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「ぼくたち」のファーストガンダム Ⅴ

地球を汚染させてしまった人類が、宇宙に移民をして、それに十分馴染む時代となっていた。
しかし人類は、この宇宙でも地球上と同じように戦争の歴史を繰り返していた。
それは、自らの愚かさを直して、新しい環境に適応しようとする人の本能がさせていることなのだろう。
こんな人類でも、宇宙に暮らすことができると信じなければ、ひとの歴史は、あまりにもかなしい。

機動戦士Vガンダム 第1話ナレーションより

 序

 私のような1980年台中盤生まれの者にとって、『機動戦士Vガンダム』は実質的な「ファーストガンダム」に当たる。
「SDガンダム」でガンダムの世界に触れ、『逆襲のシャア』『F91』などを映画やビデオで見てきた流れを経て、本格的なシリーズとしてTVでリアルタイムで初めて触れたのが『V』である。
「伝説の白いモビルスーツ」というフレーズは、本来・初代ガンダム(RX78-2)を指すものであるが、この言葉で私が真っ先に思い浮かべるのはいつもヴィクトリーガンダムである。当時の作品紹介で刷り込まれた影響もあり、この伝説にあやかって造られたVガンダムと、この形容詞は分かち難く結びついている。
そして、歴代最年少の主人公・ウッソ=エヴィンという少年は、1年間の旅を共に追っていき触れた私たちにとっての初めてのガンダム主人公であり、特別な存在である。

 この作品は、決して人気も評価も高くはない。
他のガンダム作品のように肯定派・否定派で相争うならまだいい。逆説的だが、関心が高いことを示しているからだ。
インターネット掲示板でも散発的に好意的な意見が出ているが、まとまった記事・評論は少ない。一部の論者が高く評価するが、その意見が広がることはまれである。
肯定派が意見を述べても、その都度、原作者・富野由悠季監督が全否定の対象として両断してきたことも背景にある。(※1)
場合によっては、憂鬱な展開やショッキングなシーンを興味本位や物笑いの題材として扱われるだけで終わってしまう。
『Vガンダム? そういえばそういう作品もあったよね。』くらいの感覚で、等閑視されているというのが、この作品に対する一般の評価であろう。これが一人のファンとしての実感である。
ガンダムシリーズの正統作品として一応認知されてはいるが、どこか忘れ去られがちである。
 私は、この現状が不満であった。
この作品ほど、私の心を長く捉え続け、胸の疼きを与えるアニメーションは無い。自身の価値観形成に影響を受け、人生で最も影響を受け続けている作品と言っても過言ではない。
放送開始30周年を機会に、僅かながら、この作品の魅力を伝えたい。
「ぼくたち」のファーストガンダムを改めて見返し、評価する人を一人でも増やしたい。
そんな一心で筆を執る次第である。
そして、これは私の力量で出来るのか心許ないが、この作品を通して「戦争は悲惨だ」ということを表現できればと考えている。
 なお、本記事の題は『月刊 Hoby Japan』 2019年2月号(No.596)(株式会社ホビージャパン 2018.12)の特集記事「平成の締めくくりに、僕たちの″平成ファーストガンダム”を。」から着想を得た。

*1
画像の出典元は一覧にして末尾に掲載

物語の概要と時代背景

 『機動戦士Vガンダム』の世界観・ストーリーについてごく大まかに紹介しよう。
時は、宇宙世紀0153年、『ガンダムF91』の時代(0123年)から30年経過し、アムロ=レイとシャア=アズナブルの決着がついた『逆襲のシャア』の時代(0093年)からは60年もの月日が経っている。過去作とのつながりはわずかで、完全な新作品の印象を醸し出している。
宇宙戦国時代ともいわれるこの時代に台頭してきたのが、スペースコロニー群・サイド2で建国された「ザンスカール帝国」である。女王マリアを君主に戴き、独特の宗教的権威とギロチンを用いた恐怖政治で版図を広げ、地球本土にも侵攻を続けていた。
ザンスカール帝国の侵攻に対して地球連邦軍は及び腰であり、民間軍事組織「リガ・ミリティア」が散発的な抵抗運動を続けている状況である。
地球の不法居住地区ポイント・カサレリア(中東欧)に住む少年ウッソ=エヴィンはザンスカール帝国地上侵攻部隊・ベスパのモビルスーツと出会ってしまったことから、戦いの運命に巻き込まれていく。
リガ・ミリティアが開発した白いモビルスーツ・Vガンダムに乗り、ウッソは戦場を駆け抜けていく。
女王マリアの弟にしてぺスパの有力パイロット・クロノクル=アシャー、ウッソの幼なじみシャクティ=カリン、ウッソが想いを寄せる女性・カテジナ=ルース、他の戦災孤児たちとリガ・ミリティアの面々、これらの出会いを通してウッソは厳しい戦争を生き抜き、多くの人々の命とやさしさに触れていく。

