マラソン未経験者がたった3年間でフルマラソン2時間32分で走った秘訣~追い込まない練習で速くなる理由~

 今回はフルマラソン未経験の5000m18分半からたった3年間で5000mのレースペースよりも速い2時間32分で走った男の練習方法についてお話をさせて頂きます。実はこの男、フルマラソン未経験と書きましたが、フルマラソンどころかハーフマラソンすら走ったことがないハーフマラソン以上のレース未経験男でした。この男がレースで走った距離は10キロが最長で、それも1本だけです。

 そして、この男の練習方法ほとんどが追い込まない練習で構成されています。ほとんどってどのくらいかと言うとざっくりと7,8割は追い込まない練習で構成されています。つまり、ほとんど追い込まない練習でたった3年間で5000m18分半から、それよりも速いペースで8倍以上の距離を走り切るフルマラソン2時間32分を達成したのです。

 このように書くとあなたは「えっ?一体どんな秘密があるの?教えて教えて」と気になったかもしれません。ですが、実は全体の練習の約8割が追い込まない練習であるというのは何も特別なことではなく、いわゆる競技者レベルではごく普通のことなのです。

 ここでいう、競技者レベルというのは全国高校駅伝を目指していたり、実際に出場したり、箱根駅伝を目指していたり、実際に出場したり、実業団選手であったりといったレベルの話だと思ってください。私はこれまでマラソンで2時間10分を切ったり、日本、オーストリア、ドイツ、ノルウェー、ケニアなど様々な国の代表選手になるような人たちと一つ屋根の下で同じ釜の飯を食う生活をしたり、100人以上のトップ選手たちと話をしたり、練習をしたりしてきました。

 そして、同時に様々なレベルの約数千人のアマチュアランナーさんと様々なやり取りをさせて頂きました。

 その結果として判明したのが、あまりにも多くのアマチュアランナーさんはトップランナー達を神格化しすぎているということです。いわゆる競技者と呼ばれるような人たちも基本的にアマチュアランナーさんと体は変わりません。にもかかわらず、あまりにも多くの人がトップランナーの人たちの体は特別で高強度な練習を毎日のように出来るけれど、アマチュアランナーには出来ないと思い込んでいます。

 事実は逆で、競技者たちは追い込む練習の比率が少ないです。キツイと感じるような練習の比率が少ないのです。そして、実はこれは効率が良いのです。何故ならば、練習量が増やせるからです。人間の体は強度を落とせば落とすほどたくさんこなせるように出来ています。そして、一般的には速く走るよりもたくさん走ることの方が簡単にできるようになります。

 このことはフルマラソンを走り切れる人はたくさんいるのに5000m14分台や15分台で走り切れる人はほとんどいないという事実をみてもお分かり頂けると思います。そして、レースではどれだけ速く走れるかを競うのですが、それをするためには先ずはゆっくりたくさん走れないといけないのです。

 今回のブログ内ではそれについて詳しく解説をさせて頂きます。

追い込まない練習で速くなる理由その1:代謝系の向上

 そもそもですが、中長距離走において走力向上はどのようにして起こるのかあなたはご存知でしょうか?

 一言で走るのが速くなると言っても短距離と長距離では生じている現象が全く違うのです。

 長距離走で重要なこととは自分が出場する競技種目の時間にわたってなるべく多くのエネルギーを生み出すことです。

 実際問題、1500mという大半の市民ランナーさんが走ろうともしないくらい短い距離であったとしても、短距離のレースペースを維持することは到底無理です。また、成人男性の大半に拳銃を突き付けて脅して死に物狂いで走らせれば5000mの日本記録のレースペースで100m走ることはそれほど難しくはないはずです(年齢にもよりますが)。

 では何故そのペースを維持出来ないのでしょうか?

 それは必要なエネルギーをその時間にわたって生み出し続けることが出来ないからです。走るというのは自分の体重を移動させることです。そして、重さ60キロの物体Aを1500m4分の速度で移動させるのに必要な4分間のエネルギー量は自ずと決まっています。

 では、何故必要なエネルギーを生み出すことが出来ないのでしょうか?

 例を変えてみましょう。例えば、3000mを10分ちょうど(1000m3分20秒ペース)で走れるけれど、5000mを16分40秒(1000m3分20秒ペース)で走れない時、一体何が起きているのでしょうか?

