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前垂れの信心

 聖天様の信心は、正装をした「羽織袴」の信心と呼ばれるような堅苦しいものではなく、下働きの者がまとう普段着の「前垂れ」の信心と言われます。前垂れは今でいう前掛けで、下男らが普段の仕事で着物が汚れないよう身に付けるもの。そうした前垂れ姿でも御参りできる位に身近な存在ということです。可能であれば、敬神の念から自身の持ち物のうち綺麗な服装で行くのがお薦めですが、状況によっては仕事着のままでも聖天様は参詣に来る信者を平等に扱ってくださいます。

 本来の聖天様の信心は、衆生一般の普段の生活の中に溶け込んでいるものであって、何ら特別なことはなく、巷間一部が云うような「呼ばれなければ(選ばれないければ)信心できない」なんてことはありません。大乗佛教徒であれば聖天様が受け容れられない、ということはなく、佛道を求める者すべての守護神であるのです。流布されている誤った噂を信じて、極端に忌避する向きがありますが、日常生活を無事に送り、佛道を歩もうとする者は押し並べて聖天様と御縁があると云ってもいいでしょう。

 換言すれば、聖天信心は大乗佛教徒すべてに開かれているのです。それぞれに個々の濃い御縁の神佛がおわすのですが、聖天様の信心も兼ねて行うとより世の中で一層の安心を得て、大乗の御教えの極致へと導かれます。聖天信心は欲望だけが先立っている我利我利の者の専用ではなく、真面目に佛道を志す者の究極の守護者であるのです。他の信心とも融和性があるので、これまでの自己の信心と相対立するという懸念は当たらないゆえ、積極的に御加護を求めることをお勧めする次第です。合掌

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