 併せて「機動戦士ガンダム」の世界観・歴史についても初歩的な解説を行おう。
人類が宇宙空間に巨大な人工島「スペースコロニー」を建造し、そこに生活する世界である。人類が宇宙に進出した日を以て「宇宙世紀:Unieversal Centully(U.C.)」という新しい時代が始まった。
 あらゆる電磁波を反射・吸収する素粒子「ミノフスキー粒子」、その特性を利用してつくられるビーム兵器、人型巨大兵器「モビルスーツ」、宇宙に住む人々から現れる人類の革新「ニュータイプ」など独自のSF的設定・概念をもとに繰り広げられるのがシリーズの特徴である。
 映像作品として巨大ロボットの戦闘を描くために、「戦争」を舞台に据え、上記の設定を盛り込むことでストーリーにリアリティをもたらした。コロニーに住む人々と地球に残った人々との軋轢、地球をどう守っていくのかといった問題が伏在し、戦場では人間の生と死がからむドラマが繰り広げられていく。
宇宙世紀0079年に勃発した、サイド3・ジオン公国と地球連邦の「一年戦争」を始めとし、年代ごとに戦争が散発するのがガンダムの世界である。
このリアルな描写がそれ以前のロボットアニメと一線を画し、日本のアニメーションの中でも一つの転換点となった。その人気からシリーズ化され、今ではひとつのブランドとして定着している。

 さて、2023年の今から30年前、『機動戦士Vガンダム』が放送された1993年はどのような年であったかを振り返り、作品が置かれた時代状況・背景を理解してみたい。
 アメリカではビル=クリントンが大統領に就任し、イスラエルがパレスチナ解放機構・PLOとの間にオスロ合意を締結し、東西冷戦の終結も相まって平和な時代が到来するかに見えていた。
しかし、91年に湾岸戦争が勃発し、ソ連の崩壊に伴いユーゴスラヴィア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナでの紛争が相次ぎ、新たな戦争・紛争が発生していた。『Vガンダム』の物語の冒頭には東欧のこの民族紛争に影響を受けていると思しき描写がある。
 一方日本では、バブル経済崩壊からまだ間もなく、平成の世が始まり少し経過したころに当たる。非自民系の細川連立内閣が立ち上がり、円高が最高値を出し、サッカーJリーグが開幕された。
明るいニュースもあり、新しい時代が始まる予感もあったのかもしれない。(当時こどもの私には社会情勢は縁遠いものであったため、教科書的な語りしかできないことをご容赦願いたい。)

 翻って日本の子ども(=当時の私たち)の立場で見てみると、TVアニメでは、『ドラゴンボールZ』が人造人間セル編、『幽遊白書』が暗黒武術会編が放映されており、『SLAM DUNK』の放送も始まった。週刊少年ジャンプの発行部数が歴代最高をたたき出すのが、この翌年94年である。セーラームーンの放送が始まったのもこのころであり、NHK教育テレビ(現・Eテレ)では『忍たま乱太郎』、『天才てれびくん』の放送が開始された。覚えている人しか覚えていないと思うが『ウゴウゴ・ルーガ』も放送されていた。
 ガンダム関連に目を向ければ、『機動戦士SDガンダムまつり』が年初に劇場公開され、プラモデル・カードダスでは「機甲神伝説」「伝説の大将軍」「グレートパンクラチオン」が進行している最中であった。
『ストリートファイターⅡ』から始まった格闘ゲームブームが起こっていたことも見逃せない。この年のスーパー戦隊『五星戦隊ダイレンジャー』及び、翌年の『機動武闘伝Gガンダム』にも影響を与えているためである。
93年公開のアニメーションの一覧については、以下のサイトを参照してほしい。
日本のアニメ総合データベース「アニメ大全」 | 検索 (animedb.jp)
 特撮においても、先ほどの『ダイレンジャー』のほか、メタルヒーローシリーズの『特捜ロボジャンパーソン』が放送されていた。また、仮面ライダー生誕20周年記念作品として劇場公開された『仮面ライダーZO』や、近年アニメーション作品としてリバイバルされた『電光超人グリッドマン』などの野心的な作品も放映されていた。
 『機動戦士Vガンダム』は、このようなこども向けアニメ・漫画文化の隆盛の中で放送されていた。