 普段ハーフマラソンやフルマラソンばかりやっている方からすると5000mという距離は非常に短く感じられ、5000mが遅いのはスピードがないからだと思いがちですが(言いがちですが)、このケースにおいてはスピードがないからという言い分は通りません。

 何故ならば、3000mまではそのペースでいけているからです。短距離の速度がもっと速いのは言うまでもありません。この時生じている現象は、仮にあなたの体重が60キロだとしましょう、体重60キロの物体Aを1キロ3分20秒ペースで移動させるだけのエネルギーを10分間は生み出せたけれど、16分40秒間は生み出せないということです。

 では、何故それまでは生み出せていたのに急に生み出せなくなってしまったのでしょうか?

 それは3000mまでは無理をしてエネルギーを生み出していたからです。無理をしてエネルギーを生み出すとはどういうことかというと酸素を使わずにエネルギーを生み出す無気的代謝を多く使っていたということです。

 人間の体には有気的代謝と無気的代謝の両方があります。酸素を使ってエネルギーを生み出す代謝の速度が有気的代謝、酸素を使わずにエネルギーを生み出すのが無気的代謝です。

 特徴としては、有気的代謝の方が長持ちするのに対し、無気的代謝の方が代謝の速度が速いということです。代謝の速度が速いということは単位時間あたりに生み出されるエネルギーが大きいということであり、単位時間あたりに生み出されるエネルギー量が大きいということは力も大きいということです。

 何故ならば、力とは重さ×速さだからです。代謝の速度が速いということは同じ体重である自分をそれだけ速く動かせるということであり、この場合重さが同じで速度が上がれば力が増したということになります。

 何故、わざわざこんなことを説明するのかと言うと、スポーツは必ずしも自分の体重を移動させるだけではなく、ものを使う場合にも当てはまるからです。

 例えば、野球のバットの重さは約900グラムですが、この900グラムのバットをなるべく速く振ろうと思えば、無気的代謝を使っているはずです。繰り返しになりますが、無気的代謝と有気的代謝の両方を使った方が単位時間あたりに生み出されるエネルギー量は増えます。単位時間あたりに生み出されるエネルギー量が増えるということは力が増すということです。

 では、この無気的代謝と有気的代謝の関係性はどのようになっているのかということですが、人間は基本的には有気的代謝しか使いません。日常生活では有気的代謝しか使わないのです。無気的代謝は非常時の為のストックのようなものです。人類の進化の中で使わないものはどんどん退化していきます。

 あなたは小指だけ曲げることができるでしょうか?

 原始時代には手を使って何か色々することが非常に多かったのですが、文明の発展とともに道具を使うことが増えました。これによって小指を単体で使う機会が減ったので、どんどん小指が退化していき、人によっては小指と薬指の腱がくっついてしまい、小指を曲げたら薬指まで曲がってしまう人もいるのです。

 否、そういう人もいるというよりはそういう人の方が現代では多いです。私レベルの未来人?になると小指を曲げると中指まで曲がってしまいます。このくらい使わない機能は退化するのですが、無気的代謝は日常生活ではほとんど使わないのに今でも残っています。それは何故でしょうか?

 それは何故かと言うと、非常用の備蓄電池としての機能を果たすからです。

 例えばですが、全力で走るような時には有気的代謝ではエネルギーをまかないきれません。まかないきれない分は無気的代謝から借りてくるのです。個人で言えば、お金持ちの実家、あるいは会社で言えば銀行のようなものです。足りなかったら少々は貸してくれるのです。本来は有気的代謝だけでまかなうべきですが、足りない時だけ無気的代謝から借りて来ないといけないのです。

 ただ、これは足りていないものを借りてきているだけなので、あとでちゃんと返さないといけません。全力で走った後は立ち止まった後もしばらくははあはあと言っていないでしょうか?

 立ち止まっているのだから、すでにエネルギー需要は安静時まで戻っているはずです。安静時まで戻っているはずですが、借りたものを返すためにしばらくは酸素を普段以上に体に取り入れないといけないのではあはあ言っているのです。クーリングダウンの目的も同じです。安静時よりも運動時の方が酸素が全身を巡る量は多いので、しばらくは軽く体を動かして体中に酸素をかけめぐらし、借りたものを返しているのです。

 では、借りたものを返さなければどうなるのでしょうか?

