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KAZUYA SHIMASAの「OASIS」が妙にエモかった、件。

今日は経済も政治も関係ない話である。

今朝は仕事がゆっくりスタートだったため、ぼーっとテレビ番組「ラヴィット」を観ていた。朝からモーサテなどのニュースを観ていると、続いて放送されるワイドショー的な番組はお腹いっぱいな感じになるので、私は気楽にラヴィットを観ることが多い。

そんなラヴィットだが、明日3月29日で4年目突入のようで、今週は記念に視聴者リクエスト週間を実施していた。本日(28日)の視聴者かたのリクエストは、自分も急逝したお父さんも好きだったニューヨーク嶋佐さんの「OASIS」をもう一度聞きたいというものだった。もう一度元気をもらいたい、そんなリクエストだった。

朝から泣ける話だなあと思ったのだが、本物ならともかく、嶋佐さんが歌う「OASIS」に元気もらえるんかな?と思って観ていたのだが、、、。

嶋佐さんの歌うOASISの「Live forever」が妙に胸に染みるではないか。

リクエストの内容が内容なので、嶋佐さんも真剣に歌っているのはもちろんだが、やっぱり芸人さんなのでともすればお笑いになってしまう気がするのだが、染みる状態のまま演奏が終了した。

そして私は気づいたのである。嶋佐さんの歌がけっこう上手かったのもあるが、もともと「OASIS」の曲は胸に染みるのだ、と。

知らない人もいるかもしれないが「OASIS」はイギリスのロックバンドである。1990年代に爆発的な人気となり、その人気は日本でもかなりのものだった。私もアルバムを買っていた。OASISがレインボーホール(日本ガイシホール)に来た際には観に行った。突っ立ったままほとんど動かずに歌うリアム・ギャラガーがとてつもなくかっこよかった。

OASISは階級格差があるイギリスのなかでも下級とされている「労働者階級」の出身だった。普段の服装も所謂「ロック」的というよりも、ジャージやウインドブレーカー、ジーンズと言った労働者階級の普段着を着ることが多かった。彼らは労働者階級出身の「最後のスター」だという人もいる。

ようは「成りあがった大スター」だったのだ。そして、スターになっても彼らは自らが労働者階級出身だったことを主張し続けたのである。
ギターのノエル、ボーカルのリアムの「ギャラガー兄弟」がバンドの中心であり、普通兄弟は仲がいいものだと思うのだが、二人は猛烈に仲が悪く、本気で殴り合いのけんかをするなど、そういった素行の悪さが好きだったファンも多いと思う。労働者階級っぽい荒くれた感じがまた良かったのだ。あくまで私個人的な意見だが、賛同してくれる人も多いのではないだろうか。

そう、彼らは当時から「エモかった」のだ。OASISも解散から15年以上経っているので、懐かしさもあって余計に「エモさ」を感じたのだろう。

1990年代OASISも人気だったのだが、同じくイギリスで人気があったバンドに「blur(ブラー)」がいる。ブラーはOASISと違い「中流階級出身」のおぼっちゃまバンドであり、そのお洒落な音楽は当時の若者から人気があった。「労働者階級」と「中流階級」出身でよく二つのバンドは比較されていた。

私はOASISが好きだったのだが、なぜか「OASIS大好きです」的な態度はちょっと恥ずかしく感じられたので「ブラー」のアルバムも買っていた。当時は聞く音楽もファッションの一部だった感覚があった。ブラーの音楽は確かにお洒落だったのだ。聞いていればなんとなくイケてる人を演出できた。(気がする)今でいう意識高い人だろうか。そして、その後発表されたブラーのボーカル、デーモン・アルバーンの実質一人でのプロジェクトである「Gorillaz(ゴリラズ)」はもっとお洒落だった。デザイナーと一緒にアニメキャラクターを作り、そのキャラクターたちがバンドを組んで演奏する設定で音楽を出したのだ。「バンドなんて効率の悪いもの出さんでも、お洒落でかっこいいものは作れるさ」的なプロジェクトだったのだ。個人的には今のVチューバーの走りではないかと考えている。

「ゴリラズ」が発表された時、私は「めっちゃかっこいいやんけ」と思ったのだ。すでに就職して会社勤めをしている自分にとって「効率よくパフォーマンスを出す」という事が最高にかっこよかったのだ。ゴリラズが微妙な感じだったらそんな評価はしなかったと思うのだが、またこの「ゴリラズ」がとてつもなくイケていたのである。

というわけで、久しぶりに私は「ゴリラズ」を聞いてみた。PVを見ると今でも「洒落ている」とは思うのだが、いまいち「エモさ」は感じなかった。

そして私はこう思ったのである。

「エモさ」とは「効率(コスパ、タイパ)」や「オシャレさ」とは対極にあるものではないだろうか。効率悪く「情熱」や「時間」をかけたもの、かけられたと感じるものに「エモさ」を感じるのではないだろうか。

「OASIS」は2枚目のアルバム(モーニング・グローリー)で爆発的なヒットを飛ばした後、なかなか高い評価を得られない状況が続いていた気がする。個人的なうろ覚えではあるが、一番人気のあったアルバムは間違いなく「モーニング・グローリー」であり、今でもCMに使われるような楽曲は最初のアルバム「オアシス」と2枚目の「モーニング・グローリー」に収録されているものがほとんどだ。(ホワットエヴァーは当時アルバムに収録されていなかった)

兄弟げんかの情報が絶えず、常に「解散」が噂されながらも、楽曲を発表していく彼らはかっこよかった。たとえ音楽的に高い評価ではなくても、かっこよかったのである。その姿はさらっと転身してイケてるプロジェクトを作り出したデーモン・アルバーンとは真逆である。でも、その一見イケてないOASISの生き様が、かっこよかったんだなと今は思う。当時も思っていたが、歳を取った今は余計にそう思う。

話は変わるが、色々な逸話が多いギャラガー兄弟の中でも、私が特に好きなエピソードがある。当時地元ラジオ局のDJが話していたことなのだが、名古屋で公演があった時の話だ。ライブが終わった後、夜中にリアムが「豚骨ラーメンがどうしても食べたい」と言い出したのである。すでに大半のお店は閉まっている。ノエルはわがままなので言い出したら聞かない。こまった担当者は仕方なく「スガキヤ」にリアムを連れて行ったところ「美味い!」と大絶賛だったそうなのだ。

愛知県人として地元ソウルフードである「スガキヤ」を大絶賛してくれるなんて嬉しいではないか。しかも、豚骨ラーメンではないのに、である。どうにもかわいらしいエピソードだ。

というわけで、そんな素行の悪さ(?)も含め、OASISが好きった私は、今日の「SHIMASA MAZUYA」の「Live forever」が妙に胸に染みたのである。

きっと今の若い人たちも、将来思い出すことは「コスパ、タイパ」で削ってこなかったモノではないかなと思う。その時は「無駄だなー」とか「ちょっとイケてなかったかな」と思った出来事やモノだったりするんじゃないかな。

たまには「無駄」や「暇」を楽しむ余裕があってもいいのでは?

そんなふうに思った。

今日はここまで。

引き続き、どうぞよろしく!

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