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『うしおととら』を読んで

 ギャグ、ラブコメ、スポ根、SF、社会派・・・、色々なテーマのマンガを読んできたが、年を経ると、やはり、胸焦がす王道少年マンガが一番だと感じる。
 この1年の間、コロナ禍の外出自粛を兼ねていくつかの作品を読んできたが、その中でも1990年代の名作『うしおととら』が特に感慨深かった。
単行本累計発行部数2500万部[1]を記録し、アニメ・漫画ファンには言わずと知れた傑作である。
 恥ずかしながら、私は今回が完全に初読で、予備知識などはほとんど持ち合わせていなかった。(主人公のフルネームすら知らなかった)
完結から四半世紀近く経ながらも、未だに多くの人々に熱烈に愛されている、『うしおととら』。今更、私如きが何をか言わんやであるが、この不朽の名作について少しばかり述べたい。

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概要

 ざっくりとだが、どんな話か概要を述べよう。
 お寺の息子である中学生の蒼月潮あおつきうしお( 通称:うしお)は、ある日自宅の蔵にて、一本の槍に身体を縫い留められている妖怪に遭遇する。その妖怪は500年間もこの槍によって封印されたまま、解放を待ち望んでいたという。
妖怪を縫い留める槍は、人の魂を削りながら邪を裂き、鬼を突く、退魔の霊槍〈獣の槍〉けもののやり
〈獣の槍〉を手にした人間は、髪が伸び、「この世の者ならざる目」[3]となり、身体能力が異常に高まる。うしおはのちに「とら」と名付けるこの妖怪を解放し、襲い掛かる数々の妖怪を〈獣の槍〉を携え共に戦っていく。 
 しかし、「とら」はもともと人間を食していた凶暴な妖怪であるため、隙あらば、うしおを喰らおうと彼に憑りついている。うしおはその度に〈獣の槍〉でとらを牽制し、悪事を働かないよう見張っているという形だ。
 敵が襲い掛かり、二人の利害が一致したとき、或いは〈獣の槍〉で脅されてとらが渋々うしおの頼みを聞く形で共に戦う、そんな奇妙な緊張・協力関係を築きながら、話が続いていく。
道中、様々な妖怪と戦い、ときには心を通わせ、やがて〈獣の槍〉に導かれ、二人は宿縁の戦いに巻き込まれていく。

 1990年~96年にかけて週刊少年サンデーで連載された妖怪バトル漫画で、藤田和日郎の名を一躍世に知らしめた氏の連載デビュー作である。
藤田和日郎の名を知らずとも、『うしおととら』という作品を知っている人は相当多いのではないか。
 河童や天狗といったお馴染みの妖怪以外に、「石喰い」「ふすま」「時逆ときさか」など、おどろおどろしくて不気味ながらも、どこかユーモラスな雰囲気が漂う藤田氏の独創的な妖怪たちが活躍するのもこの作品の大きな魅力のひとつだ。なかには、読者参加企画で生まれた妖怪もおり、「本当に居そう」とつい思ってしまうのだ。
(追記:「衾」は「一反木綿」の一種として伝承があり、藤田氏の完全創作ではない模様。)

左図[4]:衾 右図[5]:時逆

読み始めの感想

 ともあれ、読み進めていくと、私は次のような不満を感じてしまっていた。

  • 初連載作品で、試行錯誤している感じで、藤田先生の、あの読む者の心を抉り・激しく揺さぶる描写がまだ見られず、迫力に欠けるな。

  • あれ? 藤田先生、髪の毛がある!(今もあるけど)

  • うしおくん、もう少し後先のことも考えて行動しようよ。

  • 妖怪退治のためとはいえ、町や建物を壊し過ぎではないか。そんなに妖怪を殺してしまってよいのかよ。

  • リアルタイムで読んでいたら、すごくハマっていたんだろうけどなぁ。

  • この作品、過大評価されているのではないだろうか?

