見出し画像

失敗を怖れる子ども

私は極端に失敗を怖れる子供だった。
小学生の時、理由は忘れたが学校に遅刻した。「遅刻するくらいなら学校に行かない!」と母に駄々をこねたが聞き入れられず、強制的に連れて行かれた。学校に着くと、全校集会か何かで教室はもぬけの殻。しばらくして級友がドヤドヤ教室に戻ってきた時、なぜか涙が溢れてきた。「みず、どしたん?大丈夫?どこか痛いん?」と顔を覗き込んで優しい言葉をかけられた途端、大号泣した。

また、格子戸がある古風なお屋敷でのお茶会に連れられて行った時のこと。
案内されて、庭の長椅子に座っていたら、上品なお弁当が配られたのだが、膝の上に乗せて食べることが出来ず、お弁当を地面に落とした。係の人が慌てて新しいものに取り替えてくれたが、それも落としてしまった。恥ずかしくて情けなくて、「ごめんなさい」も言えずずっと下を向いていた。

そんな50年前の記憶。

厳格な母は、鈍臭さくてボーッとしている私が許せず、それは厳しく躾けて、どこに出しても恥ずかしくない「ちゃんとした子」に育てようとした。
母の期待に応えようとしたが、私は母の理想からどんどん乖離して、母を落胆させ続けた。
「失敗しちゃいけない」と思えば思うほど、失敗する。
「目立たないように」すると逆に悪目立ちする。

50年経って「失敗してもいい」「目立ってもいい」子供の頃にかけた呪縛を一つ一つ解放していったら、とても楽になった。

最初から完璧を目指すよりも、未完成なまま失敗を繰り返す方が、完成度は高くなる。

子育ても同じだと思う。
子供に「失敗させる」勇気と覚悟と、子供を信じて見守る愛が必要。
失敗から学ぶ。すると子供は自分で考えて自分で決めて自分で行動出来る子になる。それが自信に繋がる。
転ばぬ先の杖は不要なのだ。

母と自分を反面教師に、失敗と試行錯誤を繰り返しながら子育てに奮闘した経験も今となっては宝。

かわいい子には旅をさせよ
獅子の子落とし

先人の知恵は奥深い。


以上

「ふみサロ」リブリオエッセイ。
今月のお題は「失敗の科学」でした。

本を読んで「あーっ、私は極度に失敗を怖れる子供だったなぁ」と思い出したので、それをエッセイに書いてみました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?