三輪山量剛寺妙神院

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最近の記事

冷笑忿怒

 十一面観音様は六道のうち修羅を担当するだけあって強烈な感じがします。行者は誰しも口を揃えて厳しい御尊格と云います。慈悲の廣大さは大いなる慈悲の光で普く照らす「大光普照」という別名でも理解できますが、もう一つの別名は「冷笑忿怒」。冷ややかな笑顔で大いに怒るという意味で、冷徹な怖さを前面に打ち出しています。  故に、十一面様は観音様だから優しいはず、と勘違いして自宅に祀れば、試練の連続という事態もあり得ます。小手先の優しさではなく、厳格なうちに秘めた慈悲ということで、拜み続け

    • 心強い御尊格

       當山では、天照坐皇大御神の習合型の御姿であり、尚且つ當山聖天様の神祇型の御化身である「金剛赤精善雨宝童子」を御祀り申し上げ、密教の修法をしております。  奈良長谷寺の観音様の脇侍のお一方として知られる雨寶童子様は、日本、インド、中国の佛教伝来三国において、それぞれトップの御神靈として顕現され、その総体としての御姿が現在私たちが見る形です。  信心する方は、現代では余り多くありませんが、祈願を籠めれば財・福を雨降るが如くに施与して下さる有り難い御尊格。他の神仏と併せて拜む

      • 究極の方便尊

          聖天様、荼吉尼天様、宇賀弁才天様の合体した三天合一尊は、伏見稲荷大神様の御本地として東寺で祀られてきた仏様です。いずれも現世利益の強い仏尊ですが、三天合一尊の一番大きな功徳は出離です。  欲望を突き詰めた結果としての浄化の御働きで、出離へと向かいます。現実に引きずられて振り回されがちな愚昧な私たちの為に、御仏が大慈大悲で化身された御姿であります。にも関わらず、誤解されて欲望の権化の輩が拝むものと思われがち。  しかしながら、愛染明王様と同様に、本来は私たちを眞の幸福な

        • 天部法楽

           天部尊の法楽としてお薦めなのは光明供です。光明真言の功徳は廣大無邊であり、天部の各尊もそれに与ることをとても喜ばれます。特に聖天様は光明真言を殊の外喜ばれます。聖天様の専用の真言を唱えずとも、御前にて光明真言を奉唱して禱念すれば、その禱りに應えてくださいます。  機会があれば、信心する寺院の阿闍梨に相談してみるといいでしょう。受けるかどうかは、それぞれ阿闍梨の判断次第ですが、法楽としての光明供は浴油供や華水供での禱願を後押しするにはベストの密供です。當山でも特殊な願意の場

          祈禱後の出来事は全て吉祥

           祈禱を受けた後に起こる全ては神佛の御働きの証です。それが自身にとっては一見喜ばしくないことでも、神佛の思召しと受け容れて進んで行けば、最良の結果が待っています。  一時的な不運があったからといって、祈禱を中止したり、その経過的な出来事を忌避したりすると、せっかくの御働きが無意味になり、実働部隊の御眷属方からすると無禮者という烙印を押されることもあります。  そうなると、どこに行って禱願してもらっても、なかなか上手く行かないということに。御縁があって神佛への禱願を依頼して

          祈禱後の出来事は全て吉祥

          當山の三天合一尊について

           當山は奥祈禱本尊として「無上救世最勝神王大菩薩」様を奉祀しております。此の御名は夢告による称え名で、実質は辯才天様、歓喜天様、吒枳尼天様の三天が合一した御尊格です。  中世に感得され拝まれた御尊格で、有名なところでは東寺に伏見稲荷大明神御本地として祀られていました(現在は東寺宝物館に収蔵)。同大社の三つの御峯にそれぞれを当てています。  三つの御峯にどの本地を配するかは種々の説がありますが、當山では上之社神蹟=辨才天様、中之社神蹟=歓喜天様、下之社神蹟=吒枳尼天様と位置

          當山の三天合一尊について

          お参りの成否

           お参りの成否を分けるのは、参拝者の心持ちです。拜禮の態度が不作法や無禮でないことは当然として、心持ちが浄明正直であるように指向し、心身共に敬虔で神佛に相対することが大事となります。  お参りに相応しい心身の状態は御靈域に向かうときから調えて行かないと、直前では中々難しいもの。真剣な禱りのために寺社に赴く際には、前の晩から遥拝し、無魔での円満を禱り、向かい始める一歩から心身を調整。道中も祝詞や経・真言等を唱えるか聖典を静かに読んで、御靈域に入る場合には、陛下のおわす宮殿に入

          春のお彼岸

           當山に先祖供養をご依頼頂いた皆様につきましては、来る春のお彼岸の中日にも改めて密供にてご供養を致します。これは當山随意の法要ですので、特段のご対応は不要です。取り急ぎ告知のみ。合掌 三輪山量剛寺妙神院

