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滅私奉公は昭和ですかね?

「24時間戦えますか」というフレーズは、昭和63年(1988年)に発売になった栄養ドリンクのCMキャッチコピーだったそうだ。「企業戦士」なんて言葉は最近めっきり聞かなくなったが、当時のサラリーマンはみんな「戦う」ものだったのだ。

その6年前、昭和57年(1982年)に岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」がリリースされたときも、「この都会(まち)は戦場だから 男はみんな 傷を負った戦士…」という歌詞に違和感を抱く人は、当時ほとんどいなかったのではなかろうか。

いったい彼らは誰と戦っていたのだろう。

私が30代前半(つまり平成初期)の頃までは、年上の男性社員から「自分が新人の頃は」と言って、よくこういう話を聞かされたものだ。曰く「夕方5時ごろ上司から『明日の朝までにこれをやっておけ』という指示が来る。残業し始めてしばらくするとその上司が『おい、飲みに行くぞ』と誘うんだ。もちろん断れない。さんざん飲まされた後、会社に戻って死にそうになりながら徹夜して仕事を仕上げたもんだよ」

それって立派なイジメじゃないか・・・しかもかなり陰湿な。私はそう思って聞いていたが、話す彼らにとってそれはあくまで「武勇伝」だった。明言こそしないが「こういう試練に耐えて初めて一人前になるんだぜ」というプライド?みたいなものがありありと感じられた。

社内だけではない。対外的にも「お客様の無理難題に応え、理不尽な要求にも耐えた末、ついに大きな契約を勝ち取る」みたいなストーリーが当時の美談だった。そういう意味では、企業戦士たちは戦っていたというより「耐えていた」というほうが正しいのかもしれない。

いずれにせよ、その手の話と一緒によく使われた表現が「滅私奉公」だ。

滅私奉公とは本来、「私心を捨て去って公のために尽くすこと」(日本語大辞典)であり、どこにも「自己を犠牲にする」とは書いていない。でも昭和のモーレツサラリーマン社会では「自分の身体を壊してでも会社の命令に従う」というレベルの話に矮小化され、当時の働き方を形容するフレーズとしてなかば自嘲のニュアンスとともに使われたように思う。

(ついでに紹介すると、「太陽にほえろ」の山さんは、病床の奥さんが最期を迎えるとき、その傍にいるよりも刑事としての仕事を優先した。もちろん山さんは苦悩した。でも最後は「私」より仕事という「公」を優先させた山さんの姿に日本人はみな(かどうか知らんが少なくとも私は)涙した。<第206話「刑事の妻が死んだ日」昭和51年(1976年)6月25日放送>)

40年後の今は、ワークライフバランスにウェルビーイングにエンプロイーサティスファクションの時代だ。いまどき滅私奉公などと言ったら逮捕されかねない。でも、「自分の好き嫌いだけで物事を判断せず、自分(自社)の儲けだけを追求するのでなく、より大局的な見地から、より高次の幸福の実現に尽くす」という姿勢は、いつの世も大事なんじゃなかろうか。

それを滅私奉公と表現するのが間違い、あるいは気持ち悪いなら、なにか横文字にすればと思うが、なにがいいだろう? 

青い空に飛行機雲が何本か。近所の田んぼの上空。まだまだ暑いが空は少しずつ秋の様相。

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