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№1 これまでの順子さん ~発症~

順子さんの病気は、多系統萎縮症(MSA)といいます。
僕がこの病名を知ってから4年の月日が流れました。
順を追ってお話ししますが、当時は病院を渡り歩き、どうも小脳に関係する運動障害ではないかとの医者の見立てを得ました。そこで、はじめて知った病名が、「脊椎小脳変性症(SCD)」と「多系統萎縮症(MSA)」でした。

この記事は、順子さんに起こった事実を書いております。そして記事には、順子さんのそばで、順子さんとともに暮らす患者家族の僕が感じた主観的なおもいが多分にふくまれております。そのことをご理解のうえ、お読みください。正確な情報は、担当医や専門医に必ず相談してください。この記事だけから、ご自分やご家族の病気を、簡単に判断することは避けてください。お願いします。

25年前の順子さんと僕

順子さん、困る

発端は2019年2月頃でした。あれから5年が経とうとしています。沈みゆく西日がとび色から鮮やかなオレンジ色のグラデーションに染める雲と、漆黒の海に向かって、なだらかな坂が終わりなき終わりまで続く長い道を、ペダルを漕ぐこともなく自転車は走りはじめました。順子さんと僕をのせて。今はもうだいぶ昔のことのように思います。

当時の順子さんは、「めまい」、「ふらつき」、「立ち眩み」が時折起こることに顔をしかめ、「肩が凝る」「便秘がひどい」などと訴えることがありました。

このとき順子さんは50歳。いわゆる更年期ならではの問題かな、一時的なことかなと、のんきに高を括っていました。順子さんは元々根が明るい性格なので、「気分がすぐれない」「気が落ち込む」とか、こころの違和感を訴えるタイプではないので、なおさらでした。

この月、順子さんは長年勤めていた職場を退職し、まるっきり異なる仕事に転職しました。新しい職場での、新しく出会った人たちとの関係や、なかなか覚えられない仕事に大変苦労していました。もともと前向きな性格の順子さんですが、口を開ければ愚痴のこぼれることも多くなりました。

一番困るのは、仕事中、緊急の出来事があると、走って現場にいく必要があるそうで、「走ろうと思うのだけど、足がもつれちゃう」、「一緒に勤務している人に迷惑をかける」と、気に病むようになりました。

これまでも、「めまい」や「ふらつき」の症状については、何度か耳鼻科で診察しました。しかし、どこの耳鼻科でも、耳におかしなところはなく、三半規管や耳石などによる平衡感覚障害ではないといわれたそうです。それより、「あなたは、なぜ耳鼻科(うち)にきたの?」みたいな対応をされた。と、順子さんは憤慨していました。

なぜかわからないけれども、 「めまい」、「ふらつき」、「立ち眩み」 がたまに起こります。今思えば頼りなく無作為な僕は、なりゆきを心配することもなく、新しい仕事を応援して、ただ「がんばれ」という思いだけでした。

「走れないなら、夜、暗闇に紛れて一緒に走る練習をしようか」と、お気楽なことを言っていました。走れないことを、加齢によるものだと思い込んでいました。結局、右足股関節に関節炎を持つ僕には、夜間のランニングは無理で、一度も走りませんでした。

順子さん、車の運転に困る

半年がたちました。「走れない」、「めまいがする」とたまに愚痴をこぼしながらも、順子さんは新しい仕事に精を出していました。

2019年8月19日から21日の2泊3日で、順子さんと僕は草津温泉に出かけました。草津は、二度目です。湯畑や西の河原、温泉街の雰囲気だけでなく、二日目にはレンタカーで草津から軽井沢までのドライブをする計画もたてました。 「浅間・白根・志賀さわやか街道」 を走り、六里ヶ原休憩所でちょっと休んで、白糸の滝へ寄り道をして、 軽井沢銀座通りをぶらぷら、食事をして、草津に戻る予定です。

我が家では昔から、車の運転は順子さんの仕事でした。子どもたちが小さいころは、お出かけは順子さんが運転手で、僕はナビゲーター兼酔っ払いと決まっていました。

ですから、今回も運転は順子さんにお願いして、僕はゆっくりと浅間山を眺めようとおもっていたのです。

レンタカーを借りて、車を道に出してすぐのことです。ガグン・ガクンと発車にもたつき、うまく前に進みません。あきらかにアクセルとブレーキの踏み込みがおかしいのです。

「さわやか街道」 とは、とても、きもちのいいネーミングです。景色の素晴らしい道です。広くてきれいな道もあるのですが、一般道というか、ときには農道のようなところで、追い越しもむずかしい隘路もあります。 アクセルとブレーキ の踏み込みがおかしいのも、しばらくの運転でちょっとはましになってきました。

