見出し画像

散りばめていく

noteに記事を書くようになって、ちょうど1年が経った。

たまに「何を書いていたかな」と思って自分の記事を読んでみることがある。内容を覚えていたりいなかったり。同じことを何度も書いていたり。めちゃくちゃだ。それでも、飽きっぽくて面倒くさがりの私がコツコツ書き続けていることは素直に「良くやったな」と思う。そしてそれは見てくださる方がいるからだろうな、と思う。きっと自分のノートに記録するだけでは3日ともたない…。

思ったことや考えたことを言葉にしてきたけれど、1年経って私の何が変わったのか、よく分からない。分からないけれど、とても変わったように思う。どこに向かっているのかな?と思うけれど、その日その日を過ごしていく。そして1日1回noteでつぶやいている。週末には記事をひとつ書いて公開する。

いま、私が感じていることは『いいことも信じてみよう』ということだ。

私は楽観的過ぎることもあるのだけれど、いい話を信じきれないところがある。例えば占いにしても「こんなことが起きるから大変だけど気をつけて」とあれば、信じる。けれど「今までの努力が報われていい結果を得られる」とあれば、そんなことないだろうと思う。未来についても、あまりいい想像をすることができない。どうしても案じてしまう。そして案じた挙句「どうでもいい」となる。実際の未来を迎えてみると、そんなに悪くなかったりする。

結局、私の思考回路の問題なのだろう。クセがつきまくっているので難しいだろうけれど、もうちょっと楽に過ごしていきたいので「悪いことと良いことの捉え方を修正できたらいいな」と思うのだ。「もういいだろう」と思うのだ。

「きっとnoteにこのまま書き続けていくだろう」と思う。と同時に「と言いながらも、すぐ終わってしまうかも」と思う。ひとつのことが思い浮かぶと、必ず逆のことが思い浮かんでしまう。その上で、悪いことの方が私に強い印象を残す。だけど実際はそんなに悪い人生ではない。そのことにやっと気づき出した。悪いことにフォーカスし過ぎるからしんどいんだろうな。

とてもとりとめのない記事になってしまった。
このところ、とてもぼんやりしている。
これから秋になり夜が長くなる。
このぼんやりが何に由来してどこに向かうのか。
また書いていこうと思う。
先のことは分からないけれど、何があっても面白さはあるはずだ。

散りばめられたものを遠くから見ると何かが浮かび上がることがある。
そんな感じかな。