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当時から世間に注意喚起していた医師たち ③

久しぶりの投稿となります。

ネタがネタだけに、更新する気力がみなぎってきた!という日が訪れることはありません。よく思うのですが、精神医療で辛い体験をした人には、性犯罪被害者に似た傾向のみられるケースがあるのではないでしょうか?

・相手に対峙しようとすればするほど逆に深く傷つくことが明らか(1)
・だからと言って相手を見逃す訳にはいかないという思い(2)
・1と2を行ったり来たりする葛藤
・その葛藤は深く、告発まで長い期間を要する
他には、、
・相手は悪いことをしたという罪悪感を持っていないケースがしばしば

皆さん、どう思われますか?似ていませんか?

では、心許ない乾いた気力の千切れカスを搾り出しながら本題に戻ります。

さて、私が、この「当時から世間に注意喚起していた医師たち」シリーズを書いている理由は何なのか?それについては、いずれ書きます。私の中では、ストーリーとして筋の通る理由があるのです。

ということで、もう暫く、このつまらないシリーズを続けさせてください。実につまらないと自覚しつつ書いているのです笑

6、井原裕さん

井原さんは獨協医科大学越谷病院こころの診療科教授。精神医療問題に興味のある方ならご存知でしょうが、獨協医科大学越谷病院こころの診療科は「薬に頼らない精神科」を謳っています。私が井原さんを知ったのは、精神医療過誤事件(多剤大量処方による中毒死)で家族を亡くされた方のブログで紹介されていたことがきっかけだったと記憶しています。それはもう10年以上も前のこと。

井原さんについて感じたのは、精神医療問題を発信するいわゆる良識派(?)とされる精神科医の中でも、精神科医側の責任をより厳しめの論調で問う医師だったということ。私の目にはそう見えました。井原さんの文章からは、思慮深くなれない精神科医たちに対する諦めにも近い感情、うなだれるような無力感が伝わってきます。疾患喧伝問題(disease mongering)の世界的第一人者でもある井原さんは、製薬企業に煽てられ踊らされてきた大学病院の教授たちにも特に厳しい目を向けています。

そんな井原さん、実はこの記事の中で、アシュトンマニュアルについてもコメントされています。

「ベンゾジアゼピン問題によせて 薬剤師よ、長い物に巻かれるなかれ  井原裕」

スマホ検索からのスクショ

これは Medical Tribune 発行の薬剤師向け情報誌 Pharma Tribune に掲載された記事(2017年)。以前は、何故かネット上にこの記事が公開されていたのですが、今閲覧するには、医療従事者専用サイト Medical Tribune への登録が必要な模様です。

これまで、精神科医がアシュトンマニュアルについて言及する記事やブログやSNSなどをいくつか目にしたことがありますが、その中で私が最も好感を持てたのが、この井原さんの記事なのです。

この記事では、、

・日本のベンゾジゼピン使用の現状は常軌を逸している
・医師たちは感覚が麻痺して疑問を抱かなくなっている
・医師たちに自浄作用はない
・ベンゾジアゼピン問題(壮大な薬理学実験)はいずれ科学史家によって弾劾される日が来る
・ベンゾジアゼピンを漫然処方する医師は向上心のない怠け者にすぎない

こういった厳しい批判が断定的な論調で語られており、その文脈の中でアシュトンマニュアルが紹介されています。

アシュトンマニュアルは(医師向けではなく)一般向けであることを前置きしつつ、内容は高度であると。

その内容が高度であるかどうかは、解釈の仕方、評価の仕方によって変わりますから、私にとってそこは大した論点ではありません。

皆さんに注目していただきたいのは、ここでのアシュトンマニュアルの紹介のされ方が、医師の怠慢、不作為、自浄作用のなさが救い難いという文脈の中だということ。私が井原さんのこの記事に好感を持った最大の理由はここなのです。

逆に言うと、この文脈を本論としないアシュトンマニュアル論など、健全とは思えないし、意義もほぼ感じません。

アシュトンさんがマニュアルを通して、他の何よりも最も伝えたかったことは何か?

ジアゼパム置換離脱法推し?

いや、違うでしょう。

アシュトンさんが医療界や社会に最も伝えたかったこと。
私は2点あると思う。それはマニュアルの最後(エピローグ)の最後に書いてあること。

Finally, it is a tragedy that in the 21st century millions of people worldwide are still suffering from the adverse effects of benzodiazepines. Nearly 50 years after benzodiazepines were introduced into medical practice in the 1950s there should be no need for a monograph such as this. However, I hope that the experience from many patients described in this book will help to raise awareness amongst the medical profession and the public of the problems associated with long-term benzodiazepine use and withdrawal.

アシュトンマニュアル 第Ⅲ章 エピローグ


まず一つ目
・ベンゾジアゼピンが医療に導入されてからほぼ50年(今では約70年)経過しているにもかかわらず、いまだにその有害作用に苦しむ人が世界中に数多くいることは悲劇で、そもそも、このようなマニュアルが必要とされるようではいけない。

次に二つ目
・このマニュアルで紹介された多くの患者から得た経験が、医療従事者や一般市民に対して、ベンゾジアゼピン長期服用と離脱に関する諸問題への関心を高めることに寄与するよう願う。

アシュトンさんはもうこの世にはいない。なので、ご本人に確かめようもない。だけど、アシュトンさんは私のこの理解について、雲の上から、「その通り!」と言ってくれるはず。翻訳にまつわることにとどまらず、ベンゾ問題についてアシュトンさんと実際に長期にやり取りしたからこそ知る、アシュトンさんの人柄やこの問題への取り組む姿勢を考えると、こういう理解に至るのです。

井原さんの記事を読むと、アシュトンさんがマニュアルに託したこの大切な願いを正しく汲み取っていることが伝わります。

医師向けではないこのマニュアルには、井原さんにとっては突っ込みどころが無いとは言えないかもしれません。しかし、自分たち精神科医側こそ、ずっとずっと深刻な問題を抱えていて、その産物ともいえるアシュトンマニュアルを偉そうに上から目線で論じる資格など我々にはない、というのが井原さんの正直な気持ちではないでしょうか?

井原さんの記事からは、およそプロとは呼べない救い難い精神科医たちの惨状を目の当たりにし、うなだれるような屈辱感やら情けなさやらで謙虚にならざるを得ない、専門家としての真のプライドを感じるのです。

では逆に私にとって最も違和感を覚えたアシュトンマニュアル論は誰によるものか?

それは、申し訳ありませんが、佐々木幸哉さんの記事。

佐々木幸哉さんについて思うことはまた機会を改めて詳しく書くことにします。これまたクソめんどくさい展開ですなあ笑

さて、今回の投稿では、井原さんをある意味ベタ褒めしましたが、実は井原さんにも問いたいことがあるのです。

井原さん、そこは井原さんらしくなく、おかしいんじゃないですか?
矛盾していませんか?

という突っ込みで、ある意味、このnote 連載のオチとも言えなくもない問いとなります。それは、井原さんとは同志であろう、松本俊彦さんとのことなんですけどね。

また松本さんかーい!笑

この展開、もう気がギガトン級に重過ぎて、頭の中を整えながら書き終えることができるのか、そこそこ心許ない。

応援いただけると嬉しいです

では今回はこの辺りで。内海さんについてはまた別の回に。。






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