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徒然なるままに記す ~子育てには主担当が必要だ~

私には、4歳4ヶ月になる長男グスタフと、1歳3ヶ月になる長女アマデという二人の子どもがいる。愛妻も健在で、一家4人で暮らしている。

私は、グスタフが1歳8ヶ月のときから3歳5ヶ月のときまでほぼ専業主夫をしていた。今は逆に愛妻がアマデの育休中であるため専業主婦をやってくれており、そうなるとどうしても子育て時間という意味では愛妻に偏りがちではあるが、それでも意識はグスタフの主担当だ。

巷ではよく、夫婦が同じレベルの意識で子育てをすべきであり、片方(主には父親が揶揄されることが多い)が「手伝い」感覚で子育てをやるようではダメだという風潮が強い。
私はこれに違和感を感じており、逆に、子育ては「主担当」が必要だと考えている。仕事に於いても、とあるミッションに於いてすべてを把握し動かしている「主担当」は一人であるはずだ。同じように子育てでも、どちらか片方が主担当となってすべてを把握し、片方は「手伝い」とは言わないが「副担当」となって補佐していく方が子育てはうまくいくと思う。(言わずもがなではあるが、夫婦の形は十人十色で、それぞれに合ったやり方がある。)

グスタフが生まれた2016年6月には、私は韓国で働いており、愛妻は日本に里帰り出産していた。私は毎週末のように日本に帰国していたが、それでも当然主担当になれるはずもなかった。
ただ、当時の愛妻は産後うつと呼んでよいのかどうかわからないが、本当に滅入っており、ご両親のサポートがある状況ではあったがそれでもいつ壊れてもおかしくない状況だった。それほどまでにグスタフ新生児期の子育ては大変であった。

そこで私は、急遽育児休職(韓国の会社ではこう呼んだ)を取ることにした。職場の人たちも賛成してくれた。グスタフ生誕1ヶ月半後からの1ヶ月強、愛妻の実家に同居させていただき、子育てに尽力した。子育ては最初の一ヶ月がいちばんしんどいと言われる中、そこを(週末以外)一緒にいてあげられなかったことは本当に申し訳なかったが、その育休期間は(上で書いたこととは矛盾するが)ほぼ「主担当二人」体制でがんばれたと思う。

グスタフが3ヶ月を超えたころ、一家3人で韓国に戻った。慣れない土地での子育ては本当に大変だったと思うが、韓国は子育てがしやすい国なのが幸いであった。私は自分が住んでいる日本という国が大好きではあるが、それでも子育てという観点では韓国を絶賛せざるを得ない。お店に子連れで入って嫌な顔をされることなど絶対にないし、道行く人は子どもや赤ちゃんに極めて親切だし、電車の入口でベビーカーが躓こうものならスマホを見ているオジサンですら飛んできて助けてくれる、そういうお国柄だ。私たちが子連れでの外食に抵抗がないのも、韓国での生活が影響していると思う。
街全体、国全体で子どもを大切にする意識が浸透しているのだ。ここは日本も見倣うべきところだと思う。(にもかかわらずあの出生率の低さだ。それを考えると、出生率を上げるのは、市民の子育て協力などがポイントではなく、やはり経済的安心感なのだと実感する。)

愛妻は元々、職場の「配偶者同行休業」という制度を利用して韓国についてきてくれていたが、出産に伴い育児休業時期にふたたび韓国に帯同してくれた。結果として、愛妻には3年8ヶ月の長きに亘ってキャリアを中断させることになってしまい、これも本当に申し訳なく思っている。彼女は出世など望んでいないと(おそらく心から)言っているが、それでもやはり長期的に見て収入にマイナスの影響があるのは事実だ。