等々、否定的な意見を持ちながら読んでいた。
・・・・・・最初は。

 しかし、どうであろうか。25巻を過ぎたあたりから、終盤に向けての怒涛の展開で、目が離せなくなっていた。
予想のつかないストーリー、宿命の敵の復活、主人公の成長と挫折、仲間の裏切り、絶望的な戦況、これまでに散りばめられた謎・伏線が次々に明らかとなる展開、過去に出会ったキャラクターたちの再登場、読む者の心に訴えかける真っ直ぐで力強い言葉、人間と妖怪の力を結集した最終決戦、そして、出会いと別れ。
 以下、キャラクターと印象的な場面に焦点を当てながら、感じたことを記していきたい。

蒼月潮

 主人公のうしお。
 容貌に関して言えば、イケメンの類ではなく、お世辞にも格好いい男子の部類には入らない。
背は低めで、短髪、ファッションセンスも良くはない。(上着の裾をズボンにin [6]である。)
クラスの中心人物というキャラでもない。
運動神経は良い癖に、なぜか美術部に所属し、好きで絵を描いているのだが、絵の才能は全くと言っていいほど無い。
そして、熱苦しい。

 しかし、そんな平凡な中学生が、他者を救うためなら、己の身が傷つくのも厭わずに〈獣の槍〉を振るい、がむしゃらに戦っていく。
戦い方もあまりスマートではなく、失敗や努力を積み重ねながらで、泥臭い印象が拭えない。
(これは、藤田作品全般にいえることだが、バトル漫画なのに明確な「必殺技」が存在しないことも、敢えて泥臭い印象を与えることに寄与しているように思う。)
そして、ときには、敵として戦った妖怪のために涙も流す。
 口が悪くてケンカっぱやくて、落ちつきもないけど、嘘がキライで、涙もろくて、まっすぐで・・・[7]
そんなひたむきな、うしおの姿に登場人物たちと同様に読者も魅かれていく。
カッコいいヤツがカッコいいまま勝つよりも、何か欠けたヤツが努力して勝つ方が応援したくなるものである。 [8]
 我々は、もはやうしおのようにはなれない。けれども、彼のような人物にエールを送ることはでき、その姿から勇気をもらうことができる。
 そう、蒼月潮は間違いなくヒーローだ。

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[11]

 幼馴染の中村麻子との関係性もまた良い。
しょっちゅうケンカしているが、互いに憎からず思っていることが時折垣間見える。
 うしおと麻子の関係は、「恋愛」というよりは、幼き頃から互いをよく見知った「相棒」のように私には感じられた。それは、「あいつなら、こんな時こういう言葉を欲しているだろう」ということが、なんとなく分かる信頼関係であろう。
 一昔前の漫画では、麻子のように気が強くて、主人公の少年とガンガンぶつかり合っていくタイプのヒロインが多かった気がする。

[12]

とら

 忘れてはいけないのは、もう一人の主人公にして、ダークヒーローの「とら」だ。
 虎に似た外見で、鋭い牙・爪を持ち、炎と雷を発することができる大妖怪である。
 〈獣の槍〉に脅されて、いつも嫌々ながらでうしおに協力する。その度に不平不満を垂れ、まるで小学生のような取っ組み合いや諍いが二人の間には絶えない。とにかく口が悪いのだが、その強さは本物で、いざという時、本当に困った時には、とら以上に頼れる相棒はいない。

[13]

 ワルイ奴が何だかんだ言いながらも、イイ事をするというキャラクターで、どうにも憎めない。
 主人公に凶悪な怪物が付き添い、反発しながらも協力し、次第に信頼関係を築いていくという少年マンガの黄金パターンの一つである。
 『NARUTO』の「九尾」や、最近では『ブラッククローバー』の悪魔「リーベ」、『呪術廻戦』の「両面宿儺」が該当するだろうか。
(もっとも、「宿儺」の場合は、本当に邪悪なキャラクターで、主人公・虎杖裕二との信頼も今のところ全く無きに等しいため、「とら」と比較することは難しいが)

