天文6年(1537)12月1日は毛利元就の嫡男隆元が山口の大内義隆へ人質として送られた日。19日に元服し義隆から偏諱を受けて隆元と名乗り3年を山口で過ごす。この頃の毛利は大内と尼子に挟まれどちらかに従属する必要があった。生き残るため差し出さなければならない大切なものは何なのか。

この記事が参加している募集

最近の学び

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?