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念被観音力

 妙法蓮華経の観世音菩薩品第25は観音様の代表的な経典で、読誦も多くされています。その中の偈文によく出てくるワードに「念彼観音力」があります。例えば、「雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散」(雲雷鼓り掣電し、雹を降らし大雨を澍ぐも、彼の観音の力を念ずれば、時に応じて消散することを得ん」など。定型句で、彼の観音の力を念ずれば、偉大な効験を得ることが可能と説いています。

 「念被観音力」は、短くテンポが良いので、祈禱の際の短句としても用いられ、それだけでも沢山の御利益を得たという奇譚はよく見聞きします。観音様の偉大な救済力を得られるというよりも、自身の中にある佛性から観音様の御力が沸き上がってきて、苦難等を脱することが出来る、という感じが強いように感じます。唱えただけで自助努力なしで助けが与えられる場合もありますが、メインは自身の本当の力を信じて乗り越えるためのパワーワードとも言えます。

 観音様の信仰やそれに関連する聖天様や弁才天様の信心では、この「念被観音力」がベースにあると良いでしょう。観音様の力が常に自身に内在して共にあることを意識すると、関係する信心も深まってきます。四国巡礼で標語となっている「同行二人」は通常の意味が御大師様と共にですが、観音様と共にと読み替えても問題ありません。御大師様も佛・菩薩・明王・天と自在に変化されますので、御大師様と共にを観音様と共にとしても実質は同じです。

 この観音様が大慈大悲で私たちに下さっている「観音力」は、一人ひとりの内にある佛となる因たる佛性の動的な面ではないかとも考えます。佛に成る因子を持っていながら堕落しがちな私たちが、佛に向かって歩む原動力となるのが此の「観音力」ではないかと。強いワードですから術的な使い方もできますが、術的な用法の濫用は徳分を減らすだけですが、佛になることへ指向して「観音力」を使えば、尽きぬ御佛の大慈大悲の泉から多くの精神的な恩恵を獲得できるのではないかと考えます。

 また、「念被観音力」は聖天信者にとっては、信心にとって肝である女天様(観音様の御化身)との繋がりを強固にするワードでもあります。観音様を先ず念じないと聖天信心は始まりませんし、それを抜きにした信心は毘那夜迦に繋がっていく誤った方向性を齎します。「観音力」の念想を通して聖天様へと繋がる一本道が形成されるのですから、観音様を想い、観音様の大慈大悲に倣って、観音様と共に日々生きることを心掛けることは肝心要です。

 「彼の観音」と聞くと、自身の外に居られる観音様を想起しますが、これまでも申し上げたように「彼の」というのは自身の内面の聖性(佛性)も含みます。寺院で観音様と対するときも、家で御札などに対するときも、鏡をみているが如く自身の真の姿を映しているとよくよく観念して、一心に御佛と自己を合一する方向性を毎回確認していくことは重要ではないかと思います。日々の積み重ねが信仰心の更なる醸成、関係する信心の深化にも役立ちます。合掌

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