 また、凶暴な外見や力強さだけが、とらの特徴のすべてではない。
目をまん丸くして、「はんばっか」(ハンバーガー)を頬張る姿など、かわいらしくてコミカルな一面もまた、とらの大きな魅力である。
中村麻子と並ぶ本作のもう一人のヒロイン、井上真由子ととらの、どこか間の抜けたやり取りに読者はほっこりする。

[14]

 うしおとは、終始いがみ合いを続け、ときには本当に仲違いしてしまったのではないかとハラハラする場面も出てくるのだが、徐々に徐々に、互いを相棒として認識していくのが分かってくる。
 そして、この二人がいれば、どんな敵にも勝てるのではないかと思わせてくれる。
とらだけでも、うしおだけでも十分強いのに、この二人が呼吸をぴったり合わせて戦うと、二体で一体の強力な妖怪となる。その姿はまさに「混ぜるな危険」[15] だ。

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〈獣の槍〉の誕生記

―――以下の記述には、ややネタバレを含みます。―――

 読者の心を激しく揺さぶる藤田氏の描写が前半部分にはまだ見られない旨を先に述べたが、物語序盤のターニングポイントとなる、〈獣の槍〉誕生に関わる話は格別である。

 血涙にむせびながら、槌を振るうギリョウさんの姿は、実に強烈である。ときには己の口から噴き出る炎によって、鉄を熱し、家族の仇である「白面の者はくめんのもの」への怨嗟の念をみなぎらせ、渾身の力を込めて槍を鍛えていく。
それはさながら、鬼の如き形相である。

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 ここで少しばかり話の流れを説明しよう。
 北海道へと向かう旅の途中、〈獣の槍〉の一時的な使い過ぎで、うしおは理性を失った「獣」と化していく。そのとき、うしおの脳裏に槍が持つ過去の記憶、槍を作った者と思しき人物の幻影が浮かぶ。それが上記のギリョウの姿である。
 獣と化すうしおの姿も合わせて考えると、〈獣の槍〉は「悪しき妖怪を滅するための武器」、「正義の武器」とばかり思っていた読者のイメージとは、全く逆ともいえるものがここでは描かれている。
 仲間たちの協力で、うしおはなんとか正気を取り戻し、旅の最終目的地に到達する。
 そして、「白面の者」と〈獣の槍〉の因縁を知るために、過去の時代に自由に行き来できる妖怪「時逆ときさか」に誘われ、槍が作られたおよそ2000年前の中国にタイムスリップする。

 そこで出会ったのが、ジエメイとギリョウ。王に献上する「神剣」づくりを命とする鍛冶一家の兄妹である。
うしおととらは、この一家のもとに滞在し、ギリョウと彼の父による神剣づくりに立ち会う。
ここでのギリョウには、うしおの脳裏にかつて浮かんだ鬼の如き面影は一切ない。ただ家族を思う優しい青年の姿がそこにあった。
 しかし、国中の名刀づくりが集まった儀式の最中、王宮にひそむ「白面の者」が姿を現してから事態は大きく動き出す。「白面」の前には、名だたる名刀も王に仕える兵も全く太刀打ちできず、ギリョウが父と精魂込めて鍛えた神剣も紙のように打ち砕かれてしまう。うしおたちもなす術なく、目の前でギリョウの両親を失ってしまう。
 妹ジエメイだけが残った絶望の淵で、ギリョウはより剛い剣をつくるための最後の手段、暗黒の邪法についてうしおに語るのだが・・・

 その後、彼が如何にして「よい剣」をつくっていったのか、うしおとともに我々読者はしかと見届けることになる。
 家族の仇である白面に対する彼の怒り、憎しみ、執念、いやそればかりではない。何よりも自分自身に対する憤り、やり場のない深い悲しみが、紙面から滲み出てくるかのようである。
ハンサムな男性であろうと、愛くるしい少年・少女であろうと、容赦なく顔を歪ませて悲泣させる藤田氏のスタイルの原型がここで確立されたように私は感じる。
 そして、ギリョウの念が籠められて遂に完成した〈獣の槍〉は、ただの武器ではないということ、うしおが槍の伝承者に選ばれたのは運命ともいえることを、時を遡る旅の最後に、その託された重みとともに読者は理解する。

