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7-12.国書受け取り

国書受取りを伝える

回答期限当日(7月12日)。「遠征記」によると、朝9時半頃3隻の船がやってきたとあります。前回同様、香山栄左衛門、堀達之助、立石得十郎の3名がサスケハナに乗船しました。ペリーは未だ姿を現しません。前回同様の3名が応対にでました。ここで、香山は「それ相応の高官が親書を受け取る、場所は海岸で14日朝」と回答します。ただし、「その高官は国書を受け取るのみで、交渉はしない」と付け加えました。ペリー側も「挨拶、並びに国書を渡すことができればよく、その場での交渉は不要」との返答です。続けて、香山は「国書に対する返書を待つのか」と尋ねると、「待たずに、2〜3ヶ月後に受取りにくるつもりだ」の返答でした。これで、国書受け取りに対する交渉は穏便にまとまったことになります。香山はさぞかし胸を撫で下ろしたことでしょう。同日、奉行所へ指示を仰ぐために、一度下船、再度乗船とほぼ一日をかけての交渉でした。交渉終了後、ペリー側は初めて船内で日本側をもてなしました。遠征記には以下のようにあります。

日本人の知識に驚いた彼ら

「この2人の高官は、始終、変わらぬ紳士らしい落ちつきと、高い教養を示す修練を積んだ態度をくずさなかったが、全く人好きがよく、くつろいで愉快な談笑に加わった。それのみか、その知識や常識も、優雅な態度や愛嬌のある気質に劣らないものがあった。生まれがよいのみでなく、教養も低くなかった。オランダ語、中国語、日本語に熟達しており、科学の一般原理も世界地理の事実にも無知ではなかった」(「ペリー提督日本遠征記Kindle版/合衆国海軍省/大羽綾子翻訳」P132)

これは、地球儀でアメリカの位置のみならず、ワシントンとニューヨークの位置を指し示し、他の主要国も同様に指したこと、または、艦内の見学時に見せられた大砲の名称を正しくいい、蒸気機関をみてもその原理について知っていたという彼らの知識からの認識でしょう。これらを目の当たりにし、「日本人全体としては実用科学に遅れていながら、最上の教育を受けた人達は、文化の進んだ文明国の科学の進歩についてかなりの知識を持っていることは疑いない(出所:「ペリー提督日本遠征記Kindle版/合衆国海軍省/大羽綾子翻訳」P133)」と記しています。「遠征記」では「最上の教育」とありますが、当時の日本は「蘭学」好きなら、町人であっても同じ程度の知識を持っていたと思います。それを知ったら、もっと驚いたにちがいありません。

紀行作家ベイヤード・テイラー

ペリーのこの第1回目の遠征に、香港から同行した紀行作家ベイヤード・テイラーは、帰国後(1955)に「インド、支那、日本―旅の記録」を出版した。これは、ここまで何度も引用したアメリカ海軍省の公式報告書「日本遠征記」より早い。

それは、支那と日本を比較し、支那人と日本人との間には驚くほどの相違があるとした上での日本礼賛の内容だった。テイラーは、それをもとに全米各地を講演(1858年から1867年の9年間で6百回)して回った(出所:「日米衝突の根源/渡辺惣樹」P26〜45)。アメリカの知識人に伝わった彼の「日本礼賛」の内容は、のちに日本が送った遣米使節団(1860年)に対するアメリカでの大歓迎ぶりにも影響していると考えられる。

久里浜上陸

7月14日。ペリー側は総勢300名ほどで受け取り場所とした久里浜に上陸しました。そこには急造した18畳式の広間を持つ建物が用意されていました。2人の浦賀奉行(今度は本物)がペリー一行を丁重にもてなし、そこで正式に国書を受け取りました。事前の取り決めどおり、交渉はなく挨拶と受け取りのみ。いわば儀式です。その国書には、前年のオランダからの情報にあったとおりの内容が書かれていました(原文は英文と漢語だった)。まとめると以下の3点です(出所:「幕末外交と開国/加藤祐三」P65)。

・アメリカ人漂流民とその船舶の保護
・物資補給、船舶修理、一港または数港への入港許可、無人島の貯炭所設置
・貿易または物々交換に一港または数港への入港許可


翌15日には、「回答を、来春また江戸湾に戻る時まで待つ。その時は、すべての事項が友好的かつ円満に妥結することを確信している」(「幕末外交と開国/加藤祐三」P87)という内容の文書(漢文)が届けられました。

艦隊は、その2日後17日に日本を離れて行きます。僅か10日にも満たない滞在で当初の目的を果たすことができたわけです。すぐに日本を離れたのには、ペリー側の事情もありました。1ヶ月以上の停泊に必要な食料などがなかったこと、後続船が到着しなかったので日本への贈答品がなかったことが原因でした(出所:「幕末外交と開国/加藤祐三」P87)。

国書の受領という阿部の決断によって、危機は一旦去りましたが、再度の来航は翌春とあります。残された時間は長くありません。

続く

タイトル画像出所:日本食文化の醤油を知るー黒船来航と日米饗応の宴より(ttps://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/reference-18.html)


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