 借金の場合は、家に怖いお兄さんが来るとか、自宅が担保に入っていれば自宅が差し押さえられるとかあると思いますが、そもそもの話、私程度の財力しかなければ、1000万円程度しかお金が借りられません。1000万円くらいまでならば銀行の融資で何とかなるかもしれませんが、それ以上追加でお金を借りることが出来ないので、それ以上資金を増やすことが出来ません。

 実は中長距離走でも全く同じことが起こります。多少エネルギーが足りない分は無気的代謝から借りられます。しかし、これはあくまでも多少です。一定の限度を超えるとそれ以上は借りられないのです。

 3000mを10分ちょうどで走れるけれど、5000mを16分40秒で走れないというのは3000mまでは無気的代謝からエネルギーを借りてきてなんとか60キロの重さの物体Aを1000m3分20秒ペースで移動させることができるけれど、それ以上は出来ないという現象なのです。

 なので、あくまでも基本となるのは有気的代謝の力なのです。普段、ハーフマラソンやフルマラソンしかやらない方からすると、3000mや5000mはスピードというイメージがあるかもしれませんが、3000mや5000mも最大スピード≒最大筋力ではなく、有気的代謝の代謝速度で決まるのです。その為、基本的には3000mや5000mが速い人はハーフマラソンもフルマラソンも速いのです。

 これは有気的代謝速度の速さが800mからフルマラソンまでの基礎能力を決めるからです。

 ここで追い込まない練習で何故速く走れるのかの話に戻りましょう。追い込まない練習で何故速くなるのかというと追い込まない練習の方がこの有気的代謝をたくさん使うことができるからです。追い込まないということはそれだけたくさん走れるということです。人間の体は強度が低くなればなるほど長時間動き続けることが出来ます。

 単純に、100mのレースペースだとせいぜい200mまでしか走れないけれど、歩きならば簡単に数時間歩き続けられることを考えてもらうと分かると思います。そして、これも考えて頂きたいのは低強度なランニングであったとしても生み出しているエネルギー量は安静時の数倍になっているということです。

 低強度走でも心臓の一回拍出量は1.5倍から2倍ほどになります(鍛錬度合いによって個人差あり)。そして、心拍数は約3倍くらいになります。仮に、心臓の一回拍出量が2倍になって、心拍数が3倍になるとすると全身を駆け巡る血液量は2×3で6倍になります。酸素は血液によって流れますから、単純計算で約6倍の酸素が全身の細胞に供給されます。ということは、概算で安静時の約6倍の有気的エネルギーが生み出されているということです。

 そして、それが1時間も続けば安静時と比べるとかなりの量のエネルギーを生み出していることがお分かり頂けると思います。これは低強度走でさえもです。中強度走や高強度走であれば、もっとたくさんのエネルギーを生み出すことができるようになります。低強度走や中強度走の利点は一回の練習量を増やせることだけではありません。週間や月間の練習量を増やせることでもあります。

 疑いなく言えることは低強度走なら毎日出来るということです。中強度走でもやろうと思えば毎日やれるでしょう。一方で、高強度な練習は週に1回か2回くらいしか出来ません。

 ですが、中長距離走、マラソンの競技結果を決めるのはどれだけ酸素を使ってエネルギーを生み出せるかです。このためには練習の量が重要なのです。何故ならば、実際に酸素を使ってたくさんのエネルギーを生み出すことによって酸素を使ってエネルギーを生み出す能力が高まるからです。

 そして、繰り返しになりますが、週や月という単位で酸素を使ってエネルギーを生み出す総量を増やそうと思えば追い込まない練習=低強度走や中強度走を中心に練習を組むことが必須なのです。疲れ切ってしまうような高い強度の練習では練習の量を楽に増やすことが出来ないので、力がつかないのです。

 また、トレーニングというのはやったら必ず力がつくというものではありません。トレーニングというのはある意味では体を破壊する行為です。破壊という言葉が乱暴であれば、細胞への損傷と言っても良いです。細胞に損傷を与えると早く生まれ変わります。そして、新しい細胞に生まれ変わる時に、能力がついていきます。この時に考えて頂きたいのは以下の二つのことです。

1.細胞は1日に約1%生まれ変わる

 細胞は良くも悪くも1日に約1%生まれ変わります。1%しかなのか1%もなのかはよく分かりませんが、1日に約1%生まれ変わります。だからこそ、この時になんらかの情報が欲しいのです。細胞が生まれ変わる際には情報に応じてやや生まれ変わり方を変えます。この情報はポジティブなものでもネガティブなものでもあり得ます。

