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満たされる破壊願望

昨日JOKERをAmazonで借りて見た。
11月に映画館で見はしたものの今の世界情勢的によりリアルに感じられるだろうなと、思い見直してみた。
あとは依然読んだnoteで”JOKERは貧者が蜂起する映画ではない「自分はもっと与えられるべき存在だ、なのに与えられない、だから与えられている奴らを恨み燃やす」という狂気の映画だ”と訴えていた投稿を思い出したからだ。

実際に見てみると、11月に見たときよりもゴッサムシティをリアルに感じられる。
それに自分もアーサーの狂気的な思想がより共感できる。

現在、新型コロナウイルスにより世界がてんやわんやになっている、厳密に言うと僕はまだそれを実感するほどの距離にいない為、なっているのだろうって言葉が正しい。

4/24の情報によると感染者200万人、死者18万人となっており、依然として減少傾向にはならず、世界全体が世界的な危機だといっている。

そんな今ではあるのだが、どこか『いいぞ、もっとやれ』と思っている自分が確かに存在している。
対岸の家事を眺めているというか、プロ野球の乱闘?隣のクラスの学級崩壊を見ている感じに近い気がする(友達にお前のクラスどうよ(笑)?って聞けるって意味で)。

崩れていく世の中を知るうちに、それに対してなんとも思っていない、逆に悦に入っている自分がいることがわかり、自分の中に「いつかどこかで誰かが何かぶっ壊してくれればいいのに」というイタい願望があることに気が付いた。

”自分はもっと与えられるべき存在だ、なのに与えられない、だから与えられている奴らを恨み燃やす”
僕にもあり、浮き彫りになってきている気もする。
この感情は邪悪だ、何が邪悪かというと矢印が自分の努力不足ではなくただ社会へと環境へと向かっているうえ、『どこかの誰か、僕を助けて』という極めて受動的な感情だからだ。

引きずり落ちる他人を見るでもなく、他人を引きずり落とすでもなく、だた自分か進むという主体的な喜びが欲しい。

まぁ、このように良くない思考だなと思ったら素直に振り返るところや、根源的な向上心が強いところを見ると少し安心する。

あぁ、何か努力できる矛先を探しているのだろうな、、、

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