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白面の者

 うしおととら二人の前に立ちはだかる最大の敵は「白面の者」。
 九つの尾を持ち、古代中国の殷王朝やインドのマガダ国 [20]を滅ぼしたという経緯を持つことから、九尾の狐・玉藻前が原型だと考えられる。 [21]
 先述したように〈獣の槍〉は元来この「白面の者」を倒すために創られたものであり、〈獣の槍〉に導かれた二人は、いずれはこの「白面」と戦わなければならない運命にある。

 2000年前の中国の世界でも、二人は白面と対峙しているのだが、力の差が歴然で、〈獣の槍〉も完成前であったため、全く太刀打ちができなかった。
 その後、大陸である程度暴れた白面は、次なる標的を求めて、平安時代のころに日本にわたってくる。そこで日本中の妖怪一同と陰陽師ら人間の連合軍との戦いで敗れ、封印されることになるのだが、この封印も一種の駆け引き材料に過ぎずで、この間も刺客を解き放ち、復活の時を虎視眈々と狙っていた。

 世界中に病魔を撒き散らす『からくりサーカス』のラスボス、地上の全てのおとぎ話の消滅を目論む『月光条例』の月の軍勢、薄気味の悪い絵を通じて数十年の月日をかけ迫りくる『双亡亭壊すべし』の侵略者たち。
藤田氏の後の作品のボスたちも大物ではあるのだが、未だに「白面の者」が「最強」にして「最凶」だと感じざるを得ない。

[22]

 これほどまでに、禍々しさに満ち満ちたボスキャラには、なかなかお目にかかれない。 
 血走った眼球、邪悪な笑みを浮かべる口元、鋭く覗く歯牙、これでもか!これでもか!と重ねられた荒々しい黒い線で縁取られた非常に鋭角的な顔。 
 そしてこの中でも、白面を最も特徴づけるのが、「眼」である。
それは、古代中国で現れたときも、配下の斗和子も、中華風の少女の霊のときでも一貫して描かれる、この世のすべての者を睨めあげ、怨みがましく見つめる、妖しく冷たく光る眼だ。
 白面の全身から発せられるこれらの漲る憎悪を読者は感じ取る。
 完全復活した白面は、他を圧倒する巨体を誇り、人間・妖怪双方の努力・知恵を嘲笑うかのように強大な力を振るい、「本当に勝てるのか」と読者が思わず躊躇してしまう力を感じさせるのである。

[23]
[24]

最終決戦

――――――以降の記述は、物語の結末部分を含みます。――――――
 
 封印から目覚めた白面は、力を蓄え続けていたために強力無比なだけではない。うしおたちの戦力を分散させるべく張り巡らされた数々の策略・罠もあり、知略にも長けた強敵との戦いは難局の連続であった。
「もう駄目だ」と思ってしまう場面も何回か訪れるが、〈獣の槍〉の復活を機に少しずつ潮目が変わってくる。

 そして、うしおたちの元にこれまでの旅を通じて出会ってきた人々、妖怪たちが力を貸しに集まってくる。なかには、「こいつも出てくるのか!」と思わず驚いてしまうようなキャラの再登場もある。
うしおととらのもとに、みんなの力を一つに合わせた最終決戦となる。
このことを象徴するのが、名シーンの次のコマだ。

[25]

 これは、第54章の最後のページのほんの1コマにすぎない。
今読めば、うしおはボロボロだし、とらの姿がしっくりこない感じもする。
 しかし、天高く掲げたうしおの人差し指が、バラバラだったみんなの心・力が、今ここに、一つに集結していることを、白面がもたらす絶望の闇夜に対して、自分たちは希望の光である太陽を象徴していることを熱く表現している。
 ここまで来れば、読者の心にも希望の灯が点いてくる。
 太陽を背にうしおが天を指さし、その傍らでとらが立つこのシーンは、その後も原画展や画集の表紙に、TVアニメ版のオープニングに、ファンアートでもよく見かける、まさしく『うしおととら』を象徴するシーンである。 [26]

