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NASAに行って今に至るまで【前編:(前書きと)生物学との出会い】

しばらく前、アメリカのNASA JPL(ジェット推進研究所)に務める大丸拓郎さんが、彼がNASAで就職するに至った経緯をとても熱い文章にまとめられた。

この記事に反応したところ、大丸さんから直接、自分がNASAへ研究のインターンへ行った軌跡も記事にしてほしいというご要望をいただいたので、僕も書いてみました(投稿が遅れてしまい申し訳ありません)。ブログのようなものを書くのは高校生くらいの時にやっていたmixi以来で、上手く書けたのかはわかりませんが、夢を持つ、また人生に迷う高校生や大学生の参考に少しでもなればと思っています。僕がNASAに行ったのは学生の時に半年間だけですし、大丸さんの正規雇用の話とはレベルが違うのですが、NASAへ留学したいと思う方も多いと思うので、文章として残す価値は一応あると判断しました。

NASAの留学ステップだけを切り出して投稿してもよかったのですが、研究者という仕事柄、その行動にどのような背景があり、またそこから何を学び後の人生にどう繋がっているかまで書かないと価値が半減してしまうと思ったので、最終的に以下の4編を執筆しました。

前編:生物学との出会い
中編:NASAに行った
番外編:英語について
後編:NASAから帰って今まで

前編ではNASAでも研究した生物学に関わることになったきっかけを、中編では実際にどうやってNASAに行ったかを書いています。また、番外編としてよく質問される英語の勉強法などをまとめました。後編ではNASAでのインターンという経験を通して起きた自分の心情の変化などを書きました。興味がある方は読んでいただけると幸いです。それではよろしくお願いします。

【前編:生物学との出会い】

自分の研究における専門分野は生命の起源(宇宙生物学)。この分野は複合領域で、生物学だけでなく、化学や地学など様々な知識を要するが、自分の元々のバックグラウンドは生物学である。より細かくは進化生物学、合成生物学で、それらをベースに生命の起源という謎に取り組んでいる。NASAでは生命の起源研究の関係で行ったのだから、NASAの話をする前に、なぜその道に進んだのかは記すべきであろう。本編では特になぜ生物学に興味を惹かれたのかに焦点を当てる。NASAの話は全く出てこないので、興味がなければ読み飛ばしていただいても構わない。

高校時代:覚悟できなかった若き自分

高校生の頃から究極的な謎を解き明かしたかった。当時は数学が好きで、数学こそが最上位の学問であり、数学を究める者こそ万物の理解を究めると思っていたので、理学部数学科に進学し、数学者になろうと思っていた。そして世界で最も難しい謎を解こうと思っていた。ところが当時の担任の先生に話したところ、数学なんて食えないからやめておけと言われた。また両親もどうやら普通に企業に就職してほしそうだった。今思えば人生の責任を自分で担う覚悟ができていなかったのであろう。僕は先生や両親の言葉に流された。今では正直考えられないことではあるが、当時の自分はまだ意思が強い人間ではなかったのだ。だから今まで周りの環境に流されるままに生きてきた人も何一つ諦める必要はないし、恥ずることもないと思う。時が来れば、人は変われるのである。

就職か―父親が工学系の出身ということもあり工学部なら安心だろう、理科では化学が得意だから化学を選択できる学部にしよう、そんな上辺だけの薄い理由により、専門として化学が選択可能な工学部を目指すことにした。ただ何となく大学入学後に化学への興味が尽きる可能性を考えて、学部1年次に物理、化学、生物の授業を受けてから専門科目を決められる大阪大学の応用自然科学科に進学した。大阪大学は実家(大阪)が近く評判の良い大学で尊敬する人が通っていたから希望したというくらいで、それも今となっては信じられない決め方である。なお、高校時代の理科の選択科目は物理と化学を選んでおり、物理を専攻するかもしれないとは思っていたが、その後生物を専門にするなどとは微塵も思っていなかった。

学部1年:生命の神秘に心を奪われた

大学では体育会のバドミントン部に入りつつ勉強に入り浸った。どの講義も楽しかった。数学もとても楽しくて、少し後悔もしたような気がするけれど、何より驚いたのが未知の分野、生物学である。まず教科書だ。エッセンシャル細胞生物学。明らかに巨大だ。他の科目の教科書と比べて分厚い上に縦横も大きい。なるほど生物学は学ぶべきこと、つまりわかっていることがとても多いんだなと呑気に思っていたら、全然わかっていない。現象自体はたくさん知られており、単一の現象の説明は多くの箇所で成されるが、なぜそれぞれの現象が必要なのかなど、ほとんど説明がない。我々が生きている原理は何となく説明されているが、急にそんな複雑な分子と複雑な分子が複雑なことをするので―などと言われても納得できるはずがない。もちろん共通項はあれど、異なる生物間、例えば我々ヒトと微生物では見た目も中身も違いすぎる。なぜ我々はこんなにも複雑で―神秘的なのか、なるほどこれは神が生命を創造したと信じたくなる気持ちがわかった。我々生命はあまりにも不可解な存在なのだ。それでいて生命はものすごく身近である。生活していると嫌でも目に飛び込んでくる。その不思議な物体がなぜ、どうやって生まれ、繁栄しているのか。何時も目の前で問いかけてくる。ああ、もう僕は心を奪われた。頭から離れなくなってしまった。

そして人生を切り開いた

配属希望の締め切りが近づく。物理か化学か生物か。化学が圧倒的に人気だった。クラスメートの多くは化学を専攻するためにしのぎを削っていた。何人かの先輩に相談しても口を揃えて化学へ進め、楽だし就活もめちゃくちゃ強い(らしい)とのことだった。一方で生物は定員割れだ。自分も化学の方が上手くやれるのかな―そんなことを思いながら、締め切り当日、生命の不思議の虜になった自分は、事前希望からの変更メールを提出していた。未来が変わってしまった。いや、この手で未来を変えたのだ。この時僕は人生で初めて、自分の興味だけに忠実に、周りを断ち切り、意思を貫いたかもしれない。もう人生の責任は自分の手の内だ。中途半端にはできない。自分が誇らしく思えた。そして学部1年次が終わった。

つづく 

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