オープニングアニメーション

 そして、『機動戦士Vガンダム』はこのようにして始まった。
 大きな「V」の字が光りながら下り、そこに「機動戦士ガンダム」の文字が重なり「機動戦士Vガンダム」のタイトルとともに、主題歌「STAND UP TO THE VICTORY」のイントロが流れる。

*2

 コアファイターの中で機体を操縦するウッソの姿に、ドッキングして現れるガンダム。
悪意を宿らせるかのごとく赤いキツネ目を光らせ迫る敵機・ゾロアット。
シャクティが振り向き、それに続けて仲間たちが一斉に並び、ハロが宙を舞う中、皆が一点に視線を見据える。
「STUND UP TO THE VICTORY」のテンポに合わせて、ライフルを構え宇宙空間を飛んでいくガンダムのアップ。
クモ型モビルスーツ・サンド―ジュを一刀両断し、ライフルで敵艦を撃沈するガンダムのヒロイックな戦闘シーンが続く。

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ヘルメットをかぶり、見開いた少年の瞳には決意が満ち、ガンダムの緑色の目の中で少女が微笑む。
宇宙に走る稲光を回避したあと、地球を背にBGMに合わせてガンダムの目が明滅する。 

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 わくわくし、面白い作品が見られるという期待を感じさせるものである。
初代ガンダムのOPでホワイトベースのクルーが並び立つシーンにも類する、子供向けアニメの正統性を感じ取れる。
Vガンダムのストーリーを知らない人でも、このOPだけなら見たこと・聞いたことのある人は数多いであろう。
「かけがえのない君のやさしい笑顔抱いて」など、シンプルでストレートな歌詞も印象的である。
90年代のアニメソングの中でも名曲に数え上げられるものだ。

筆者の『Vガンダム』受容の経緯

 しかしながら、その実際の中身・「ガンダム」の硬派なストーリーは、子供向けアニメに慣れていた私の世代には難解に過ぎた。
放映当時、小学校低学年だった私は「V2ガンダムはかっこいいけど、面白くない。女の人がなんか怖い」と感じ、まともに視聴していなかった。同曜日の夕方5時半から始まる『五星戦隊ダイレンジャー』を目当てにし、早く帰宅できればついでに『Vガンダム』も見るというスタンスでしかなかった。
 『Vガンダム』のことを気にかけず数年が経ち、ウッソと近しい中学生となった時に私の中での見え方が変わった。
おりしもガンダム生誕20周年の時期にあたり、TVでは『∀ガンダム』が放映されていた。「ガンダムについてちゃんと知ろう」という思いが高じ、過去の作品もビデオで借りて見てきた。  
残念ながら、10代半ばの未成熟な感性では「富野由悠季の作品は分かりにくくて面白くない」というのが率直な感想であった。
しかし、『Vガンダム』だけは明らかにほかとは感じ方が異なっていた。改めて通して視聴すると、過去に見た断片的な記憶が深まり、心が揺さぶられる経験が幾度もあり、私の胸の裡に大きな爪痕が残った。
 戦火の中 銃に撃たれて倒れる人、振り落とされる無機質なギロチンの刃、爆発にのまれてかき消える兵士の叫び、宙を舞うヘルメット。
人が死ぬのを目の前にする怖さ、そして何よりも「自らの手で人を殺してしまう”怖さ”」、ウッソが感じていた恐怖を中学生となった自分は強く共感してしまった。
歴史の授業でアジア太平洋戦争について詳しく解説を受けたことも、この作品を受容できたことに影響しているように感じる。
 また、戦いの中で、登場人物たちが命の危機や葛藤が生じたときに、漫画のスクリーントーンのごとく独特の模様や単色で背景が塗りつぶされるシーンがこの作品ではよく見られ、自分はここからウッソ達の内面の動きを感じ入っていた。
『Vガンダム』が他のガンダム作品よりも「心理描写」が特に優れていると感じた。