 そしてそして、この作品の一番の名シーンと言って過言ではないのが、最終回、とらとの別れのひとコマだ。

 白面との全ての戦いにケリをつけ、満身創痍となるとら。
 白面から〈獣の槍〉の気配を隠すためとはいえ、己の身に槍を突き刺したことが致命的だった。
能力全開の〈獣の槍〉に貫かれ、さしものとらも、自分の命が残り僅かであることを自覚する。
 最後というのに、うしおにはいつもと同じ憎まれ口をたたく。
とらとの別れを惜しみ、涙でぐしょぐしょになった顔で、うしおは言う。

「バカヤロウ、とらァ、まだ死ぬんじゃねえ。まだオレを喰ってねえだろうがよォ。」
「おまえは・・・オレを喰うんだろォ!」 [27]

 光に包まれ消えゆく中で、うしおからの最後の呼びかけに、とらはこう応える。

[28]

「ハラァ・・・いっぱいだ。」 [29]
そう言い残して、光となって空の彼方へ、とらは消えて行った。

 とらのセリフと満ち足りた笑みは、ファンの心に深く刻み込まれる。
それは、憎しみに彩られていた遠い昔の彼の姿からは、考えられなかったものである。
 始終ぶつかり合い、うしおを疎ましく感じてさえいたはずだが、これまでの数多くの出来事・厄介事を経てきたうしおとの長い旅が、彼の糧となっていた。
 そこには一切の後悔が無く、いつもと同じ皮肉を交えながらも、口には出さない、うしおへの確かな感謝の念が現れている。

 このコマに、『うしおととら』長い旅路のすべてが凝縮されている。
とらとの別れに、うしおと同じ深い喪失感を読者は味わい、寂しく・悲しい思いに囚われてしまう。
 だが、しかし、《二人の絆はやはり本物だった》。
 自然と目頭が熱くなる。

物語の終結について

 ストーリーの完成度や練度、感動的な展開という点では、もう一つの代表作『からくりサーカス』の方が上であろう。
 しかし、全編読み通した後の幸福感、満足感という点では、本作が上回ると私は感じる。
 何が私にそう感じさせるのかというと、それはこの物語のあのラストである。

 〈獣の槍〉創成の話や、とらが人間だったころの話、また次作以降でいえば『からくりサーカス』での白金・白銀兄弟とフランシーヌの話や、『月光条例』のチルチルとお菊、マッチ売りの少女の話、『双亡亭壊すべし』の坂巻泥努と姉の話など、藤田作品では、読む者の心を抉るような悲話が特色だが、それだけでは決して終わらない。
 数多の苦境を乗り越えて、ハッピーエンドに辿り着くところにこそ、氏の作品の真骨頂がある。 [30]
辛く苦しい道を経て、登場人物たちが幸せになったことを実感し、読者はカタルシスを得る。

 そのことを感じさせるものの一つが、以下のページである。 

[31]

 とらとの長い旅を感慨深く思い出し、それでも、先を見据えてうしおは歩み出す。
涙をこらえた後振り返り、輝きをともした瞳と決意を感じさせるうしおの横顔、集中線で強調された足が、未来に向かって力強く歩み出す少年の姿を映し出している。
その先では、幼馴染が笑顔で迎えてくれ、彼の歩む先が明るい世界であることを予感させてくれる。

 そして、うしおの歩みに託して、戦いの場を見守ってきた鏡の翁・雲外鏡がこの長い物語の終結を宣べる。
 そこで、雲外鏡はふと、まるで作者のごとく、読者の想いに耳を傾け話し出す。
われわれが胸に秘めた、微かだけれども、でも切実な想いに対して、にこやかに応える形で「人と妖怪の狭間」[32] を語る。

 その意味を感じながら、雲外鏡が仮定するものを予期しつつ、最後のページをめくると・・・


そこには、全く文句のつけようのない完結が広がっていた。
それはさながら、夏の青空のような。



脚注

  1. キ/ズ/ナを繋げるスタイリッシュ妖怪RPG『東京コンセプション』『うしおととら』とのコラボが決定!|ユナイテッド株式会社のプレスリリース (prtimes.jp)(2019年2月25日)(2021/12/12閲覧)

