永禄4年(1561)1月20日は将軍足利義輝が今川氏真に松平元康(徳川家康)との和解を勧める書状を出した日。永禄5年説も。義輝は他にも武田信玄と上杉謙信など対立する大名同士の調停を積極的に行った。また自らの名の1字を与えるなど諸大名と関わり幕府権力や将軍権威の復活を目指した。
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