2020年

去年の秋くらいの録画を見て、マスクしてないでロケをする芸能人が映ってた。

思わず懐かしいって言っちゃったなって。

夏には海外旅行に行けると思ってた。行きたかった。でも行けなくて、マスクも外せなくて悲しかった。

今年1番悲しかった事は、4月に彼と別れた事ではなくて、三浦春馬さんを失ってしまった事かもしれないって思った。それを思いながら紅白でJUJUさんが歌った歌がどうしても悲しくて悲しくって涙が止まらなかった。

会った事もない人だけど、大好きな映画で同級生を無くした男の子に、先生が"亡くなってから初めて知るその人の事の方が多かったりするんだ"って言ってたのを思い出した。


あと悲しかった事は、道路にタバコの吸い殻が落ちてた事。

たまに大量に落ちてる箇所があって、それがものすごく悲しかった。今度あったら写真撮って写真集にでもしたいと思った。それか全部拾って"クソ野郎"とかってタバコで道路に並べようかなって思った。


嬉しかった事は、友達が病んでいることを教えてくれたこと。理解してもらいないかもしれないけど、通勤の電車に乗ると吐き気がして会社に行かれない事を私に告白してくれたことが、悲しい事だけど嬉しかった。相談してくれる事は嬉しいことだった。

少し気が楽になれた事は、無理に恋愛しなくてもいいのかもしれないと思た事。

私はいつも誰かが決めたルールにいつの間にか支配されることがあって、それに気付かないことがある。気付いてしまうことが面倒で、誰かにそれを説明する事が面倒で、暗黙のルールに従ってしまう事がある。
そんな必要なんてない事と、そうしなかったからって世界中のほとんどの人は気にも留めないこと。

自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって誰がそれを責めますか。西の魔女が死んだ

っていう言葉に救われた。

誰にだって苦手な事があって、完璧である必要はない。完璧ってそもそも誰にとっての完璧なのだろうかって感じ。

ニンジンを食べられない、嫌いだからといって絶対に食べなきゃいけないルールはないし、大人に言われた事ができない事に落ち込む必要もない。

私の20代はコンプレックスや劣等感で溢れていた。こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけないでぐちゃぐちゃになってた。
それも全部、誰かが見た私であるために私じゃない誰かにならなきゃいけなかった。そうじゃないとダメだと思ってた。
いつのまにか覚えた正義だった。私の中にあった間違った正義をようやく少しずつ正せるようになった。

戦争がなくならないのと、人種差別が終わらないのには、それぞれ正義があるからなんだって理解できた。みんなそれぞれその人の中に正義がある。間違ってるかもしれないけど、間違ってるルーツを知ること、その人を理解する事が必要なんだなって思えた。

見かけは何一つ変わってないんだけど、考え方が少し変われた。

恋人と別れた事も、今はもう大した事に思えなくなってきたけど、学んだ事もたくさんあったので、悪い事じゃなかったと思てる。

次に出会うかもしれない素敵な人の為に、私たちは日々何か学ばなければいけなくて、自分の中の正義を正しく持つ必要があるのだと思った。

2021年はこれを生かしてもう少し考えて行動できたらな。と思う。

今年もよろしくお願いします。

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