話がズレたがそういうわけで、育休中である愛妻は、韓国で専業主婦をやってくれた。そのため、どうしてもグスタフの子育て主担当は彼女になってしまう。私も昼休みには自転車を飛ばして職場から帰り、愛妻とグスタフの様子を見るようにしていたが、日中のほとんどは愛妻任せだ。
グスタフは放っておけばずっと泣いているような乳児だったため、愛妻もあの手この手で外出するよう努めてくれていた。幸いにも、韓国でのママさんグループ(例外なく、夫が韓国で仕事をし、妻が主婦をしている人たち)に入ることができ、その点では助かったと思う。日本とは異なり、広いスペースを持つキッズパークのようなものがあちこちにあり、しかも格安で利用できるのも素晴らしかった。(返す返すも日本の子育て環境の貧弱さにはしんどい思いをする。)

グスタフが3ヶ月のときから1歳8ヶ月のときまで3人で韓国に暮らした。韓国に行く前は、当然帰国したら日本でも働くつもりでその手当もしてあったのだが、どうしても気持ちが乗らなかった。一方で、韓国の会社に退職を伝えると何故かしら慰留され(複雑な事情があったとは思う)、妥協案として休職することになったので、籍は韓国の会社に残したままとなった。形の上ではこれも育児休職となった。(グスタフの育休を再開させた形だ。〇歳まで、ではなく、トータル2年間まで取ることができるというルールであったため、グスタフが3歳半になるまで育児休職扱いとしてもらうことができた。)

ここで私の犯した痛恨のミスをご紹介したい。
2014年に韓国で働き始めたとき、会社から「雇用保険に入りますか?」と訊かれた。日本は(月に一定日数以上働けば)雇用保険(失業保険)に強制的に加入することになるが、韓国では自由意志らしい。私は、この会社を辞めるときは日本に帰国するときであり、韓国で再就職することなどなかろうと思い、雇用保険に加入しなかった。これが大間違いであった。
日本で言うところの育休給付金は、韓国では雇用保険から捻出される。ということは、雇用保険に加入していないと給付金が出ないのだ。最初に取った1ヶ月強の育休はまだしも、そのあとの1年7ヶ月に及ぶ育休は、ほぼ専業主夫として過ごしたため、ここで給付金があったら生活がずいぶんと楽だったろうな~とは思わずにはいられない。大きな後悔であった。

さて、日本に戻った2018年3月。この1ヶ月は愛妻もグスタフの育休中で職場復帰前だし、私もグスタフの二度目の育休中で休み。一家揃ってほぼ丸々1ヶ月お休みできることなんて人生ではなかなかないので、この1ヶ月は思う存分楽しんだと思う。もちろん子育て最優先なので、なかなか自由度も限られはするのであるが、それでも貴重な1ヶ月であった。
そしてこの1ヶ月の持つもうひとつの大きな意味。それは、グスタフの子育ての主担当を、愛妻から私にバトンタッチする期間であるということだ。4月からは愛妻が働き、私が主夫になるのだ。もちろんグスタフのすべてを把握し、グスタフを愛妻に預ける計画など勝手に立てず、自分が常に面倒を見る前提で生活をする。それが主担当だ。

この”引き継ぎ”がどれだけうまくいったかはわからない。愛妻から見て歯がゆいこともあったろうと思う。しかしながら結果として、4月からは私が主担当として子育てをしていたと思う。
いつからか、グスタフは、愛妻も認める完全なパパっ子になった。授乳期間が終わってしまえば、母親神話などというものは完全な幻であり、結局のところ長い時間を一緒にいた方に子どもは懐くのだ、と実感した。と同時に、主担当としてちゃんと子育てできている、と自信を持つことができた。

2019年7月、第二子アマデが生まれた。

幸いなことにアマデは、グスタフと違って極めて育てやすい子であった。個人差でここまで手のかかりようが違ってこようとは、子育てはガチャだと言われる所以を実感した。私たちが二人目だから慣れていた、というレベルではない。本当に子どもの気質が違うのだ。
もしこれが逆だったらすごいショックを受けただろうと思いつつ、この順番で本当によかったと思った。おかげで愛妻は、グスタフのときのように気を滅入らせることも少なく、アマデだけであれば彼女に任せてもまったく大丈夫な状況であった。

