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Twitterをやめてよかったこと、困ったこと。

早いもので、Twitterをやめて1年以上過ぎていた。
暑い夏の盛りにやめたと思ったら、秋になり冬が来て、年度が変わって元号も変わり、また暑い夏が来たと思ったらとんでもない台風までやってきて、今日は少し肌寒い。
つまり、私がTwitterをやめて、それぐらい経っている。

やめている、と言ってもブログやnoteの更新通知は放流しているので、もしかすると表面上はアクティブ感出てるかもしれないし、あー宣伝ツイートだけ流すアカウントになってしまったのねーと思われているフォロワーの方も多いのではないかと推測する。すいません。

で、Twitterをやめてよかったのは、なんか心がギスギスしなくなった、気がする。
もっと直球で言えば、訳知り顔で個人的意見をさも絶対的正義であるかの様に開陳するようなツイートを目にすることが減った。

「嘘を嘘と見破れない人には(2ちゃんねるを使うのは)難しい」とは有名な言葉だが、2ちゃんねるに限らずTwitterにおいても要は情報の取捨選択がネット活用のキモであり、私自身はそれが出来ていたと自負するものではあるけれど、それでも尚「そういう」ツイートを目にしているだけで、知らずに感情にダメージは蓄積されていたのではないかと思う。
なので、デトックス久しい今、そういったツイートをたまに見ると「うげっ」という気持ちがする。

つまり、私が健全になってきている証左だ。

さて、Twitterをやめて困っていることも書いておこう。

まず、情報を集めるのが大変。というか、Twitterを使っていた頃は自然に「興味の有りそうなことが流れてくるタイムライン」が構築されていたので、そこには有用な「気づき」が溢れていた。
しかし今はそれが無いので、どうしても自分が興味を持って自ら調べにいかない限り情報が得られない。従って、ある程度の時間が経ってから「え、そんなことがあったの?そんな商品が出たんだ?!」みたいなことが起こる。
これは、新しもの好きとしては結構困るところ。

あと、やめてしばらくは、情報のシェア先が無くなってちょっと戸惑ったことも多かったけど、実はこれは慣れてしまった。
Twitterでは短文をタイムリーに書くことが美徳だと思っていて、なので条件反射でツイートすることが多かったように思う。アウトプットという観点では、もう少しゆっくり、そして言葉を尽くして書いたほうがいいんじゃないかな、と思うようになってきた。

そんなこんな言いつつ、まぁ、note はやってたりするわけですが。

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