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機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイを見たんだ

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6月11日全国で「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」が公開された。

私は公開初日にDolbyCinemaで鑑賞させてもらった。

最初に言っておきますが私は特別文章が上手いというわけではない。

この記事を書くにあたって考察めいていたりすることもありますがほとんどが私の個人的意見であったり想いが出てくるので感想文と思って読んで頂けるとありがたい。

今回はなるべくネタバレはしないようにしていこうと思う。

30年以上前の原作がなぜ今映像化されたのか?

この閃光のハサウェイは30年以上前にガンダムの生みの親「富野由悠季」が描き下ろした小説である。
そもそもガンダムがスタートしたのは1979年。テレビでスタートしシリーズものとしては今年で42年もの月日が流れているとてつもないアニメなのである。

それではなぜ30年以上前の原作が今になって映像化されたのだろうか?

この発売された当時関係者からは「この小説を映像化するのは難しい」と言われた。果たして本当にそうなのであろうか?

こちらのガンダム年表を見て頂きたい。

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(ガンダムには宇宙世紀モノとそれ以外と分けられるが今回は宇宙世紀モノだけを見ていただければいい)

現代の年表とガンダム年表とごっちゃになってややこしいかもしれないが閃光のハサウェイは1988年に出版された宇宙世紀0105年の話である。
しかし1992年に宇宙世紀0123年のガンダムF91を映画化しているのだ。

基本的にガンダムは初めて見る人には内容が深すぎてあまり優しくない。2,3回見て「あー、なんとなくわかってきたなぁ」というぐらい。ただ一般的に同じアニメを何回も見る人はそんなにいないだろう。しかしガンダムは同じ作品を何度も見てしまう人をターゲットにしているニッチな作品である。(ここの考察は後日やることにしよう)

ガンダムF91は今までの宇宙世紀シリーズからすると初めて見た人にもわかるようにと作られた作品である。ただそれでも難しいという声も上がっているが。

閃光のハサウェイは1988年に発表された劇場版「逆襲のシャア」の続編であり1992年にガンダムF91を映像化しているので映像化するだけなら当時の技術でもできないことはないはずだ。

となると「映像化するのは難しい」とは「映像化するにはまだ早い」と言った方が正しかったのではないだろうか?

実際ガンダムオタクの私も20年前に小説版を読んだが全く話の内容が分からず何度か読み直してなんとなく理解した程度である。

理由として主人公のハサウェイが宇宙世紀0105年に達するまでの背景(説明と言ってもいい)が足りなさすぎるのだ。

ちなみに富野由悠季監督やサンライズ(アニメ会社)はガンダムに対してエゴイスティックな部分は強いが商業的アニメーターな要素も強い。

実際1979年に発表された最初の「機動戦士ガンダム」は当時子供には受けないと批判されたが「ガンプラを同時に展開していけば必ずヒットする」と言い同時に進めていたがその当時の玩具メーカーとの折り合いがつかず1979年には発売することができずテレビスポンサーの都合上テレビ放映だけすることになった。やはりガンダムは世間から受け入れてもらえず1979年スタートのガンダムは途中打ち切りとなってしまうのである。
しかし打ち切りにあった翌年1980年に今のバンダイから「ガンプラ」が発売されるとこれがとてつもないヒット。このヒットから打ち切りにされたガンダムに光が指すのである。

富野監督やサンライズの読みは正しく商業的にもよく考えられているのだ。

となると背景が見えない(説明が足りない)作品を当時映像化しても受け入れてもらえず映画としてヒットしないのではないかと考えたのかもしれない。

富野監督は宇宙世紀モノに関わらない

さてガンダムの生みの親「富野由悠季」だが1993年テレビ放送「機動戦士Vガンダム」以降宇宙世紀モノのガンダムにほぼ関わっていない。

富野由悠季は以前「ガンダムはコンセプトでいい」と言っており、また「ガンダムはクリエイターだけでなく見る人と一緒に成長していくもの」とも言っている。

言い換えれば「ガンダムは自分が作らなくてもガンダムを見て成長してきた人達が作り続けたらいい」と考えているのではないだろうか。

実際宇宙世紀モノのガンダムは「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」「機動戦士ガンダム0083」を今西隆司、「機動戦士ガンダム0080」を高山文彦、「機動戦士ガンダムUC」を福井晴敏、「機動戦士ガンダムNT」を吉沢俊一、そして今回の「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」は村瀬修功と実際自分と一緒にやってきた若手クリエイターに託している。

そのクリエイター達が自分達でガンダムの世界観を考え宇宙世紀の歴史や人の革新を作り上げやっと今になって閃光のハサウェイの背景(説明)を30年かけてできたのではないかと私は感じている。

そのことを説明するのに富野由悠季はこのようにコメントしている。

「この小説を書いた時のことを思い出せない。誰かがやってくれればいい。」と。

私はこの言葉を

「もちろん原作を書いたのは私だがそれ以降のガンダムを作ってきたのは今のクリエイターや見てきた人達だと」考えている。

これは個人的意見にすぎないがジブリやエヴァンゲリオンも作り手のエゴが詰まった素晴らしい作品だが宮崎駿や庵野秀明が作らなくなったら、作れなくなったらそこで終わってしまう。もちろん作ろうとするクリエイターは出てくるだろうがクリエイターと見る人が30年かけて成長してきたガンダムのようにはなれないような気がしている。

閃光のハサウェイは爆発的ヒットはしない?

さて今回は閃光のハサウェイを観終わって私が個人的考えているなぜ30年以上前の原作を映像化したのかを書かせてもらった。

これが正しいのか正しくないのかは分からない。ただ私は見る側としてガンダム歴25年一緒に成長してきた見解である。

ただ1つだけ賭けてもいいと断言できることがある。

この「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」は映画として「鬼滅の刃」はもとより「ジブリ」や「エヴァンゲリオン」「ドラえもん」「名探偵コナン」などより間違いなくヒットしない。
たぶん日本アカデミー賞アニメーション部門にもノミネートされないだろう。
今年公開予定のジブリの「アーヤと魔女」か「シン・エヴァンゲリオン」が最優秀を取るのではないだろうか。

やはり初見で見るには難しいのだ。

ただガンダムという作品はそれでいいのかもしれない。

もちろん商業的なこともあるのである程度の興行収入は抑えるであろうが単発で終わらせる作品ではなく50年、100年と作り続けられクリエイターと見る人が共に成長していき少なからずガンダムに興味を持つ人が増えてくれれば嬉しく思う。


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