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個体値が低いポケモンへの偏愛力を持つこと。

1995年生まれの僕が初めてポケモンに触れたのは、ルビーサファイアが初めてだった。アニメも見ていなくて、攻略本もなかったので全てが初めてだった。

初めて育てたアチャモがワカシャモに進化し、にどげりの強さに感動した。1つ1つのジムで敗れては、悔しさを噛みしめながら相性のいいポケモンを捕まえて育てた。何となく好きだったキノガッサを強くなるまで育て続けた。

ゲームボーイアドバンスの通信ケーブルで、接触と戦いながら友人との対戦を楽しんだ。1人1人が個性的なポケモンを使い、個性的な秘密基地を作っていた。その1つ1つにワクワクしていた。

人生でポケモンを楽しめたのは、あの時が最初で最後だった。

1.個体値という答えを知った若者

10年後、高校生になった僕の周りで、ポケモンは1つの答えを追い求めるゲームになっていた。

個体値(生まれつき決まっているポケモンの才能)が低いポケモンは捨てられ、個体値の高いポケモンを手に入れるために、タマゴを孵化させ続けるのプレイヤーが多くいた。

対戦では一部の能力の高いポケモンをみんなが使用し、それ以外のポケモンを見ることは少なくなった。

大学受験かよっ!

高校生の僕は心の中でそうツッコミを入れる。個体値を厳選する単純作業と、英単語暗記の違いが分からなかった。センター試験のために自分のレベルを上げる勉強と、ポケモンバトルのためにポケモンを育てるレベル上げの違いが分からなかった。


2.大学受験の魔力

それでもポケモンにハマる人は多かったし、今でも多いように思う。そして大学受験かよっ!ってツッコミを入れたが、今を思えば大学受験はすごい力を持っている。

朝起きれず授業に来ないAくんも、やりたいことがなく路頭に迷うBさんも、酒とゲームのことしか考えていないCくんも、みんな受験期は少なからず毎日5時間くらいは勉強していたはずだ。

はっきり言って異常だ。魔法のようだ。

僕の高校は、横浜市にある偏差値が65くらいの所謂自称進学校ってやつだ。幸い、他の自称進学校のように勉強を強制されることはなかったが、受験期になるとみんながみんな勉強を始めた。

おそらく、みんな勉強が好きな訳でも努力が得意な訳でもなかったように思う。それでも早慶MARCH国公立という答えを求めて、尊敬するほどに勉強していた。

そういう意味で「田舎に住みたい」「心理学が好き」「普通は面白くない」といった理由で筑波大学を選んだ僕はマイノリティであったし、勉強時間も周りよりは少なかったので、ただただその熱量に感心していた記憶がある。

大学生・社会人になれば1日6時間の勉強を継続することが、どれだけすごいことか理解することができると思う。そんな世界を当たり前に実現するのが大学受験の魔力である。


3.何かに縋りたいミレニアル世代

ポケモンの個体値厳選も、大学受験も、本質は同じだ。人は答えが分かった瞬間に頑張れる生き物なのである。結論、答えを手に入れたとしても幸せは永続しないのだが。(詳しくは下記1章を)

今の日本社会は、答えがなくなりつつある。テクノロジーの進化で100年に1度とも言われる時代の転換点を迎えていたりする。僕が高校生の頃に認知していた高学歴=将来有望といったような世論は、どんどん少なくなっていったように思う。

そして、答えが見えないと、行動しなくなる。行動しないから、不安になる。不安だから、何かに縋りたくなる。「年収1000万を超えたら幸せ、そのためには○○社に入ればいい」みたいな確証が欲しくなる。

そんな時代に、個体値を厳選し、正しく戦略を練ればゲームに勝利することができるポケモンが流行るのはある意味分かりやすい。それだけ、答えが分かっている魔力は強いのだ。大学受験の魔力がそう教えてくれた。


4.個体値でなく、偏愛でポケモンを育てる

だが、時代はどんどん答えがなくなっていく。現実世界はポケモンの正解より、複雑で、多様だ。

だから今こそ原点回帰の時だと思う。個体値をいう答えや効率を求めず、自分の好きなポケモンに愛を持ち、信じて育ててきた10年前の在り方が時代にfitしているように思う。

あの時、もし答えを知ってたら、小学生の僕たちは個体値を厳選し、最強を目指していたと思う。でも、お互いが好きなポケモンを育てて、夢中に我が1番強いと争うワクワク感を味わえたのは、答えを知らなかったからに過ぎない。

(家入さんこのツイート5年前なの、、、)

答えを求めることになれてしまったミレニアル世代が、もう1度小学生の頃を思い出して、個体値を気にせず好きなポケモンを最強にしようと育てる。

そんな生き方こそが、大学受験や就職活動どいったライフイベントの魔力に惑わされずに、人生を豊かにするのかもしれない。


5.承認欲求とどう向き合うか

それでも人が答えに縋りたくなるのは、人間誰しも承認欲求を持っているからだ。

僕は年収1000万を手にしたいと思ったことは幾度となくあるが、それは豊かになりたいのでなく、"年収1000万"というステータスで自分自身が何物かであることを証明したいのだと気付いてしまった。

おそらく、ほとんどの人が同じだと思う。年収1,000万欲しい人はたくさんいるはずだが、1000万の使い道を詳細に考えられている人も、高級品を使ったら幸せになれる確証を持っている人もいないはずだ。

それでも人は年収1000万に引き寄せられ、高学歴を目指し、一流企業を目指す。それほどまでに承認欲求と、"年収1000万"のような答えは痛烈なのだ。

小さな答えを作る

そんな承認欲求との向き合い方として、僕が導いた回答が、小さな"答え"をたくさん作ることだ。答えが分からない世の中で、答えだと思えるものを信じ、仲間を集めていく。

あまり強くなさそうに見えるけど、あるポケモンが好きな人同士で集まり、そのポケモンを信じて、強くしようと共創する。ポケモンの世界なら強くならないかもしれないが、現実の世界なら強くなるかもしれない。

AKBがヒットしたのも、似たような背景があると思う。答えのないアイドル像に偏愛を傾け、ファン同士で総選挙といった形で協力し、1人の若者をヒーローへと育て上げる。

そうして、可愛いが答えだったアイドル界で指原莉乃というニュースターが生まれたのだ。

ささやかな文章、価値観、趣味、好きなもの、信念、それらが合致する人と共有し、小さく肯定しあい、みんなで強化していく。そうやって小さな答えを紡ぎながら、承認欲求から解放されたとき、世の中はもっと面白くなると思う。

100%の勝利と評価を求めずに、小さくミニマルな生き方もありだと思うし、そんな小さな熱狂がたくさん生まれた時、会社でも社会でも、意外と大きな変化が起こるんじゃないかと思う。


まとめ

ポケモンバトルの勝利といった1つの答えを求めて個体値の厳選を行う生き方じゃなくて、好きなポケモンに偏愛してそのポケモンをみんなで育てていく。

そんな生き方も面白いんじゃないのかなと思います。会社が変わるのも、各小さなチームでそんな小さな熱狂が起こったと気なのではと最近思ったり。

そんな小さな偏愛で繋がるためにnoteを書く時間は最高に楽しく、一瞬で時間が過ぎていくなあと感じた休日朝のカフェでした。最後まで読んでいただきありがとうございました!

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