にいたらバカになっちゃう。』
そう心のなかでずっと思っていた。
何日かたったある日、その子は私に聞いてきた。
「しつこかったかな?ごめんね、、」
全然しつこくないのに、心当たりも無いくせに。
私は本音を打ち明けることにした。
「あなたは私より何もかもが優れてる。一緒にいるべき人はきっと私じゃない。運動もできるし、勉強もできるし、性格良いし、面白いし、住む世界もまるで違う」
悔しくて泣きたくなった。
その子は真顔で私に言う。
「あなたから見た私は優れてたんだね。でも、私から見たあなたはもっと凄いんだから。人は他の人の良いところを見つけやすい。そして自分と比べがち。住む世界が違うとかそういうこと気にしていたら友達なんてできっこないよ。どんな時も自分を見つめて自分に自信を持つことが大切なの。」


やっぱりこの子には叶いそうにもないです。


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