高校生の時、写真をはじめました。伊那とか、身の回りの記録になればと思います。時々、加筆…

高校生の時、写真をはじめました。伊那とか、身の回りの記録になればと思います。時々、加筆修正します。

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田舎!の中をモノクロームで撮影してみる

どこにでもあるような田園風景を、雨の中撮影してみるだけで少し違って見えてくる。自然の形。自然の匂い。 モノクロで撮影すると形がはっきり見えてくる。同じように穂が垂れ、あともう少しで収穫の時期になることが分かる。 あともう少し。つやつやの飴色りんごタルトが食べたい。 アスパラガスが育つ。こんなに繊細な植物なのか。知らなかった。 用水路に映る影。太陽が、朝、しっとりとした光線を放ち、昼強烈に照りつける。 雄大な自然のふもとで営まれる生活。ゆっくりと時が進む。雨が降り、き

    • 結果が予期できたら、コントロールしたくなる

      情報からは戦略が生まれる。多分勝手に、頭が動き出す。無意識のうちに、どうすればいいのか考える。 後悔が多いのは羨ましいことかもしれない。そういうときにしか、客観的に自分を振り返ることはできないと思う。 うまくいかないときの劣等感、今までの基礎部分をはじめて気づくことができる気がする。プライドを折られた(?)様なとき、自分のしていること、他のしていること、その基礎の部分を含めた上で、大きな範囲で捉えられる気がする。前提条件はいつも隠されていて気づくことはできないし、そのことを

      • モーフィングとか

        写真にはインタラクティブな点が乏しいと感じる。他の人が作り変えてくれる機会は少ない。立ち止まらせて自動的に考えるような仕掛けづくりとは何だろう。でも、そう思う他の人の足跡を追い、二番煎じをしてしまうかもとふと考えてしまう。 信念は持っていなきゃだけど、自信はあっても仕方ない。単純な面白さを求めることに意義があると思う。 全般にいえることだけれど、考えるのを止めてしまわなければ、より良い答えが見つかるはず。 ある事柄について呼び出されたとき、すぐに反応してしまうくらいが本当

        • 秘密と理解 あるいは隠蔽と発見

          他者理解のためとか言って、秘密を探ろうとする行為とは何だろうか。受け手は、秘密を知って単なる気晴らし? 本人が好きなものの範囲は狭いから、嫌いなこと(と先入観だけで判断しているに過ぎないから)をやらせたら案外楽しいという話は結構面白い。 他の人の価値観に潜り込んで、良い影響や悪い影響を与えるという行為。あるいは、自発的に、異質なものと交わろうとする行為はどういう結果をもたらすのだろう。 整えられた多様性の受容、というか、ふとしたときに気づいたら色々染みついてしまったなと

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        田舎!の中をモノクロームで撮影してみる

          投下 時間

          自分ではなく作品が中心になるっていう考え方結構しっくりきてしまった。どうあるべきかということを考えた方が、結構しっくりくる。当たり前のことをしっくりくるように(もっと言えば浸透するくらい)分解してしまうなんて魔法なのではないかと思う。この魔法を使うには、割とべき論が必要になってくることに気づいた。 毎日は同じだから、毎日はパラレルワールド。なんとなく同じ夢を見ているような錯覚で2020年を生きてしまったから、どうすればいいんだろう。始め感じた、ぼやっとした断絶が、濃淡はあれ

          投下 時間

          なじむ

          水平思考みたいな話あんまりうまくできない。基本はできても応用はできない。気づけば当たり前みたいなことが多い。 普段やらないことは当然できないし、これはあんまり良くない状況だと思う。 成熟とは、やってないことを今まで自分がやってきたことを組み合わせてなんとかやってみることらしい。初めてだけどなれている感じが、いいらしい。あんまり焦らなくなるらしい。焦るっていうのも良いことだしみたいに言い聞かせてなんとか生きてみようかと思う。なんとかなんて大げさ。 受け手としてみてみると、

          なじむ

          ヒューリスティックみたいなこと

          他人と言うと拒絶反応を示されるけれど、他者と言えば示されない。コロケーションとか考えてものを言わないといけないけれど、日常的に考えている言葉を翻訳してしまうのはなんか変なような気もする。外側から形作られていくが、どこかで平衡状態を保って今がある。 写真とか言う捉えどころのないもの。メディアとして最近消化できるようになってきた。報道写真は勝手に切り取られてかわいそうなんて考える人もいるようで、安心してしまった。平たく言えば、魂を吹き込むということ。だけれど本当は、自分はこう思

          ヒューリスティックみたいなこと

          「必然ではないこと」と「偶然であること」

          日々の生活は何もかもが必然ではないが、すべて偶然としては受け取れない。ついつい、全体と部分の関係を誤解してしまう。絡まって複雑怪奇な現実なのに自信を持って生活するなんて無理。 引っ張りに強い鉄筋と圧縮に強いコンクリートみたいに、強さとしなやかさは同時に持つものもあるけれど、人間はそう柔軟に生きられない。 こういった矛盾したものの関係。捉えきることができないが、色々あると思う。感じられたものがすべてではないから、分からないものをそのままにしておく。 言ったそばから陳腐化し

