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「和賀英良」獄中からの手紙(27)   草むらで光る球体

烏丸先生からベッドで聞いた不思議な話がまだまだあります。
思い出しましたので、お手紙に書いてみたいと存じます。
ちなみに、これは創作ではなく先生が直接その方に聞いた実話です。

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「お大師さまが……光る玉のなかに」

大学時代は金管楽器のチューバ専攻で、卒業後は北海道の高校で音楽教師をしている長山達彦さんの話です。

達彦さんの実家は東京の足立区西新井で、そのあたりは西新井大師という真言宗の密教寺院があり都内のちょっとしたミニ観光地です。達彦さんの家はその西新井大師のすぐ裏手にあって、昭和40年あたりの下町は空き地が多く、よく子供同士で草野球をしていたそうです。

ある時、外野を守っていた達彦さんの頭上を越えるようなヒットが打たれて、奥の草むらのほうにボールが入り見えなくなってしまいました。

皆で探そう~ということになり、ひざ上くらいまである雑草をかき分けてボールを探していると、「ここにあったよ~」という声がしたので、数人でそちらのほうに行きました。

でも、ボールを見つけた友達は、なぜか怯えていたそうです。

さてどうしたかと、その草むらのなかにあるボールをよく見たところ、それは探している野球のボールではなかったのです。

その野球のボールではない「なにか」はソフトボールくらいの大きさの「光る玉」で、草の根元の地面にあって、ほんのりと鈍く光を放っている半透明の、まん丸いランプのよう球体だったそうです。

集まったみんなは、その不思議な球体をもっと見ようとして少しずつ近づきましたがその光るボールのなかに何かがいることに気が付いて、驚いて身をすくめました。

その球体の中心には信じられないものが見えたそうです。

それは「黒い袈裟を着て編み笠をかぶった、お遍路さんのような小さなお坊さん」だったのです。

達彦さんはそれが見えた瞬間に思いました。

「あ!これは弘法大師さまだな……」

このあたりの人たちは西新井大師のことを「おだいしさま」とよんで、創始である弘法大師、つまり空海さまを尊敬しており、そのお方がこの小さい光の玉のなかに現れたのではないか。

達彦さんによれば、その黒い袈裟をまとった小さなお大師様は、ちゃんと手に杖をついていて、もう片方の手は顔の前に拝むようにあり、なにか一心不乱に念仏でも唱えているような体であったとのことです。

それを見た野球少年たちは大騒ぎとなり、無くしたボールのことはすっかり忘れて「お大師さまをみた~!」と口々に叫びながら家に帰ったそうです。

それからその不思議な光る玉の話を親に嬉々として報告しましたが、母親たちはその話を聞いてこう言ったそうです。

「へ~そうかい、それはよかったね。もうすぐご飯だよ!」

なんか下町っぽいお話しですね。
思いつくままの乱文にて失礼いたしました。

<筆者注>

西新井大師(にしあらいだいし)

總持寺(そうじじ)は、東京都足立区西新井一丁目にある真言宗豊山派の寺で、通称は西新井大師(にしあらいだいし)と呼ばれており、古くから「関東の高野山」とも言われ、毎月の二十一日には縁日が開かれている。

また川崎大師などと共に「関東三大師」のひとつであり、年始は初詣の参拝客が多く訪れる。

その沿革は、空海(弘法大師)が関東巡礼の際、この地を通った時に観音菩薩の霊託を聞き、本尊の十一面観音を彫り、天長三年(826年)に寺院を建立したこととされる。境内には弘法大師によってもたらされた加持水の井戸がある。

この新たな井戸が本堂の西側に発見されたことが、当地の地名である西新井」の名の由来とされている。

西新井大師/東京都足立区 © Ryohei Imanishi

第28話:https://note.com/ryohei_imanishi/n/nf217d1abcd5f

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