それでも運転に違和感があって、「スピードを出すな。」「後ろから来る車を路肩で見送れ。」と何度も声をかけました。「久しぶりの運転。あたしも怖いんだから」。順子さんの緊張感が僕にまで伝わります。それでも、しばらく運転すれば、感覚が戻るだろうと、どこか安易に考えていました。ただ、ナビはしても、酔っ払いをやる度胸は僕にはありませんでした。

白糸の滝では、坂道を滝までのぼりました。軽井沢銀座も二人で歩きました。どちらかといえば、順子さんの方が健脚で、この日は「めまい」もおこらず、関節炎の持病がある僕は旅行前に薬をきらしていたこともあり、「足が痛い」と愚痴りながら、足を引きずりながらも、それでも楽しい散策でした。

軽井沢からの帰り道では、まるでバケツの水をぶっかけられたようなものすごい集中豪雨に見舞われました。運転は危険なので、路肩の空き地に車を止めて、雨が止むのを待ちました。帰り道への不安もありましたが、なぜか心の奥の方から黒く大きな塊が加速するように浮かび上がって、表層に近いところで横へ平たく広がり、また静かに深いところに沈んでいくような感じがしました。僕と順子さんは、ただ黙って雨を見つめていました。しばらくして雨が消えるように去って、何とか草津まで、事故もなく無事にたどり着きました。 

「これからは、たまに運転しないといけない。下手になっちゃう。」としきりと反省の順子さんでした。

このとき、順子さんも僕も、順子さんはもう車の運転ができないという事実に気づきませんでした。

順子さん、歩くことに困る

草津から数か月、11月のある日のことです。夕方、順子さんと僕は夕食の買い出しに近くのスーパーへ出かけました。

スーパーまでは十数分。道はゆるやかにのぼり、ゆるやかにくだります。道幅は狭く、路面は左から右に多少の傾斜があり、右側の路肩の側溝にはふたがありません。古い街ですから側溝のU字溝は、その名の通りの姿で顔を出し、いつぞやの雨が運んだ枯葉やゴミがその存在を見せつけています。僕の後ろをゆっくりと順子さんがついてきます。道はゆるやかな下りに差しかかっていました。

僕は、立ち止まり、 順子さんを振り返りました。順子さんは僕の視線に気づき、ニッコリ笑いました。すると、順子さんは路面の傾きに沿うように左から右へと傾き、酔っぱらいのように右側へゆらゆらとU字溝に向けて足を進めます。「あぶない」の僕の声に、右に傾いた身体をなんとか踏ん張って、今にも倒れそうですが、「ちょっと失敗」、といった趣で微笑んで、前に進みます。

順子さんと僕の距離が近づきます。ところが、そのとき、順子さんの顔に驚きと不安が浮かびます。僕に突進してくるかのように、歩く速さが早くなります。まるで下り坂で不本意に手放した乳母車のように、慣性で走るように・・・・。順子さんに、乳母車を手放した母親のように、狼狽と、恐怖と、あせりと、絶望に近しい不安と、どうにもならない憤りと・・・、僕にはわからないたくさんの心の有り様が、ミルフィーユのように重なったようでした。

そして、僕に衝突。なんとか受け止めました。

順子さんは苦笑いで、「ごめんなさい。」
「何やっているの?」僕の問いかけに、苦笑いで答える順子さん。

また歩きだそうとするのですが、まっすぐ前に進みません。左から右へと道路の傾斜にそって、右側に向かって歩き出します。歩くのが早くなります。側溝に足を落としそうになるちょっと手前で、僕が順子さんの手をつかみ、動きを止めました。「ママ怖いよ。勝手にどこにいくの?」順子さんは、また苦笑いするだけでした。

あとからわかったことですが、歩く、止まるといった、あたりまえの動作ができなくなることを運動失調といいます。その中には「測定障害」といって、距離感がうまくとれない症状があるそうです。健康な人が何も考えることなくする動作のすべてが、「止まる」という動作すらが、にがてになったときに、順子さんのように、止まらない、ぶつかる、といったことがおきます。

このころ、順子さんは「坂道はにがて、上りは大丈夫だけど、下りがこわい。」と言っていました。順子さんと僕は気付いていませんでしたが、このとき病気は進行していたのです。

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