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日本的な、余りに日本的な

僕の実家は、愛知県にある。

とても田舎だ。

一面が田んぼである。

実家は江戸時代から脈々と続いており、記録に残っている範囲では、父の代が8代目、僕の代が9代目だ。

実家と、実家が属する村には、古くからの慣習が今でも残る。

家は長男が継がなければいけない。

それゆえ長男は実家から通える大学・会社に行かなければならない。

一族の男子は、婿に行ってはいけない。

お盆と正月には、家族全員で、仏壇の前でお経を読まなければいけない。

兄弟であってもお金を貸してはいけない。

数多くの不文律が今でも脈々と言い伝えられている。

伝えられている家系図を遡れば、隣の家の人も、隣の隣の家の人も、そのまた隣の人も、血のつながった「親戚」であることがわかる。

「小作」の文化は今でも残っている。

田を耕す人と田を所有する人が違うことは普通のことである。

昔のように地主が搾取することはもちろんないけれど、地主と小作人の関係は事実上存在していて、「小作」や「小作料」という言葉は今でも使われている。

村にはドンみたいな人がいる。

寄合、地蔵盆、回覧板は今でも機能している。

村には、神社とお寺がひとつずつあり、村の人たち総出で運営している。

みんなで掃除したり、お祭りを企画・運営したりする。

村全体で子供を育てるという文化が深く根付いている。

しかしその反面、生まれた環境、育つ環境が同じであるため、村の同級生たちは、激しい競争にさらされる。

スタートラインが同じなので、自然と比べられやすい。

村の人は、数少ない村の子供を全員把握している。

どこの子がどこの高校に行っただとか、どこの会社に勤めているなどという話は村中に筒抜けである。

いろいろな問題はありつつ、みんな幸せに暮らしている。

日中は田んぼを耕し、夜は家族団らんを楽しむ。

村の人たちは助け合って生活している。

祭りはめっちゃ盛り上がる。

祭りの日は、どんちゃん騒ぎをする飲んだくれが村中にあふれて、みんな楽しそう。


そんな村で僕は育った。

この村では、前例と慣習がすべてだ。

いかなる法律や論理よりも前例と慣習が優越する。

日本は古代から、同じような環境に生まれて同じようなバックグラウンドを持った人たちが村を形成してきた。

国家ができる何百年も前から、村は存在していた。

明治の近代化の時に、日本は「国家」という法律によって定められたシステムを作ったが、それは古代から続く「文化」の上に成り立っている。

文化の上に国家を作った。

だから、法律や合理性の前に文化や慣習が優先する。

日本の文化とは、「婦人がふすまをあけるとき、両ひざをつき、両手であけるようなものである。立ってあけてもいい、という合理主義はここでは、成立しえない。」と司馬遼太郎は述べている。

