テーブル
テーブルみたいな建築
2023
テーブル
世界の中に共生するということは、本質的には、ちょうど、テーブルがその周りに座っている人々の間に位置しているように、事物の世界がそれを共有している人々の間にあるということを意味する。つまり、世界は、全ての介在者と同じように、人々を結びつけると同時に人々を分離させている。
「人間の条件(ハンナ・アーレント)」
私たちは世界の中に共生していて、他者との関係を持ったり、分離されひとりになることができる。
高度経済成長期に一斉整備された郊外の住宅地にははたくさんの人と物理的に密集し生活しながら、同時に、そこには他人との関係が立ち現れていない。
テーブルは取り上げられた。
テーブルが取り上げられたまちでは、いきいきとした生活の一部はどこかに隠されてしまったかのように現象してこない。
隠された共通世界を取り戻さなければ、生活は起伏を失い、他人の立場に立って考える思考が欠損しかねない。
私が暮らす街で観察を続けているとそこにはささやかにもテーブルを設えられる人がいることに気が付く。
近年、私のまちで地域活動は精力的に取り組まれていて、住民の手によって作られた場に支えられた活動が展開されている。
それぞれの活動は一意に定義できないものなのだが、確かに工作物や場づくりに支えられた活動が現象している。
このまちの活動は連続する生活の中に紐づけられているのではないだろうか。
地域活動に出てくる住民は、顔を合わせる人皆が知り合いで、幾度となく立ち話をしている風景を目の当たりにしてきた。
同時に途方もなく繰り返される、まちの調整作業のような小さな活動の連続に強度を感じる。
このような繰り返される生活に強度を見出し、観察し、どこまでを建築的問題として引き入れるのか。
活動や振る舞いの強度によって建築は支えられ、建築はそこにあり続けることで活動を支える。建築というテーブルをつくる行為は、その契機としての価値がある。
私はテーブルを建築する。
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