一方で、グスタフの私への懐きようは、日に日に強くなっていったと思う。ママでは御しきれないシーンも多くなり、一層、私がグスタフの主担当、愛妻がアマデの主担当という構図が明確になっていった。
何と言っても私は主夫(グスタフ育休中)で、愛妻もアマデの育休を取得し、我が家はダブルシュフだったので、祖父母や親戚などのサポートはまったく望めなかったものの、最強の子育て環境だったと思う。そんな中で、それぞれがそれぞれの担当の子どもを最優先に育て、もちろん家族であるから主担当でなくても精いっぱい関わり合った。充実した期間であった。

私の二度目の育休は、10月末に終了する予定であった。トータル2年ルールからは最長で1月くらいまで延長できたのであるが、諸事情から11月復帰を目指していた。
元々は退職するつもりだった職場であったが、育休に変更する際に「もし戻ってこられるとしたら(育休が切れるまでに)第二子が生まれて愛妻が同行できる場合に限りますよ」と伝えてOKをもらってあった。我が家は家族が離れて暮らすという選択肢を考えなかったからだ。そして計画通り、というにはあまりにも奇跡的であったが、ジャストなタイミングでアマデを授かることができたため、11月から韓国に復職しようと考えた。

仕事も職場も同僚も住環境も待遇も、なにひとつ不満はなかった。ただひとつ問題だったのは、グスタフの言語環境だった。残念ながら職場がソウルではないため、日本語でグスタフを育てる環境が得られないのだ。
愛妻がグスタフを一日中見るという選択肢は考えられず、結果として韓国で働くことを諦めた。「家探しまで来たのに、結局戻らないんですか?」と、同僚たちも驚いていたが、子どものことをいちばんに考える気持ちはすぐに理解してもらえた。
また、当時は日韓関係が最悪の時期だったので、私の周りでも韓国に戻ることを不安視する声が結構あった。もちろんそれらに左右されたわけではないが、戻らないことを後押しする要素にはなったと思う。

結果、11月中旬から、日本で働くことにした。そのあたりの顛末は以下の記事に詳しい。

それに先立ち、9月の末に日本での引っ越し先を探したときのことだ。
いろいろと物件をまず見ておこうと思い、職場の近隣県にある愛妻実家に宿泊させてもらい、家族を残して私ひとりで家探しに出たときのことだ。丸1日わたしと離れた経験がほとんどないグスタフが、夕方になって「パパに会いたい~」と言って泣き出してしまって手が付けられなくなってしまったそうだ。愛妻も祖父母もいるにもかかわらず、である。
パパっ子ここに極まれりだな~、と思いつつ、私がもう一度働き始めたらどうなっちゃうんだろう、と思うほどであったが、主担当とはそういうものであるという認識を強くした。

また、ダブルシュフ当面最後のチャンスであったので、10月には温泉旅行に出かけた。ここでも基本的には私がグスタフを見ていたのであるが、1回だけゆっくり大浴場に入りたくて、愛妻にグスタフを預けた時間(数十分だけど)があった。
なんとそのときも、グスタフが旅館のお部屋で「パパ~」と言いながら泣いていたと言うではないか。愛妻もホント困った様子であった。

昨年11月から再就職し、グスタフは幼稚園に通っているのであるが、思いのほか楽しそうである。幼稚園に通い始めて1年が過ぎたが、本当に楽しんでいる様子がわかる。本当によかった。朝は私が(皆が寝ているうちに)仕事に出てしまうことも多いため、起きて私がいないと「パパいない~」と泣くことはあるらしいが、それでも元気に毎日幼稚園に行ってくれている。
幼稚園から帰ってからは、愛妻がグスタフとアマデを一緒に見てくれていて、もう感謝しかないのであるが、私が家にいる時間はほぼ完全に分担制だ。グスタフの面倒は私が、アマデの面倒は彼女が見ている。
働いていてもなんとか”主担当”を続けていけていると思っているのであるが(特に休日はグスタフと二人でお出かけすることが極めて多い)、そうは言っても平日日中は愛妻のサポートあってのことだ。そこの感謝は忘れないでいたい。

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