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その優しさが潰れないように。

「優しい人が優しさを忘れないでいられるような世界であってほしい」

好きなフレーズの1つだ。どこで見つけたかは忘れたが、昔出会ってノートにメモしたのを、ノートを見返していた思い出した。

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優しさってすごく難しいものだなと感じている。
その行為自体尊いものではあるし、その行為に対し周りも感謝を示すことが多い。

その一方でそれが相手のことを考えない”独りよがりな優しさ”のこともあれば、それとは別で誰かの優しさにつけこんで”自分にとって都合のいい人”にしてしまうことも全くのゼロではない。

”独りよがりの優しさ”に関しては、相手とコミュニケーションを密にとることで「それを相手が求めているのか」「本当にそれが適切なのか」みたいなすり合わせはできると思っている。

問題は後者。優しさが”都合のいい人”になってしまわないか、つまり優しい人が搾取されないか、という部分だ。

ちなみにそんな記事を過去に自分も書いていた。

人は誰かの役に立ちたいと思うことがある。
だから「○○のためにこれをしてあげよう」と、相手のことを考え行動できる優しい人がいる。これが返報性の法則だったら問題ない。

「あの時、○○さんに優しくしてもらったから、今度は自分が助けてあげよう」

とか、

「こういう場面ではみんなに助けてもらっているから、自分の強みである○○な場面では自分が積極的に頑張っていこう!」

のような。もちろんそういう人もたくさんいる。だけど残念ながら人の優しさにつけこんで、「これは○○さんがやってくれるから任せておけばいいや」「○○さんに任せておけば大丈夫でしょ」という感じで、優しさの委託先が一極集中することもあると思っていて。結果的にそれは周りにとって自分が”都合のいい人”になってしまっている状態だと思うんだ。

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優しい人はそれを断るのに勇気がいる。だから全部請け負っちゃう。
そうするといずれ潰れてしまいかねない。そうすると優しくしたことを後悔してしまいかねない。

でもそんなのおかしな話だ。

優しい人が優しくしたことを後悔するなんて世の中はあってはならない。それが成り立ってしまったら誰も人に対して優しくしなくなるし、疑いの目で見ちゃう。そうするとどんどん1人になっていく。

確かに人間最後は1人だ。
それに、行動の結果が舞い込んでくるのも自分自身だ。

でも1人では生きてはいけないと思っている。
助け助けられでやっていけると思う。
優しさだけは忘れちゃいけない。優しい人が報われてほしい。

ただ人間1人で変えられる範囲って限られている。
一気に1万人とかの気持ちを変えることは出来ない。
でも目の前の一人は変えることが出来る。
少なくとも自分は、自分に関わる人に対して優しく出来るし、優しくしてもらったことに対してのお礼だったりお返しだったりをすることが出来る。

「優しい人が優しさを忘れないでいられるような世界」にするために、できることからやっていきたい。


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