藤のトンネル

「目からウロコが落ちる」インタビュー ③ノンフィクション作家 門田隆将氏

そこが聞きたい!インタビュー

埋れた「毅然と生きた日本人」を世に出すことで

「これが本当の日本人だ」という姿を今に伝える

ノンフィクション作家 門田隆将氏


スポーツ、社会、歴史などジャンルを問わない門田氏のノンフィクション群は、その徹底した取材手法で克明に事実を伝え、数多くの感動を呼ぶ。ノンフィクションジャンルに懸ける思いと、テーマの「毅然と生きた日本人」発掘の舞台裏を聞く。

平成27年10月30日に福岡市で開かれた講演会(創の会=代表世話人・堀内恭彦弁護士 主催)で来福時にインタビュー

日本人の本義

―今月に新刊「日本、遥かなり」を上梓されますね。

門田 この本のサブタイトルに、「エルトゥールルの“奇跡”と邦人救出の“迷走”」とあるように、1890年のトルコ軍艦エルトゥールル号遭難事件から95年後の1985年、イラン・イラク戦争時にトルコ政府によるイランからの邦人救出、また湾岸戦争の「人間の盾」、イエメン内戦、カダフィ政権崩壊によるリビア動乱など、邦人の命が見捨てられるという事実を書いています。今回の安保法制の自衛隊法改正で在外邦人救出に必要な武器使用が認められて、これまで正当防衛など「自己保存型」の武器使用から、武装集団を武器で排除する「任務遂行型」を認められたわけですが、紛争地域はダメ、相手国の同意が必要など、様々な条件を付けられました。これは、結局「できない」ことと同義で、安保法制では邦人は救出できないんですね。海外の邦人を助けられない国は、依然として日本だけという情けない状態なのです。窮地に陥った当事者をかなり取材しましたが、涙を流す人、憤激する人と様々でした。中には「日本人に生まれてよかったのだろうか」と思った人もいたくらいでした。安全の保証がなかったから救出に行ったトルコと、安全の保証がなかったから行かなかった日本。鳥の羽根より軽い邦人の命というのが実態で、それを知ってもらい、現行法で、果たして日本国民の生命財産を守ることができるという夢想からいち早く解き放たれて、わが国の安全保障について考えてもらいたいですね。

―現在進めているのは、九州ゆかりのノンフィクションだそうですね。

門田 「汝、ふたつの故国に殉ず」というテーマで取材を進めています。明治八年に熊本県宇土市、旧宇土町で生まれた坂井徳蔵という人が台湾に渡って警察官になります。当時、日本人は台湾人と結婚できませんでしたが、結婚できるようになったのは大正に入ってからです。徳蔵は台湾人の女性との間に二人子供(姉と妹)をもうけますが、二人とも奥さんの方の姓である「湯(とう)」を名乗ります。しかし、徳蔵は大正4年に起きた「西来庵(せいらいあん)事件」で斃れてしまいます。この事件は、本島人による最後の抗日武装蜂起とも言えるものです。

遺された子どもの一人に坂井徳章、台湾名で湯徳章という人物がいます。彼も父親と同じく悲劇の人生を歩みます。1947年に国民党が台湾人を弾圧、虐殺した2・28事件が起きます。徳章という人物は物凄く優秀な男で、日本の司法試験と今の国家公務員上級試験にあたる高等文官試験行政科の両方に合格しました。台南市で弁護士をやっていた徳章は人望があったために、暴動を扇動したという疑いで国民党に逮捕されます。国民党の蒋介石の狙いは日本統治時代の知識階層を一掃することでした。徳章は、ものすごい拷問を受けて、肩やあばらの骨が折れたそうです。それにもかかわらず、徳章は一言も自白しませんでした。拷問された翌日にトラックに載せられて、市中を引き回されるのですが、平然としているのです。台南市の現在の「湯徳章紀念公園(旧・大正公園)」で公開処刑されるのですが、その時に跪かされそうになります。彼は柔道の高段者で一喝して跳ね除け、日本語で「台湾人、万歳!」と叫び、銃殺されます。なぜ、日本語で叫んだのかーというのがテーマです。彼が今、台南の英雄になっているのは、彼が命を懸けて沈黙を守ったために台南での処刑者が他の地域に比べて極端に少なく済んだからなのです。昨年、台南市は徳章の命日である3月13日を「正義と勇気の日」に制定しました。

―息子に熊本の気風である「肥後モッコス」の血が脈々と流れていたのでしょうね。

門田 神風連の変、台湾の「六氏先生」(日本統治時代の台湾に設立された小学校、芝山巌学堂で抗日事件により殺害された日本人教師6人のこと。この中で17歳の最年少が熊本出身の平井数馬)など熊本の血が濃い親子で、父子とも40歳で亡くなっています。

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