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この表現手法はそれ以前のガンダム作品ではあまり取られていなかったように思う。例として挙げられるのは、『Ζガンダム』の終盤、エマ=シーンのガンダムMrk.Ⅱとレコア=ロンドのパラスアテネの一騎打ちの場面である。 

 こういった、ひとびとの怒り、憎しみ、恨み、妬み、悲しみ、嘆き、憂い、悩み、苦しみ、辛酸、叫び、失意、不安、焦り、驚き、やるせない想い、期待、そしてときとして輝くように発せられるひとびとのやさしさ、親しみ、慕い、喜び、楽しみ、嬉しさ、愛、願い、祈り、そういった感情の烈しい波、「いくつもの愛を重ねて」ともいうべき、何とも言い難い緊張感にぐいぐいと引き込まれていった。

 長々と述べてきたが、『機動戦士Vガンダム』の魅力を短くうまくまとめようとすると、ササキバラ・ゴウが『それがVガンダムだ』で論じた文章をいつも思い起こさずにいられない。
ササキバラ氏は「『名作』とはいいがたい」「どこかいびつで」といった否定的評価を挙げつつも、こう述べている。

 にもかかわらず、『Vガンダム』を見る時、私はそこに描かれている「何か」に強く惹きつけられる。他のアニメでは、めったに体験することのできないような、不思議な感慨を受けている自分に気がつく。こちらの心の中の何か言葉にならない部分に触れて、それをギリギリと巻き上げ、テンションの高まりを生み出し、今にも弾けていきそうな切迫した何かが、時々体験されてしまう。
このアニメの中には、何かそういうものがある。これは、一体何なんだろう?
『Vガンダム』の持っている、この、いわくいいがたい「力」は何なのか。それを探りたいというのが、この本を作り始めた理由だった。
・・・中略・・・
『Vガンダム』は、決して古くはならない。むしろ、そこに描きだされている「何か」は、年々リアリティを増しつつあるようにさえ思える。

ササキバラ・ゴウ『それがVガンダムだ ー機動戦士Vガンダム徹底ガイドブックー』
(銀河出版.2004) p11より

見事である。
まさにファンの総意といえる。

ササキバラ氏の論評に敬意を払いつつ、無名人の私は私なりの仕方でこの作品の理解を改めて深め、その魅力を発信していきたいと考えている。

以上、私的な思い出が重なる描写で恐縮だが、今回はこのような形としたい。

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*10
カサレリア!  (*11)
カテジナさん、おかしいよ!おかしいですよ! (*12)
これを使えば戦いをやめさせられるんですよね。
戦争は終わるんですよね。 そうですよね。ジュンコさんっ! 
(*13)
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遅かったなぁ! (*19)


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ガンダムッ!!  (*21)
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*23

※1富野由悠季監督は、Vガンダムに対して長年否定的評価を一貫して主張してきたが、2023年時点では肯定的に受け止める評価に変わりつつある。
『グレートメカニックG』 2023 SUMMER(2023.双葉社)p42-49 富野由悠季インタビュー 参照

【画像出典一覧】

1:『アニメーター逢坂浩司イラスト&ワークス』(2008.角川書店)p.008より(初出はサンライズの販促用パンフレット1994)
2:『機動戦士Vガンダム』Blu-ray BoxⅠ DISC04 バンダイビジュアル. 創通・サンライズ. 2015(1993)
※モニターに投影された映像をデジカメ撮影し、トリミング、サイズ縮小して掲載。以下も同様
3:同上
4:同上
5:同上
6:同上 本記事のトップ画像にも使用
7:同上
8:第4話「戦いは誰のために」Bパート(DISC 01)
9:第7話「ギロチンの音」Bパート
10:第11話「シュラク隊の防壁」Bパート(DISC 02)
11:第15話「スペースダスト」Bパート(DISC 03)
12:第27話「宇宙を走る閃光」Aパート(DISC 05)
13:同 Bパート
14:第36話「母よ大地にかえれ」Bパート(DISC 06)
15:第38話「北海を炎にそめて」Bパート
16:第39話「光の翼の歌」Bパート
17:第41話「父のつくった戦場」Aパート(DISC 07)
18:第48話「消える命 咲く命」Aパート(DISC 08)
19:第50話「憎しみが呼ぶ対決」Bパート
20:同上
21:第51話「天使たちの昇天」Bパート
22:同上
23:同上

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