見出し画像

「また明日」が終わる日

 平素より、慶應義塾体育会ソフトテニス部の部員日記をご覧いただき、ありがとうございます。今回の部員日記は、商学部3年岡田諒悟が担当させていただきます。

また明日

 この言葉は、我々部員が毎日のように口にする言葉です。毎日のようにテニスコートで顔を合わせ、汗を流し、食を共にするからこそ生まれる言葉です。当たり前のように同じような日常が過ぎていくこの日々に対して、最近思うことがあります。「この日常が恋しくなるいつかが必ず来る」と。これは、これまでの経験や、先輩方、文学作品に出てくる「諸行無常」的な何かを踏まえた直感です。「祇園精舎の鐘の声…」「ゆく河の流れは絶えずして…」かつて世に名作を遺した先人たちも、その多くが、過ぎ去っていく刹那に思いを馳せ、万人の持つ時を惜しむ感性を美しく著しています。
 そこで、今回の部員日記では、同期、今後同じ思いを抱くであろう後輩たち、そしてこの文章を読んでくださる、慶應ソフトテニス部を応援してくださる方々に、僕がどのような想いでこの部活でテニスをしているのか、綴りたいと思います。

テニスのことを書くといつもこんな部員日記になってしまいますね、1周回って1年から成長していないかも…

 ここまでで書いたのは、僕の中にある「時への惜しみ」です。今我々は「学生連合」に登録して、大学の代表として(大学に1つしか存在しない「ソフトテニス部」として)活動しています。詳しい登録システムは知らないのですが、学生連合は一生に4年分しか登録できないので、今我々がしているのは、「慶應義塾の代表として活動できる、一生に4年分しか使えないカードを切って活動している」ということになります。
 また、その経験がつめる年齢も、大学スポーツの刹那性を構成する1つの要因です。僕はよく部活でつい、「もう21歳だから、、」というようなことをこぼしてしまいますが、これはあながちふざけたことでもなく、あと3年でも4年でもすればあっという間に身体のピークは過ぎてしまいます。そして、逆にあと3,4年早くても、まだ身体は完成前で、100%の能力を出すことはできません。
 そして、自分ができること、という意味でも、人生における大学スポーツの貴重な意味が浮かび上がってきます。それは、「誰かが一緒に責任を負ってくれる状況で、自分の思うように挑戦ができる」ということです。こんな言い方をすると誤解を生むかもしれませんが、大学スポーツは基本的に結果を出せなくても、失敗をしても、一緒に責任を取ってくれる大人が伴走しています。お金だって責任だって、両親やOB組織にがっちり補助されながら活動できます。(もちろん、それは全員がそう、というわけではありませんが。)その一方で、民法では成人とされ、高校生ではできなかったような活動ができます。自分が何かにモチベーションを感じて、課題を設定し、それに対する手法を立てれば、大抵それを何にも邪魔されずに「やれるところまでやってみる」ことができます。想いさえあれば、その想いを伝えれば、いろんな人が応援してくれます。すなわち、言葉を選ばなければ「いいところ取り」ができる、と言えます。

こんなことを書きましたが、これは僕の周りの環境は、というだけかもしれません。これまでの経験上、僕の部活動を支えてくださった方々は、僕が「やりたい」と思ったことに対して、本当に全面的にサポートしてくださる方々ばかりでした。そして、僕が失敗してもう走れなくなってしまいそうになった時、耳を傾けて一緒に軌道修正してくださる大人がたくさんいました。

 さて、時への惜しみを書いたところで、自分の話に移ります。入部してから2年半が経った今、ここまでの体育会生活を振り返って、「成功体験を構築する2年半だった」と思います。
 入部した瞬間、僕の1つ目に思ったことは「先輩方、すごい」そして次には「この先輩方がいなくなったあと、自分にはできないんじゃないか」という不安が来ました。周りが名前の知っている名選手ばかりの大学ソフトテニス界、もちろん先輩方にも、何人も入学前から名前を知る方がいらっしゃり、その中で2部優勝、インカレベスト4を掲げ、実際に全勝賞や個人戦でインカレ入場を成し遂げる先輩方を見て、「自分にはできる気がしない」というのが、本音のファーストインプレッションでした。頑張って結果を残せるようなイメージ、軌道を描いてみるものの、何か雲を掴むような感覚で練習していました。これはきっと、多くの慶應ソフトテニス部の部員が経験することかと思います。実際、「どちらもリーグで1勝もしていないペアはなかなか勝てない」など、経験のない選手が「1勝目」を手にすることの難しさが表れているジンクスもあります。
 そうした選手が「1勝目」を手にするのは、20年そこそこの人生でかなり大きな成功体験になる、と言えます。
 今の自分と、入部したての自分を比較して、圧倒的に異なるのは「新しい物事に取り組むときの自信」です。そこには、先人の知恵なり、課題の細分化なり、「新しい物事に取り組むときに根拠にすべき道筋のストック」があります。

 思ったことを思ったまま書いてみようとしたら、いつのまにか脱線してしまいました。「時」について書こうと思います。
 僕はこの2年半で、「この組織に最高の結果をもたらしたい」と思う組織に出会うことができました。その組織にいる仲間が、そうさせてくれました。しかし、そんな最高の組織とも、現役選手としてはもう残り1年でお別れのようです。
 本当にあっという間です。一般的に、年齢を重ねれば体感時間の経過は早くなると言われていますが、その通りです。高校生の3年間や、中学生の3年間とは比にならないほどの「一瞬」です。これを読んでいる後輩はどうかこの場で考えてほしい。「今目の前の課題に集中できているか」「自分が引退するときに、今自分がしていることを後悔しないか」所詮は3年半しか与えられていません。自分が選手として参加できるのはたった4シーズンです。もう残り3ヶ月で、1年生であれば1/4、2年生であれば半分のシーズンが終わってしまいます。せっかくこんなに膨大な時間をかけているのだから、どうか成果ある4シーズンを過ごしてほしい。

 そして、「また明日」をこの部活で1番言い合ってきた仲間へ。2年半前(1人は1年半前)、日吉のコートで志を共にしてから、嫌というほど思い出も時間も共有してきましたね。最初はあんなに大所帯だった僕らも、いろんな仲間たちが部を離れ、今は1桁人数に落ち着きました。僕にとっては、今ここまで共にしてきた同期が、テニスプレイヤーとしての岡田諒悟の1番の理解者です。あと何回「また明日」を言えるのかを考えると、寂しいなどという言葉では表せないほど、切ない気持ちを覚えます。「また明日」がもう言えなくなってしまうその日まで、最後の瞬間まで、目標に向かって頑張りたい、その一心です。本当に心の底から信頼しています。

 最後にはなりますが、ここから最高の結果を残して、今シーズンも来シーズンも、「いい1年だったな」と言えるよう、全員で戦い抜きましょう。


 まずは目の前の秋リーグ。
 必ず3部優勝して2部昇格を果たしましょう。

 さて、私の部員日記では初めて「章立て」などせずに、思うままに文を書いてみたのですが、話があちこちに散逸してしまい、さらに部員向けの内輪な内容に偏って、本当に拙い文章になってしまいました。まさに、「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」です。最後までお付き合いいただいたみなさん、本当にありがとうございました。次回の部員日記も、よろしくお願いいたします。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?