 例えば、勉強を頑張ればその勉強を頑張ったものに従って脳細胞が入れ替わりますし、トレーニングすればそのトレーニングに従って細胞が生まれ変わります。そして、何もしていないというのも一つの細胞に対する情報提供となります。ですから、何もやっていなければその機能は衰えていきます。0というのも一種の情報なのです。

 そして、過度なアルコール摂取や心身に対する過度な負荷(過度なトレーニング、殴る蹴るなどの身体的負荷、殴られる、蹴られる、悪口を言われる、強姦されるなどの心理的な負荷)はマイナスの情報として細胞が生まれ変わる際に新しい細胞に刻み込まれます。これが様々な心身の障害を引き起こし、スポーツ障害(内傷)やオーバートレーニング(トレーニングしているのに走力が低下する)などもこれが原因です。

 ちなみに、老化もこれが原因です。老化を避けることは出来ません。何故ならば、何も悪いことをしていなくても何度も何度も細胞が生まれ変われば一定の確率で複写ミス(転写ミス)が起こるからです。私が書いた文章を10人の人に転記してもらうよりも1億人の人に転記してもらった方がミスが起こりやすいのと同じです。回数が増えれば増えるほど転写ミスは起こります。

 ですが、単なる転写ミス(複写ミス)ではなく、明らかなダメージを与えても老化は速くなります。なので、過度なアルコール摂取や紫外線への曝露、心身のストレスは老化を早めます。

 話を細胞の生まれ変わりに戻しますが、細胞はだいたい1日に1%くらい生まれ変わるのですが、今日一日低強度走を30分でもした人はその30分間安静時の約6倍ものエネルギーを生み出したという事実が次に新しく生まれ変わる細胞に少しずつ刻み込まれていくのです。

 一方で、何もしなかった人は・・・使わない機能はなくしてしまえという情報が細胞に刻み込まれます。この積み重ねは非常に大きいです。

 ちなみにですが、低強度走で安静時の約6倍の有気的エネルギーを一分間に生み出しますが、5000mを全力で走った時のような高強度であればどうでしょうか?

 個人差があるのは当然ですが、私の場合でおそらく約8倍くらいです。低強度走が6倍なのに対し、5000mのレースペースでのインターバルのような高強度な練習でも約8倍程度でしかないのです。このことは非常に実感に反します。

 何故ならば、低強度なペース(心拍数が130を下回るようなランニング、私の場合1キロ4分半ペースでのランニング)よりも5000mのレースペースでのトレーニングは何倍もきついからです。何倍もきついにも関わらず、生み出している有気的エネルギー量には3分の4倍くらいの違いしかないのは非常に驚くべき事実です。

 ですが、事実は事実なのです。

 実際に計算してみましょう。先ず、およそ最大心拍数の60%で心臓の一回拍出量が最大に達します。心臓の一回拍出量が最大に達する時、非鍛錬者で安静時の約1.5倍、鍛錬者で約2倍(あくまでも概算)の一回拍出量に到達します。この時点で、全身を駆け巡る血液の量が二倍になります。

 次に、心拍数の方ですが、仮に私の安静時の心拍数を1分間に45回だとしましょう。そして、低強度走の心拍数が1分間に130だとすると約3倍です。ですから、2×3で約6倍です。

 次に心拍数が1分間に170に到達するような5000mのレース強度で考えてみましょう。この時、一回の最大拍出量は低強度走と変わりません。もうすでに、一回の拍出量は最大に達しているのです。次に、心拍数が安静時の何倍になったのかということですが、約4倍です(4倍になりませんが約4倍と言うことにして下さい)。

 そうすると、2×4で約8倍です。どうでしょうか?

 実感には反しますが、約6倍と約8倍の違いにしかならないのです。これはあくまでも全身を駆け巡る血液量の話なので、ヘモグロビンと酸素が結びついている割合やヘモグロビンの数、そしてヘモグロビンとミオグロビンと筋細胞の間でどのくらい酸素の受け渡しが行われているのか、活動筋細胞内のミトコンドリアでどのくらい酸素を使ってエネルギーを生み出しているかなどの細かい条件を考慮に入れる必要がありますが、同じ人間であれば、安静時と運動時に大きな違いは見られないはずなので、約6倍と約8倍になるという概算は間違っていないはずです(あくまでも概算ですから)。

 中強度の持久走(私の場合1分間の心拍数が145前後)はこの間くらいでしょう。ですから、1日に1%細胞が生まれ変わると考えた時に、一日にたとえ30分の低強度走でもやっているかやっていないかは大きな違いとなるのです。

