夏

未来 東京大会2018記録(後編)

前編はこちら
https://note.mu/ry_memo/n/n8aae9bcf9f97

3)近藤とし子
  ただ君につかへてひたすらなりし日に未来の空白をあやぶみくれき
 この歌にかぎらず、「近藤調」に見えて仕方なくなる。人を出し抜くような、挑発的な表現を目指さなくても、自分の信じる道があるという頼もしさ。近藤とし子の歌風は、この最初期からほとんど変わっていないと思える。彼女の歌には、この人しか知らない、あるいはだからこそ知っているような「近藤芳美」の意外な一面がほとんど出てこない。世間的なイメージそのままの「近藤芳美」が歌の中に立っている。それはレリーフに象られた美しい横顔のようなものとして、かえってある種の凄みを含んでいるような気がするのだ。

 近藤とし子といえば、これまで聞いたエピソード的には「非常にマメな人」という印象が私の中にはあります。作品からにわかには読み取れないので、むしろこのほうが意外な一面かもしれません。たとえば、メモ魔だった。たとえば、書き物から観劇チケット類まで、ありとあらゆる芳美の資料を整頓して取っていた(NHK「あの人に会いたい」で映った詠草も、間違いなくとし子が保管していたものだと思う)。もっといろいろな話も知ったけれど割愛しておきます。

4)福田節子
 才能に恵まれながら、結核で若くして世を去った作者。

 祖母に似て目がかがやくといふ母よ私はあなたに似て居るのです

「男の方は皆可愛いですよといふ気持ち我にもあるを読みつつ思ふ」という歌もあるが、このような口語文体がこのころどのように浸透していたかに興味がある。いま読んでもまったく無理がないことに驚かされる。岡井隆が福田を偲んだ連作「小平墓地」(改作の上『斉唱』収録、大辻隆弘『岡井隆と初期未来 若き歌人たちの肖像』より)でも、「~ですよ」といった語尾が何度か使われているようで、この口ぶりは彼女の発明だったのかもしれない。もしくは口癖かも。掲出歌は祖母‐母‐娘という母系の連なりの中で、複雑な思慕が繰り広げられる。作者が若くして亡くなったことを思うとなおさらたまらない。

5)真下清子
  頬埋め眠れば夜具の衿匂うすでに少女にあらぬ我の香
 「一番歌がうまかった」と評されて納得の作者だった。固有の文体も着眼点もあり、「山」という一大テーマすら獲得している。「未来」の前衛路線に追従せず、アララギへ戻ったらしいとの話もうなずけるといえばそうだ。
 あまたの冒険家を知っているにも関わらず、マンガ版で『神々の山嶺』を知るまで、私は登山のことをどこか牧歌的な営みだとばかり思っていた。というか、厳しい挑戦を続ける「プロ」と「アマチュア」の間に、なにか歴然とした差があるものだと信じ込んでいた(どこかで聞いたような話)。同書を読んで驚いたくだりは、うろ覚えだが「『山屋』が仲間の死を語るときはどこか明るい」といって、事故死した友人の思い出話をあたかも酒の肴にするかのように話しあう場面。死と生が当たり前に隣り合うとこんなふうになるのかと思った。
 真下の歌にもこういった感覚はあるようで、爽やかながら、里暮らしに慣れ切った私には少しぞっとする。
  山にいのち了るもよしと思ひたる少女の日より一人なりにき

6)山口智子
  つづまりはわが利用されし型にて今日聴く彼の新しき学説
 この歌は少し説明が必要で、薬剤師(研究職ということだろう)として働く〈私〉の研究成果が、結局のところ男性たる「彼」に「利用され」てしまったというような意味合いらしい。「学説」って世間にはノーベル賞の時期くらいしか出回らないし、それだけで硬質な、しかし憧れに満ちた響きがあります。でも利用されているという悲しさ。
 同じく「職」をテーマにした歌でも、こんな歌は私にもよくわかります。「フラスコ洗ふ」に落ちたところが読んでいて気持ちいい。
  肩よせてゆきし記憶に苦しめばながくかかりてフラスコ洗ふ

 作品と作者の関係とか、作者の実生活をどこまで参照すべきかとか、あちこち考えが散らかってしまってどうも書きにくいのですが、最近よく考えていることではあります(こう表現するのに30分費やしました)。なのでこの日読まれた歌人のなかでも約一名、どうしていいかわからなくてここでは取り上げませんでした。いつの日か思いの丈をまとめられたらと……。短歌って、「短歌の外」がめちゃくちゃデカくないですか? 

7)湯村永子
 レジュメに引かれた中にはかわいらしい恋の歌が多く、初期の「未来」はゴリゴリの社会詠ばかりだと思っていたのでまずそれが発見でした。このころの自由恋愛の雰囲気がいまいちピンときていないけれど……。

  すりしマツチに一瞬君が顔浮きぬ吾待ちて佇つ樹の下にして

 写生でもないし、でもなんだかすごく書きたかったのかなと。マッチの炎に「君」の顔が浮いた気がする、ではなくて、浮いたらいいな、ですらなくて、浮いたことにした歌を書きたかった、という感じ。
 個人的にはこんなドライな歌もいいと思います。

  煮沸せし液冷ゆるまでしばしあり一人屋上に髪吹かれ佇つ

(終わり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?