見出し画像

竹馬で思い出す、自分にとって大切なこと。

先日、牧場へ遊びに行く機会があった。
のどかに広がる雄大な牧草地。
うさぎや馬、ヤギ、牛などが出迎えてくれる場所。

動物たちに癒されながら、
でもそこで堪能できるのは動物との触れ合いだけではない。

スラックラインやハンモックなど家族連れで来ても楽しめるような環境が整っていた。そこで私の目にとまったのが『竹馬』だった。

竹馬を見て、小学生の頃の気持ちが駆り立てられる。

「乗ってみたい!!!」

小学生のころ、竹馬にはそんなに乗っていなかったのだが。
なんなら自分はバランス感覚そんなにないから、竹馬とか一輪車をうまく乗りこなせた記憶はないのだが。

案の定、すんなりとは乗れなかった。
そもそも両足で立ってバランスを保つことさえ難しい。

そこで「無理だったか」とならず、負けず嫌いの魂に火がついちゃうのが自分らしい。

「3歩ぐらい歩けるようになるまでは絶対にやめない!」

誰かに課せられているわけでもないのに、勝手に自分でノルマを決めて取り組み始めた。

まずどうすればバランスをとれるのか。いろいろな乗り方を試す。なかなかうまくいかない。何度も何度も乗っては落ちての繰り返し。その中でだんだん重心の置き方がわかってくる。

ただ次の問題。

乗った後の1歩2歩がなかなか踏み出せない。

そこからは周りでうまく竹馬を乗りこなしている人の姿を観察した(傍から見れば変な人)。

「なるほど。足はああやって踏み出しているのね。」
「ん、足の向きがポイントか?」

などなど勝手に分析し、イメージし、そのイメージの通りに体を動かす。

そうやって繰り返すうちにだんだんと2歩3歩安定して踏み出せるようになった。・・・・ところで時間切れ。乗りこなせなかったのが悔しい。

だけど、この竹馬に乗っていた間隔は、どこか子供のころの何かにガムシャラになって立ち向かっていた記憶を思い起こさせてくれた。
別に今がガムシャラじゃないわけではない。毎日毎日全力を目指している。

でもどこかで「ここまでだろう」とか「これくらいだろう」と自分の力をセーブしてしまっている自分もいる気がして。それが長く「走り」続けるためには必要なことなんだと言い聞かせて。そうやってどんどん賢くなってしまっていた。

たしかに賢さは大事だ。
だけどガムシャラさは忘れたくない。できないことに真正面から向き合い、どうすればできるか考える。工夫する。それを試す。できなかったらできるまで繰り返す。できないことを悔しいと思う。竹馬がそれを教えれくれた。

「賢くなりすぎない」ことも大切なのかもしれない。


一夜たって、おかげで体は筋肉痛だ。
だけどこの筋肉痛の感覚を懐かしく感じて、どこかうれしく思う自分は変態なのかもしれない。


今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!