 イメージ的に言えば、パソコンに何か情報を入力する際に、24時間の中でたとえ30分間でも異常値を示せば必ずそのデータは有用な情報として認識されますが、今日一日ずっと安静時に毛の生えた程度のエネルギー量しか生み出していなければ、安静時に6倍ものエネルギーを生み出す機能は必要ないと判断されるでしょう。

2.トレーニングはやることではなく、適応が大事

 二つ目の理由ですが、細胞が生まれ変わる際に適度な負荷は正の情報(ポジティブな情報)として入力されますが、過度な負荷は負の情報(ネガティブな情報)として入力されます。高強度な練習というのは適切に行えば正の情報(ポジティブな情報)として入力されますが、一歩間違えば負の情報(ネガティブな情報)として入力されます。新しい細胞に反映されるのは正の情報から負の情報を引いた分でしかありません。

 以上の二つの理由に基づいて週に2回の高強度な練習というのは苦しい割には身にならない練習であるのに対し、週に7回の追い込まない練習というのは楽な割にどんどん力がついていく練習となるのです。

無気的代謝は何故ずっと使い続けられない?

 無気的代謝は借金のようなものであり、非常時にエネルギーを借りてくることはできるけれども主たるエネルギーとはなりえないということを書きましたが一体それは何故でしょうか?

 それは何故かと言うと乳酸とプロトン(水素イオン)という副産物が代謝の過程で生じるからです。これらの濃度が上がると血液が酸性化(アシドーシス)します。ある一定の割合までであれば酸性化しても良いのですが、一定量を超えると代謝が阻害されます。代謝が阻害されるということは代謝の速度が落ちます。つまり、単位時間あたりに生み出されるエネルギー量が落ちるのです。

 ですから、一定量まではエネルギーとして使えるのですが、あくまでも一定量であり、これを早い段階で使い過ぎると生み出された乳酸のせいで代謝が阻害され、ペースダウンを余儀なくされるのです。オーバーペースだと後半著しく失速するのはこの過剰に体内に蓄積した乳酸が原因です。

 特に、ハーフマラソンまでのレースにおいてはそうです。フルマラソンくらいの距離になってくると別の要因も大きくかかわってきますが、ハーフマラソンまでの種目においてはそうです。

 ただ、ここでももう一度主題に戻って頂きたいのですが、乳酸が出るから出てきた乳酸に対処しようというのでは根本的な問題の解決になりません。無気的代謝はあくまでも借金なのです。足りない分を借金で一時的にまかなうのは全く問題がありませんが、根本的な問題はそもそもの収入が少ないことです。根本的な問題は収入が少ないことなので、収入アップ=有気的代謝の改善に取り組まないといけないのです。

乳酸は悪者ではない?

 この手の話をするとしつこいくらいに出てくるのが「最近の研究では乳酸はエネルギーに変換されるので悪者ではない」という意見です。最近の研究どころか何十年も前から乳酸がピルビン酸に変換されて、エネルギーとして使われることは知られています。

 ただ、問題は処理速度と生成速度のどちらが速いのかということです。乳酸をピルビン酸に再変換してエネルギーとして使う(処理速度)の方が生成速度よりも速ければ全く問題がありません。

 しかしながら、生成速度の方が速ければ、どんどん血中に蓄積されていき、血液の酸性化はどんどん進行し、遅かれ早かれ代謝が阻害されてペースダウンすることになります。

 そもそもの話ですが、最近の研究で乳酸がピルビン酸に再変換されてエネルギーとして使われることが分かったとしても、人間の体の方はたった数十年では変わらないのですから、何かがおかしいと思わないといけません。最新の研究では○○と言われる場合、大半は別に最新ではないか、眉唾物であるかのどちらかです。

 乳酸が悪者であるという表現が適切かどうかは別にして、血中乳酸濃度が一定の量に達すると代謝が阻害されてペースダウンを余儀なくされるということです。

 そして、血中乳酸濃度を除去するまでは代謝は正常に動きません。これが前半のペースは速すぎるよりも遅すぎる方が良いことの理由です。ただ、あまりにも前半のペースが遅すぎれば後半に取り返すのは難しくなります。ですから、基本はイーブンペースで、どちらかと言えばやや保守的であるのが望ましいのです。

血中乳酸濃度が上昇するような練習はやるべきではない?