日本は、文化と慣習と前例の国である。

考えてみれば、「家は長男が継ぐべき」という不文律も、全く合理的ではない。

なんとなくそっちのほうがうまくいったという前例があり、それが脈々と受け継がれているのだろう。


アメリカは、普遍的、合理的な国である。

世界から集まってきた多様な人々が、合理的な「法」を作ることで国が出来上がった。

どの国から来た人でもきちんと理解できるような、普遍的で合理的な仕組みが最初に作られた。

それゆえ、合理性・普遍性が、慣習・前例に優先する。

とある村だけで通用する不文律よりも、全人類が理解できる論理や法のほうが大切である。

司馬遼太郎は、「アメリカ素描」において、「日本はNationであり、アメリカはthe Statesである」という意味のことを述べている。

「natィブ(原住民)がいて、natュラルに存在」した国が日本である。

the Statesは、合衆国という意味である。法律用語であり、「法律によって出来上がった国」という印象を与える。

日本では村社会的な文化が優先し、アメリカでは合理性が優先する。

そんな国に生まれた日本人にとって、村社会的なコミュニティはとても気持ちいい。

私の周りの大学生を見ていると本当にそう感じる。

お金を稼ぐためにバイトをするのではなく、友達・恋人を作るためにバイトをする。

スポーツをするためではなく、友達・恋人を作るためにサークルに入る。

安心して所属できるコミュニティを、みんな探している。

日本人にとって、コミュニティに属することはとても気持ちのいいことだ。

同じような人達と同じような目標に向かって、同じようなことをするのが最高に気持ちいい。

良いとか悪いとかではなく、これが文化である。


僕が生まれ育ったような地域というのは、現代ではかなり希少なケースであり、ほとんどの地域で、「村」コミュニティは崩壊している。

明治以降、この国は工業化した。

村々で各々が農業をするスタイルから、都会の工場に人を集めてものづくりをする、というスタイルに大きく舵を切った。

これは日本が大切にしてきた、「村」文化の危機である。

村々の若者が、都会に行ってしまう。

田を耕す人材も、祭りを盛り上げる人材も、いなくなった。

こうして、日本における江戸時代的な「村」は崩壊した。


しかし、企業が「村」になった。

家や村的な企業の誕生は発明と言ってよい。

アメリカ・ヨーロッパにおいて始まった、資本主義や株式会社という概念を、日本的にアレンジした。

こうして、「村」文化は生き残った。

日本人は、新卒から定年まで同じ会社で働いた。

新卒という名の「村の若者」を上司という名の「村の長老」が教育した。

寄合的な飲み会が行われた。

このような企業システムが日本に出来上がったころ、世界は、いかにハードウェアを安く高品質に作れるか、という競争の時代に突入していた。]

日本のシステムは、この競争にとても有利だった。

ハードウェアの生産競争では、目標が決まっている。

つまり、「壊れない洗濯機を作る」、「燃費の良いクルマを作る」、「安くて画質の良いテレビを量産する」といった具合だ。

村の住民は、同じ目標に向かって、力を合わせることに快感を感じる。

みんなでカイゼンをしながら、一緒にハードウェアを作る。

ある程度個々の能力が高く、統制がとりやすく、足並みのそろった均一な人材が大量に求められるハードウェアの生産において、この日本的システムはとてもよく機能した。

日本企業が発明した「村」的なシステムは、世界を席巻した。


みんな、村的な企業に属していることが気持ちよかった。

上司は部下をおもんばかり、部下は上司に忖度し、毎週金曜日は飲み会に行く。

当時の人たちは、そんなコミュニティがとても気持ちよかったのだろう。

一体感があり、従業員は家族の一員で、だれも出し抜いたりしない。

それは、競争激しい資本主義の中に、社会主義的な価値観を内在させている。

企業は、競争にさらされることから従業員を守っている。

このように、日本が古代から受け継いできた、「村」という文化は形を変えて受け継がれてきた。


しかし今、ハードウェアを量産することが競争優位になる時代は、終わりつつある。

中国メーカーが高品質なハードウェアを日本より安く作れるようになってきた。

高品質なソフトウエアを作れることや、サービスをデザインすることに価値が移りつつある。

そんな時代の流れに合わせて、Google, Amazon, Facebook, Appleなど、ソフトウエア企業が台頭してきた。

日本メーカーの凋落に呼応するようにして、企業に内在する「村」は崩壊しかかっている。

日本人が気持ちいいと感じる村文化は、もう一度、存亡の危機に瀕している。

若手を中心に、転職を繰り返す人が増えた。

飲み会に行きたがらない人も増えた。

ワークとライフを分離して考える人が増えた。

一つの会社で60歳まで働こうという若者はほぼいない。

会社が楽しいものではなくなった。

社内のコミュニティが属しているだけで気持ちのいいものではなくなった。

みな自分の市場価格を気にするようになった。

転職の機会をうかがうようになった。

人が人を出し抜くようになった。

働くことが楽しくなくなった。

会社に行くのが、辛くなった。

「企業=村」的な社会はガタガタと音を立てて崩れていく。


今こそ日本人は、新たなコミュニティをつくるべきだ。

そうしないと、日本人の心の安寧が失われていってしまう。

そこにいるだけで無条件に気持ちよくて、そこにいればちゃんと生活が保障されて、やりたい仕事ができて、気の合う仲間がいて、経験者が若者を自然と教育して、みんなで助け合って生活する。

