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「本について語ること」がずっと怖かったけれど…。

先日、わたしの本棚に並べている本を紹介する記事を書いたのですが、予想を上回るたくさんの方々にスキをして頂けたことに驚いています。

また、素敵だなぁ、と憧れていたひいろさんのマガジンに追加されたことも本当に嬉しく思いました。
(ひいろさん、この場をかりてお礼申し上げます。
ありがとうございます!)

実は、自分が好きな本について記事を書くべきかどうかすごく悩んでいたのです。

というのも、子どもの頃から読書が好きだったのですが、自分が好きな本について話をして、周りの人から共感を得られた経験が少なかったから。

小学校5年生ぐらいのとき、推理小説が好きになり始めて、コナン・ドイルやアガサ・クリスティーの作品をよく読んでいました。
クリスティーの『そして誰もいなくなった』をはじめて読んだ後、それがどんなに面白い小説だったのかを母親に説明していたのですが、「そんなに人が死ぬ話ばっかり読むなんてあんた変やわ」と言われ、悲しい気持ちになったことをよく覚えています。
(念のために書き添えますが、母親とは良好な関係です。
機嫌が悪いときに話しかけてしまったために起きた出来事だと今は思っています。)

また、内向的な性格で友達が少なく、学校の休み時間は図書室で過ごすことが多かったです。
中学生に入ってからは、『源氏物語』などの古典文学を読むようになっていたのですが、クラスメイトに「何読んでるん?」と話しかけられて、自分が読んでいる本を見せたところ、「なんでそんなの読みよんの?」と笑いまじりに返されたこともひとたびならず…。
たぶん、わたしが読んでいる本に興味は無くて、図書室にひとりぼっちでいるのをからかいたかっただけなのですよね。

その後も、これらに類似した経験を何度か積み重ねました。

自分が好きなものを否定されると、自分自身を否定されているように感じてしまい、次第に自分が読んでいる本について話すことを控えるようになっていきました。
初対面の方に「趣味はなんですか?」と聞かれた場合は、「読書」と答えましたが、「じゃあ、好きな作家は?」と聞かれたら、本当に好きな作家さんではなく、誰もが知っているような文豪の名前を出して、それ以上会話が展開しないようにしたりとか…。

こうして書いていて思ったのですが、読んだ本の感想を誰かと語り合ったことって、これまでの人生でほぼ無かったかもしれません。

noteの記事を読むようになり、多くのnoterさんが好きな作品や作家さんについて語っているのを目にして、「良いなぁ。こんなふうに本について書けたらなぁ」と思いつつ、過去のことにとらわれて、なかなか書く勇気が出ませんでした。

でもある日、このnoteという場所でならきっと書いても大丈夫、noterの皆さんを信じよう、と思ってやっと記事にすることができたのです。

日に日に増えていくスキの数をみて、大げさではなく、自分の存在が肯定されたような、深い安堵の気持ちを抱きました。
これからも、自分が好きな本について書きとめていきたいな、と思っています。

読んでくださった方、スキしてくださった皆様に深く感謝しています。
本当にありがとうございました!





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