見たくないという自由

10月22日月曜日、晴れ

「十代の女の子が性的に描かれる作品を見たくない」という主張は、とくに娘のいる親ならそういうものじゃないかな、とおもう。
そして彼が「見たくない」ということ自体、否定されることではないとおもう。それなのにこのツイートにぶら下がるリプライが醸しだす地獄感。

そんなことを思いながらぽちぽちとツイートを綴っていたんだけれど、我が身を振り返って色々アウトな作品を読んでいることをおもいだしたよ……。

例えば『メイド・イン・アビス』なんか申し開きできないくらい内容がアレだし、『ベルセルク』にしても蝕のとき、そして黒犬の団や断罪の塔あたりのエピソードなんて待ったなしだし、そのほかにも色々。漫画に限らずケッチャム『隣の家の少女』なんかムカムカ吐きそうになりながらも読破した。

たぶん気づいていないだけでもっとたくさん、10代女子の性を主題(副題かもしれぬ)にした作品を読んでいるとおもう。

例えばそれは、人が他人に揮う悪意と暴力の醜さを飲み込んで傷つくためだったり、あるいは純真さゆえの戸惑いと恥じらいと好奇心の暴走を見て照れたり思い出し笑いしたりするためだったり、する。
(そういえば『荒ぶる季節の少女どもよ。』だって十代の女の子の性が主題。『デミちゃんは語りたい』だってそうだしアニメ『ダーリン・イン・ザ・フランキス』もそうだった。あまりにも好きすぎて繰り返し見た『君の名は。』も、ド直球で性の物語だ。思春期を描くならば、必ずぶつかるテーマなんだろう)

* * *

ただなあ。

もともとこのシュナムルさんが色々渦中の人になってしまうのは、きっとあれだろう? 娘さんが書店で平積みされていたラノベの表紙を見て「気持ち悪い」と言ったことがきっかけでしょう?

実際、ああいった表紙が「売れる」んだろうけれど。(というより、ああいった表紙に頼らない限りもう売れないんだろう)

そういったジャンルがあること自体は否定しない。
ただ、のべつまくなし、ところ構わずこちらの逃げる場所もないくらいに広げられているのは、正直暴力的すぎると、おもう。

ただ、すでにこれは少数派の遠吠えなのかもしれないなあ……。
それは恥じ入り人目を憚りながら影でこそこそ取引するもので、白昼堂々出して歩くようなものではありません、と、こういう価値観は。

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