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悩め、自分。

 慶應義塾体育会ソフトテニス部の部員日記をご覧いただき、ありがとうございます。今回の部員日記は、商学部3年岡田諒悟が担当させていただきます。
 5/13,14から、6/17に行われました入れ替え戦まで、長きにわたる応援、本当にありがとうございました。インカレおよび次回の秋リーグでは必ずチームとして勝ちを重ねられるよう、もう一度自分自身を磨き直す2ヶ月にしていく所存です。
 さて、今回は、「悩み」に対する僕の考えを綴りたいと思います。
 今年で僕は22歳になります。就職活動もスタートし、ゼミ活動とともに部活動は残り2年、リーグにして残すところ3シーズンとなりました。自分の人生を80年とすると、残り約60年ほど。どんどん自分に残されている時間が少なくなっているような印象を抱きます。(もっとも、多くの人生の先輩方には「まだまだ青二才」と笑われそうなところですが)
 つまるところ、最近ものすごく「自分の人生の本質」に対する悩みに直面しているような感覚を抱いています。そこで、僕が思うこれまでの人生で紡いできた「苦悩」に対する考えを綴ってみようという考えに至りました。

最近とは書きましたが、よくよく考えてみれば中学生の時も浪人中も、自分はこうした悩みにわりあい頻繁に向き合ってきたような気もします。

⒈ 自分の悩み遍歴(テニス)

 まず、一旦僕が抱いたことのある悩みと、そのあらすじ、結果を考察するため、1つ大学入学後のテニスを考えてみようと思います。今回の例では、直近の春リーグで考えてみようと思います。

2023 春リーグ 2部(2部では初出場)
全試合1番出場
結果:3勝2敗(個人目標達成)

 今回の春リーグは、自身が初めて白子で「関東2部」という高い舞台に立つ経験でした。多くの自分より実力があった先輩方でさえも、上手く結果を出せるとは限らない舞台でした。
 その舞台で、自分はチーム目標「2部3位」を達成するため、与えられた役割を考え、全勝という大目標と、最低限3勝という目標を設定しました。昨年10月の秋リーグが終わった時点から、7か月かけてその目標を見据えて、多くの時間をボールを打って過ごし、そうでない時間も可能な限りテニスに費やし、多くの上位校と試合をしては課題を設定して、それを解決する日々を繰り返しました。
 シーズン明け(2月)から3ヶ月は、状態の上がらず厳しい時間を過ごしました。そもそも課題以前に、サーブレシーブの感覚が悪い、体が動かない、ボールが友達になってくれない、など、いろいろな症状が出ました。ペアの宇津木とも何度も口論になりました。そういう時期が、本当に直前、5月入る頃までは続きました。毎日練習に顔を出し、たくさんボールを打ち、感覚の悪さに苦しみ、という日々の繰り返しでした。夢に出てくる内容も、ほぼほぼテニスのことか部員の顔だったのではないでしょうか。武蔵小杉駅で他の部員と別れてからも、電車に揺られながらYouTubeを開けば自分の試合動画か1,2部校の試合動画だったような気がします。(客観的に見れば大学生とは思えないテニスへの熱中度合いですね。慶應だから胸を張ってこれだけ頑張れている気がします。)
 最終的に、本番前、前日に緊張し切るだけし切って、「自分は白子にいる大学生で1番練習した」ことを根拠に、リーグに臨むことにしました。
 結果として、個人的には3勝2敗。さらには、入替戦も相手校エースに逆マッチを取られながらの勝利。目標としてチームがかかげた2部3位とはかけ離れた結果になってしまったので、全く喜べる結果ではありませんが、それでもこれだけは胸を張って言えます。

自分が大きく成長した3ヶ月だった。

 そして、それが悩みに悩み抜いた結果だからであることにも、胸を張れます。
 凡庸な表現で、自分の中の唯一無二の経験を陳腐にしてしまう自身の語彙力に辟易しますが、これが「悩みが価値である」と僕が主張する、1つの経験的根拠です。
 エピソードとして1つにまとめると、これが簡単に書ける大きな経験ですが、他にもテニスにも勉強にも人生にもたくさん悩んだ経験を振り返るに、悩めば悩むほど自分が強くなった、と言えます。すなわち、必要は発明の母であるのと同様に、悩みは成長の母である、と言えます。
 悩みは辛く苦しいです。早く辞めてしまいたいと思うこともしばしばあります。しかし、トンネルを抜けた先の景色は、より自分が望んでいた自分が待っている、と考えれば、悩みが生まれるのが楽しみにさえ思えてきます。

書いたあとから気がついたのですが、これは以前の部員日記にも出てくる僕の好きな言葉 “Discomfort is the price of admission to a meaningful life.” というフレーズにとても通じているものがあります。結局人の世界観にはなにか傾向的に似通ったものが存在するのでしょうか。

⒉ 悩めることは贅沢である

 次に僕が書きたいのは、「悩めること」は贅沢である、ということです。
 人が悩む時には時間が要ります。体力が要ります。そして、悩む対象を「思考する対象として捉える」という、頭脳的な能力が要ります。最近後輩に言ったことがあるのですが、「思考対象にとらえて、悩んで、解決する。すなわち、弱点克服や成長には、弱点を弱点として受け入れる精神的強さが必要である。」ということもいえます。かつて、中高の授業でいろいろな先生方から何度も聞いた一言があります。

文化は「余裕」のあるタイミングで生まれてきた。
戦時中や国家が安定しないタイミングでは、人々が生きることに精一杯で、文化は振興しない傾向にある。

 これは例えば江戸時代、徳川幕府によって政がなされ、海禁政策も伴って太平の世を迎え、町人文化で有名な元禄文化・化政文化など、多様な文化が栄えたことなどが挙げられます。
 そしてこの例は、「悩み」についても言えると考えられます。マズローの欲求5段階説にもあるように、生理的欲求や安全欲求が満たされない状況では、人は自己実現欲求など、悩むことにリソースを割けません。
 今の自分は、そういったリソースの面では本当に恵まれていると感じます。テニスに関しては、大学トップクラスの環境を与えられ、就活に関しては様々な優秀な友人・知人・先輩方がおり、さらには両親の扶助で「生きていくこと」に必死にならなくてもよい状況を与えられています。つまり、今のたくさん悩める環境は贅沢であると言えます。

⒊ 終わりに

 結論、今の自分には「悩めるだけ悩みたい」と僕は考えています。なりたい自分を設定できること、それに対する過程を悩み抜ける、今目の前にある当たり前に感謝して、今日も明日も、なりたい姿を諦めることなく努力したいと思います。
 冗長な文章でしたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。よろしければ、他の部員の部員日記も是非ご覧ください。

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