そんな、「村」を再構築しよう。

資本主義の激しい競争から身を守ろう。

だから僕らは、Rutenというスタートアップを立ち上げる。

Rutenはそんな「村」である。

Rutenでは、日本全国の田舎に拠点(Dot)を作る。

拠点(Dot)には、シェアハウスとシェアオフィスを作る。

そして、日本全国の拠点(Dot)をつなぐ(Connecting Dots)。

インターネット上での交流もあるし、実際に活発な人の行き来もある。

そこでは、新しいプロジェクト、スタートアップ、ベンチャー、仕事がどんどん生まれる。

例えば、広島の拠点(Dot)に住むAさんが新しいビジネスのアイデアをひらめいたとする。

そのアイデアをRutenのインターネット上に投稿する。

それを見て共感した、和歌山の拠点(Dot)に住むBさんや、群馬の拠点(Dot)に住むCさんが手伝いたい!と申し出る。

それぞれの専門性によって、AさんはCEO、BさんはCFO、CさんはCOOみたいにそれぞれ役割を決めて、新たなプロジェクトが動き出す。

さらにそのプロジェクトに、北海道の拠点(Dot)に住んでいる投資家のDさんがお金を出す。

このようにして、新しいプロジェクトチームがRuten内にたくさん生まれる。

Rutenを使っている人たちは、一緒にプロジェクトをやっているチームのコミュニティに属することになるし、和歌山や広島など、その拠点(Dot)内でオフィスや住む場所をシェアしている人たちとのコミュニティにも属すようになる。

さらには、地域の人たちとのつながりも持つことができる。

拠点(Dot)の周辺にもともと住んでいる人たちは、Rutenの建物に自由に出入りできる。

毎週一回、Rutenの建物の前で、市場が開かれる。

地域の特産品を誰でも買うことができる。

こんな風にして、Rutenの利用者間の出会いだけでなく、Rutenの利用者と地域住民の間の出会いも生まれる。

地域の特産品を使って、東京から来たRutenの利用者が新しいビジネスを始めるかもしれない。

こんな風に、私たちは、人もお金も仕事もRuten(流転)させる。

ありとあらゆるものが、ぐるぐる回る。

住みたいときに住みたい場所に住めるし、会いたいときに会いたい人に会える。

新しいことをするためにお金が必要な時は、お金を持っている人が出してくれる。

僕たちは新たなこの流転経済を、「流転資本主義」と名付けた。

人・モノ・金・仕事・アイデアがぐるぐる回る。

ぐるぐる回ることが価値になる。

Rutenの利用者は、地域の人、オフィスをシェアしてる人、以前一緒にオフィスをシェアしていた人、プロジェクトを一緒にやっている人、などいろいろな人と交流することになる。

自然発生的に無数の村=コミュニティが生まれる。

そして、Rutenという大きな村=クニにも属することになる。

息苦しい村からはいつでも離脱できるし、面白そうな村にはだれでも入ることだできるし、誰でも自ら新しい村を作ることもできる。

これが、私の考える、新たな「村」構想だ。

これが、Rutenの目指す世界だ。東京や大阪などの都会と比べると格安で、誰でも、Rutenに住み、仕事ができる。

これは、「村」を作るという、きわめて日本的な作業だ。

しかし、Rutenという価値は、世界中で受け入れられると思っている。

生活が保障されて、好きな時に好きな場所で好きなことが自由にできて、気の合う仲間に出会うことができる。

これは、普遍的に価値のあることだと思う。

競争につかれた人や、都会での気をすり減らす毎日にうんざりしている人には特に共感してもらえるはずだ。

東京やサンフランシスコにいなくても面白いことができるのであれば、田舎に住みたいと思っている人は多いだろう。

僕たちはそういう人たちの受け皿を作る。

Rutenという生き方の選択肢が存在するだけで、世界はハッピーになる。

だから、将来的には世界中に拠点(Dot)を作り、それをつないでいく(Connecting Dots)。

全人類の働き方を根底から変える。

Rutenは国境を越え、世界中に無数の価値あるムラを作っていく。


Ruten以前と以後で、世界は大きく変わるだろう。

みんな、幸せになろう!!

2019/8/11  流転左衛門たかお

【参考文献】
・司馬遼太郎(1989)『アメリカ素描』新潮社


あなたがサポートしてくれると、僕の怠惰な生活が少しだけ改善するかもしれません(保証はできませません)