愛するかどうかは相手が決めること。

愛される女になる、愛され妻、選ばれる女になる、本命女になる、・・・・

世の中の女性向けのあらゆるものによく見られる愛され〇〇。

特に、本屋さんの女性向け本、恋愛本は愛されというワードが出版に必要不可欠なのではないかと錯覚するくらい、女性にとって”愛される”ってパワーワードなのだなと感じる。

別に、愛されたいと望んでもいいし、それに向けて努力してもいい。私は、そういう行動をしている女性は素直に可愛いなとも思う。

でも、所詮人の気持ちというものは、どこまでいっても自分以外の誰かがコントロールすることはできないので、愛されること愛されたいと願うことにフォーカスするよりも、

自分が、楽しい、面白い、快適だと思うことをしさえすればいいんじゃないかと。

だって、楽しくて面白くて快適以上に幸せなことってある?

この三要素を常に自分で生み出し続けられることができれば、ずーーーーっとご機嫌でいられるから愛されているかどうか気に考えたりする必要がない。

”愛されている”という実感とか定義って、相手が起こした行動によってこうだ、と納得した上で起こるのであって、この考えだと、相手の行動や発言があることが前提になるので、どうしても、相手に期待したり、コントロールしたくなったりする。

そうすると、自分の望み通りにいかないことに対し、不満と不安でもやもやしてしまう。

なので、コントロールするべきなのはひたすら自分自身の行動と気持ちなのだ。

だからどんな男を選べば、楽しい、面白い、快適になれるかというと、

触ってて(自分が)気持ちよくなる男、見てるとつい触れたくなる男、見てて面白くて様々な解釈ができる男である。

相手に触れる、というのは伝えるのと違って容易に出来、劇的な変化もなく、主体的に自然にできる行為だ。

行動や発言と違って意思疎通も必要ない。(前提として、相手がその行為を拒否ししないという条件はあれども。)

私の以前付き合っていた彼は、後頭部から首にかけての感触がとても気持ちいいのでいつもそこに触れていた。

イラつくことがあったり、ドン引きしたりすることがあってもそこに触れてしまえば快適なので、OK。

ムカつくことやドン引きする発言を言い出したら、ペンギンがピョンピョン跳ねてると思って相手を見る。

私はペンギンが好きなので、相手を自分の好きな動物やキャラクターに見立てて、その様子を想像し、ひたすら可愛いと思うこと。それは自分が面白いという感情を作り出しているので機嫌よく生きられるのだ。

何が言いたいかというと、

相手から何かをされる、何か言われることで感情を左右されるより、要は自分でそれを作り出し、満たした方が早いよってこと。

これができれば、相手といるときの自分は、楽しくて面白くて快適でご機嫌だから、愛されていると同じレベルの満足感、幸福感を得られるということになれる。

そしたら自然と、世の中が提唱する愛されている行動や発言を相手がして来るようになる。

男女関係だけではなく、どんな人間関係でも、相手の言動に左右される人より自己完結できる人の方が愛される。

それができることが、精神的に自立しているということだ。

心というものは移り変わるのが常であり、自分の気持ちさえもわからなくなったりするくらい不安定で脆いものなのでそれを他者に求めたり期待することがどれほど愚かなことなのか。

己の苦しみや悩みは、99%自分自身が作り出している。

そのことに気付いた時、人は今よりもっと愛される。

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