  2. 藤田和日郎:『うしおととら』第1巻(小学館,1990)表紙
    ※本感想文の見出し画像も同箇所より
    ※画像については、同書の電子書籍版(昭和ブライト制作)によった。以降の画像も同様。
     なお、見開きページについては製本時の都合上、[13]のように左右で画がずれてしまう箇所がある。紙の単行本版でも同様の状態であった。電子版の今後のアップデートを期待したい。

  3. NHK『浦沢直樹の漫勉』「藤田和日郎」(NHK,2015年9月11日放送)
    浦沢氏の指摘より

  4. 『うしおととら』第4巻(1991) p.108
    なお妖怪「衾」の伝承については以下参照
    一反木綿 - Wikipedia (2021/12/14閲覧)

  5. 同.第12巻(1992) p.149

  6. TVアニメ版『うしおととら』蒼月潮役の声優:畠中祐氏の指摘より。以下のサイト動画の5分ごろ参照
    「うしおととらキャスト生特番」 vol.2 畠中祐、小松未可子、南里侑香 - YouTube (2021/12/06閲覧)

  7. 『うしおととら』第27巻(1996) p.152 中村麻子のセリフより

  8. 以下のサイト参照
    藤田和日郎先生が漫画家を目指した原点とは?-藤田和日郎 | クリトーク | FUN'S PROJECT (funs-project.com) (2021/12/12閲覧)

  9. 『うしおととら』第22巻(1995) p.166

  10. 同.第27巻 p.151

  11. 同.p.161

  12. 同.第3巻(1991) p.38-39

  13. 同.第27巻 p.42-43

  14. 同.第24巻(1995) p.55

  15. TVアニメ『うしおととら』オープニングテーマ『混ぜるな危険』(作詞 - 大槻ケンヂ / 作曲 - 本城聡章 / 編曲・歌 - 筋肉少女帯 2015年)より

  16. 『うしおととら』第28巻(1996) p.36-37

  17. 同.第11巻(1992) p.141

  18. 同.第13巻(1993) p.74-75

  19. 同.p.81

  20. 作中では「マカダ」「マダカ」などと表記に揺れが見られる。本感想文では、仏典にならい「マガダ」と訂正した。

  21. 参照 玉藻前 - Wikipedia (2021/12/12閲覧)

  22. 同.第30巻(1996) p.94

  23. 同. p.102

  24. 同.p.106

  25. 同.第33巻(1997) p.104

  26. 一例としては、『うしおととら全集 上 原画集【月と太陽】』(小学館; 新装版, 2016)

  27. 『うしおととら』第33巻 p.168-169

  28. 同. p.169

  29. 同. p.170

  30. このことについては、前注3における以下のインタビューから、藤田氏の少年漫画に対する姿勢・思いが窺える。

    子どもたちが最初に漫画というものを知る玄関が、少年漫画だと思うんですよね。それっていいじゃないですか。忘れないでいてもらう漫画を描きたいみたいな。だから難しくないものを描きたいな。面白くてやさしくて、なんかいいものを描きたいなっていうのが、ちょっと思っていることですね。」
    藤田和日郎 | 浦沢直樹の漫勉 | NHK (2021/12/12閲覧)
    なお、「忘れないでいてもらう漫画を描きたいみたいな。」の文言は上記サイトには記されていないが、放送されたものの中に確認できる。

  31. 『うしおととら』第33巻 p.182

  32. 「人と妖怪の狭間」と表現することについては、藤田和日郎氏のツイートを参考にした。ただし、具体的なツイート日時を再確認することができなかったため、以下を参照として示す。https://twitter.com/Ufujitakazuhiro/status/485310225105178624 (2021/11/23閲覧)
    また、TVアニメ版後期オープニングテーマ『週替わりの奇跡の神話』(作詞 - 大槻ケンヂ / 作曲 - 橘高文彦 / 編曲・歌 - 筋肉少女帯 2016年)も参照

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