慶長7年(1602)2月1日は徳川四天王の井伊直政が彦根城築城の途中に佐和山城で死去した日。遠江国井伊谷の出身で家康が遠江に進出してくると小姓として取り立てられた。武田の赤備えを支えた遺臣を配属され部隊軍装を引継ぎ直政は「井伊の赤鬼」と称されるが加えて外交手腕も高く評価された。
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