光は、自らをマッチの火だと考えた。こうして神の子の寸劇は始まる

光はマッチの火を見て「この火をもっと強くし、大きくしよう。この火は私である、だからこの火が消えないように守ろう」というゲームを自ら始めたのだが、その選択をしたマッチを擦った本人は──無限なる光であり、一億の太陽を合わせても超えてゆくほどの完全なる存在──そのことをすっかり忘れてしまっている。
風が吹けば慌てて小さな火を守り、雨が降れば血眼になって安らげる場所を探す。嵐がくれば絶望し打ちひしがれ、晴れならばいかにこのマッチの火をより強大にするかを考えてにこにこする。火が大きくなるほど満足で幸せになれると考えている。
──しかし彼は自らの本質に気づくならば、全てが手に入る。
悩みと不安はなくなり、一時的な快楽に浸ることなく、永遠の喜びにひたるようになる。けれどマッチの火を自分だと同一視している限り、このゲームは続く。なぜなら彼がそれを望んだからだ。そしてその望んだことも忘却した。なぜなら覚えていたなら、この寸劇をはじめられないからだ。

こういうコメディを神の子は行っている。



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