          苦界を浄土にする

          辛き憂き世を渡るにも、ただひたすらにこの天を杖と頼みてゆく身には、心にかかる雲もなし。(『歓喜天和讃』)  ここ数年も厳しかったですが、これからの数年も日本は厳しい社会状況にあるとする向きは、社会・経済学者だけでなく占星術などの占いの世界からも出ています。最末世の世界は苦界の最たるものなので、いかに足掻こうとも苦に直面するのは仕方ないのかも。そんな不確かな世の中で支えになるのは信仰といえるのではないでしょうか。信じる心は誰にも犯されることなく、内心というのは自由であることは

          苦界を浄土にする

          先祖供養も大事

           聖天様を信心して現世利益を得たいのであれば、行者に浴油供等を依頼し、奉安寺院に足外く通って、熱心に禱るのは当然として、加えて先祖供養も疎かにしてはいけません。  先祖があっての自分であり、自らの依って立つベースは先祖なのですから、そこへの気配りは重要。聖天信心が出来るのは自身の縁だけでなく、ご先祖様のお陰でもあります。故にそのご先祖様に感謝を奉げる意味で、正月とお盆、春秋の彼岸の年四回くらいは先祖供養を致しましょう。  先祖供養は菩提寺に依頼するのが良いですが、諸般の事

          有料
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          天部信心の肝心

           天部の諸尊を信心すること自体は、この世の荒波を乗り越える手段の一つとして、御佛が一つの手段として世に御下しになったものなので良いのですが、大乗佛教の枠内で行わずに、我利我利亡者の道を進むと自ら破滅していきます。  大乗佛教の下で御教えを奉じて、御佛の御勧めになる精進を忘れずに、そのうえで信心する故に、現世利益を得る代わりの代償も少なくて済んでいる。また、障りが仮にあっても、そのまま天部の実類(剥き出しのままの力のある靈的存在)を拝むよりも軽く済むし、対処法もあります。

          天尊に倣う

           聖天様は正々堂々としたことを御好みになります。大日如来の御化身ですから、その遍照の徳をもって衆生に臨まれ、太陽が差別なくすべてを照らすように御徳を下賜されます。それを受ける者も基本は、その御姿を見倣って明るい太陽のような気持ちで、心地光明を心掛けることが、天尊に愛でられるコツ。  逆に精神が陰々としていては、御徳を十二分に受け取ることが難しくなります。人間は誰しも常時明るくという訳にも行きませんが、天尊の御加護を得て出来るだけ明澄な心に持っていくように努めることが肝要。そ

          聖天信仰の心得12ヶ条

           聖天信者であれば見聞きした事のある「聖天信仰の心得12ヶ条」は基本中の基本です。長年の信者にとっては、当たり前のことで「もう知っているし分かっている」とする向きも。が、軽くみずに、時々再読しておくべき重要な心得です。何度目でも、接する際には聖天様がわざわざ衆生に下賜されたものとして、新鮮な気持ちで受け取るようにすると宜しいかと存じます。 1 本当の信仰とは、お聖天様にひたすらおすがりして、一切をあげておまかせすることである。 2 信仰は、うまず、たゆまず、一生涯続ける事

          聖天信仰の心得12ヶ条

          楽しんで待つこと

           聖天様に禱っていれば全ては最終的に上手く行きます。待てば海路の日和ありと言うように、準備してワクワクとして待っていれば、一番良い時期に一番良い経路で一番良い形で願望は成就します。人間の側で「いつまでに」「こんなふうに」など注文を付けお願いすること自体は悪くはないですが、最終的には聖天様の大所高所からの大慈大悲の御差配に全面委任することが大事です。  よく自分の思い通りに行かないと聖天様に文句を言う人がいます。御寶前で直接でなくても、信者仲間や奉安寺院の住職ら関係者に、実質

          楽しんで待つこと

          聖天華水供

           聖天様の祈禱法と言えば浴油供養法で、上品の供養として知られます。先日、某聖天寺院で信者同士が浴油以外は御利益がない、と話しているのを耳にしましたが、ご祈禱の法としては華水供養法も尊く立派なもので、信心が確りとしていれば中・小の願いであれば、華水供養法だけで十分な効験があります。  浴油供養法が最上で尊いのは勿論ですが、華水供養法やその他の聖天様向けの秘密供養法は何れも、御佛が大慈大悲により俗世にくだされた大事な法であり、御利益も十分であることは言うまでもありません。軽々に

          念被観音力

           妙法蓮華経の観世音菩薩品第25は観音様の代表的な経典で、読誦も多くされています。その中の偈文によく出てくるワードに「念彼観音力」があります。例えば、「雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散」(雲雷鼓り掣電し、雹を降らし大雨を澍ぐも、彼の観音の力を念ずれば、時に応じて消散することを得ん」など。定型句で、彼の観音の力を念ずれば、偉大な効験を得ることが可能と説いています。  「念被観音力」は、短くテンポが良いので、祈禱の際の短句としても用いられ、それだけでも沢山の御利益