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好き嫌い・全体と個人・発言と行動

とある精神・心理について考える。
内容が内容だし、もし不快方向に気になったら、途中で読むの止めてくださいね。と一応。


「これをする人は嫌だ」とはっきり言う人

とある人は、自分が嫌なこと・もの・人について明確に発言をする人。
ただ嫌だというだけでなく、友人知人にもしない方がいいとアドバイス的に発言をする人です。

もし反対意見が出た場合、徹底して攻撃するぐらいには、その意志は強固なものと言えます。

実際にしている人には口を出さない?

一方で、「これをしている人」が身近にいる場合、その人へ面と向かってやめろとは言わない傾向にある。

嫌悪はあくまで個人的な価値観なので、行動に出ないのでしょうか?
でも、全体へ向けて「やらない方がいい」とは言う

単純に、その身近な人が「これをしている」と気づいていない、あるいは忘れている可能性もありますが。

積極的かつ受動的?

意見は、反対をねじ伏せるまでに、改心なんて絶対にしないという立場。
一方で、自分から「嫌なことをしている人を辞めさせよう」という行動には出ない。

あるいは、必ず返答が来るやりとりである1対1にはとことん弱いのか。
全体へ向けての批判がそもそも愚痴でしかないのか。

また「当然周囲は、全員が自分の発言を見ているのだから辞めるだろう」という受け身(かつ上位)な部分もほんのり感じます。


私個人の前提価値観

何で気になったかというと。

私個人としては、何か嫌なことがあった場合、
・嫌とは言っても全体に強要発言はしない
(批判だけならともかく、周囲に「止めろ」という行動を求める発言をしない)
OR
・そこまで嫌悪すべきことなら、個別にも止めるよう促す
どっちかじゃないのかなあ。
という疑問から、ちょっと考えてみた話。

なんかこう、言うだけ言ってスッキリ♪な部分がないとも言い切れず。
ゆえにそれ自体がただの愚痴可能性、あるいは「全体に改心促す自分は善」みたいな可能性もあるわけで。
愚痴でしかないからこそ、反論が来た時に、過敏になるって部分もあるのかな。

それをやっている人に促さないのはもちろん、自分から距離を置く、関係を絶つようなこともしてないんですよね。
このままの距離感だと、「やっている人の全体への発言」などから、いずれ目に入ってしまう可能性があります。
それなら自分から離れた方が、嫌な気分を味わうリスクは減ると思うんですが……。

むしろ超攻撃的な発言によって、周囲の方が離れていくというか。
もちろん、それも追わない(文句は言うけど)。
受動的どころか、相手からの攻撃以外の反応には完全に動かない、防御姿勢って感じでしょうか。


このテキスト自体が、考えすぎと言われればそうなんですけど。
(私はその人に発言を辞めるよう言わないのかと言われれば、むしろ攻撃怖いからこそ言えないです。傍観してる分には無害というのも、特徴ですかね。)
でもシンプルな動機、その人の気分にしろ性格にしろ、「そうある理由」について、ちょっと想像を巡らせてみたくなりました。

今ちょっと、そういう精神面の方に興味があるってのもあって。


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