          「必然ではないこと」と「偶然であること」

          「こなす」という力の抜き方

          力んでしまって、気を遣い過ぎるのは他人に対して良くない行動にも関わらず、それを選択してしまうのはなんでだろうかと自分なりに考えてみる。 ものすごく深い森に来ると何というか大声で歌いたくなってしまう。声で距離を測りたくなる。吸音する空間。有機的なくさびが立ち並ぶ空間。幸い道には迷わないけれど、太陽の位置はあまり分からない。方角も分からない。何というかそういうときじゃないと解放されない。 正しいと分かっているときはあえて一歩踏み出したくない。勉強しなきゃなのにしないとかそうい

          「こなす」という力の抜き方

          疑問

          どういう作業をすれば、質感が生み出されるのだろうか? どういうときに写真から空気感を感じ取るのだろうか? よくわかんないくせに偉そうなこと言ってしまった 光の向き、流れ、うまいタイミングが訪れてくれないといけない。それに外れたものは無駄と考えてしまっているので(まとめているときその傾向があると気がついた)、効率とかは度外視なんだろうなあ。 存在を残す。その瞬間を後々再解釈するために必要な作業。フォトコンとかに入賞すれば良いんだけれど、どうも難しすぎて向いていない気がする。

          疑問

          秋ぐらいしか、いい季節はない。

           これまでで一番、トーンがごちゃごちゃな写真を雑多に並べて、どうしたものかという感じ。 同じ道路を走っている。前の車が近づいたり遠のいたり。 アルピコバスが本領発揮。格好いい。 秋のディテール。湿気が抜けているのがまた美しい。 消失点は二つなのか? 行事があるし、空気は冷えているし、何というか色々条件が重なって記憶に残りやすい季節。 レンズの描写力が上がって、何気ないものも取りたくなってくる季節。写真の秋。 柿とか自転車とか色々引きつけられるものがそろう季節。

          秋ぐらいしか、いい季節はない。

          下書きに溜まっている記事をどうまとめていけばいいんだろうとか、躓くことは大体同じ。最後の詰めをどうしたらいいかということにエネルギーがものすごく割かれる。というか吸い取られてる。そんなことあっても時間は無慈悲にも進む。好転しないかなあ。道中の紅葉をみて、心が和らいだ。

          下書きに溜まっている記事をどうまとめていけばいいんだろうとか、躓くことは大体同じ。最後の詰めをどうしたらいいかということにエネルギーがものすごく割かれる。というか吸い取られてる。そんなことあっても時間は無慈悲にも進む。好転しないかなあ。道中の紅葉をみて、心が和らいだ。

          写真を撮るとかどこかに押し付けがましさがあるので、辛い。完全な自然なんてないけど、もうちょっと息を吸うようなものをできたらなあと思う。もっと別の方法を試していかないといけない。その場所にあった形?精神?向き合い方?わからない、つかみどころのなさが面白くする気がする。

          写真を撮るとかどこかに押し付けがましさがあるので、辛い。完全な自然なんてないけど、もうちょっと息を吸うようなものをできたらなあと思う。もっと別の方法を試していかないといけない。その場所にあった形?精神?向き合い方?わからない、つかみどころのなさが面白くする気がする。

          Lightroom中毒とか言うとなんかすごく非難されそうな気がするけれど、結局何撮ったか忘れて「色いいね」みたいなのしか残らない危惧。写真のミニマリズムは進み、プリセットの使い回しをし、「自分の写真を自分が真似して写真撮る、加工する、共有する、いいねもらう」それもいいけれど…

          Lightroom中毒とか言うとなんかすごく非難されそうな気がするけれど、結局何撮ったか忘れて「色いいね」みたいなのしか残らない危惧。写真のミニマリズムは進み、プリセットの使い回しをし、「自分の写真を自分が真似して写真撮る、加工する、共有する、いいねもらう」それもいいけれど…

          新しいカメラを買った5月。前のカメラを手放した5月。写真を撮らない生活を送って少し健康になったような気もすれば、心が貧しくなってしまったような気がする。

          新しいカメラを買った5月。前のカメラを手放した5月。写真を撮らない生活を送って少し健康になったような気もすれば、心が貧しくなってしまったような気がする。

          街・人を再構築する.(機器を通して)

           他者になったつもりで、他者の視点から風景を眺める。そうすると、「発見」が増える。普段通りをできるだけ避けて、旅人みたいに、常に窮屈さを感じながら行動してみる。 他の人は、私が決して思いつかないような(すごい!)方法で活動している。そして合理的な方法を編み出して、既知の門をたたき、未知の領域の方へ向かう。  子どもの視点に立って、物事を再構築してみる。子供がどのように感じているのか、原始的な退屈な体験を思い出し、自らと一緒になる。自他は隔てずに、時に感じているだろう恐怖感

          街・人を再構築する.(機器を通して)