 ここまでの話だけであれば、無気的代謝を使うことが絶対悪であるかのように思われてしまうかもしれませんが、血中乳酸濃度が上昇するような練習が絶対悪である訳ではありません。その理由は以下の二点です。

・実際のレースにおいては無気的代謝も使う

 無気的代謝はトレーニングではほぼ改善されないようですが、継続的に血中乳酸濃度が上昇するような練習をしていると体がそれに慣れていき、今までと同じ血中乳酸濃度でもペースダウンしなくなっていきます。あるいはより多くの乳酸を抱え込めるようになっていきます。これも競技力の向上に繋がります。

・無気的代謝を使う時、有気的代謝によって生み出されるエネルギー量も最高になる

 無気的代謝を使うのは有気的代謝だけではエネルギーがまかないきれないからです。ということはつまり、有気的代謝で生み出されるエネルギー量が現状の最高に到達しているということです。

 つまり、無気的代謝を使わなければいけないような練習においては有気的代謝も最高に使っているのです。ただ、この場合でも強度のコントロールは大切です。何故ならば、強度が高くなればなるほどその運動を長く継続することは出来ないからです。

追い込まない練習で速くなる理由その2:筋持久力の向上に繋がる

 突然ですが、あなたはペースさえ遅ければ脚が重くならずに20キロ走れるでしょうか?

 質問を変えると、あなたはペースさえ落とせば20キロ走で疲れが抜けるでしょうか?

 仮にペースが遅くても20キロ走で疲れが抜ける人と抜けない人がいます。それは筋持久力に差があるからです。いくらエネルギーを生み出すことが出来ても、筋肉の方がへたってしまうと走り続けるのは苦しいです。フルマラソンでこの現象を感じたことがある人も多いと思います。ペースを落とせば呼吸は回復するけれど、筋肉が限界を迎えていてどれだけペースを落としても苦しいし、なんなら歩いても苦しいみたいな状況です。

 安心して下さい。私もあります。フルマラソンどころか初めは9キロですら完走するのが苦しかったです。呼吸は楽でも脚がきついんです。脚がきつくて歩きたい歩きたいと思いながらなんとか走り切っていました。

 筋持久力はあくまでも筋持久力なのでまとまった時間走り続けることでしか向上しません。どれだけ科学が発達しても、短時間の練習で筋持久力を向上させることなど出来ません。そして、練習というのは反復によって力がつくので、多少短い距離を走る日と長い距離を走る日がありながらも、コンスタントにまとまった時間(30分以上)走ることで力がついていきます。

 ということは、練習頻度が大切であり、練習頻度が上がれば週間走行距離も月間走行距離も増えます。そして、頻繁にまとまった距離を走ろうと思ったら追い込まない練習を中心に組まざるをえません。だからこそ、練習の8割くらいは追い込まない練習であるべきなのです。

楽な練習だけで力がつく?

 追い込まない練習で力がつくという話をしてきましたが、では楽な練習だけで力がつくのでしょうか?

 答えはイエスではあります。楽な練習を積み重ねることによって、あるいは楽に走れる距離を徐々に増やし、楽に走れるペースを徐々に上げていくことによってどんどん走力は向上します。

 ですが、私はこの記事の中で敢えて楽な練習ではなく、追い込まない練習と書いてきました。それは苦しくなくても良いけれど、やはり一定の強度は欲しいからです。これが中強度という概念になります。

 中強度走というのは苦しくはない強度の練習です。従って、翌日に疲労が残らない練習です。たまに、「私のような市民ランナーは競技者レベルの人たちと違って頻繁に中強度走が出来ません」というお声を頂きますが、頻繁に出来ていない時点でそれは中強度ではありません。強度が高すぎるのです。

 中強度走というのは心身ともに負担を感じずに走れる強度です。ですが、楽でもないようなペースです。苦しくもないし、楽でもない強度と言われると分かりにくいと思いますが、問いを変えて「どのくらいであれば、心身に負担を感じずに速く長く走れるか、どのくらいまでの練習であれば翌日に疲労を持ち越さないか」と考えてみると答えは自ずと出るはずです。

 考えても答えが出ない人はペースを上げたり下げたりして、翌日に疲労が残るか残らないかを確かめてみれば良いのです。そうすれば、だいたいこのくらいが追い込まない範囲なんだなと言うのが分かるはずです。

 と言う訳で今回はマラソン未経験者が追い込まない練習を中心に組んでマラソン2時間32分で走った理由でした。最後に今回のブログ記事の内容についてもっと詳しく知りたい方にお知らせです。

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