PTAのお仕事
9月1日土曜日、曇りのち雨
「ふれあいまつり」というイベントがある。PTA委員は無条件に強制参加でそのお手伝いをすることになっている。そして今日は、その来たる日のための研修(?)が朝から。
どういうわけか、そこまで嫌いでもないので頑張ってしまう。けれど、これってやっぱり日本の悪弊のひとつだとおもう。麗しき無償奉仕、手弁当。
「四の五の言わずにお手伝いくらいやれ! お世話になってるんだから」
「苦労するのもいい経験、むしろ貴重な経験だ、喜べ!」
「先生も、みんなも、同じように苦労しているんだ!」
そういうおもいが漂っている、気がする。
でもねえ。誰もが役員をするわけじゃ、ない。しない人もいる。
公平感は、ここにはない。
* * *
PTA委員として活動している人は、それこそ「時間」を供出しているのだから、都道府県が定める最低賃金を支払うようにしていいとおもう。
「どこからそんなお金が湧いて出るのか?」という反論もあろうけれど、どこからか、出す。だって、ないと困る仕事ですからね。逆にお金を払ってまでする必要がないのなら、すっぱりやめればいい。
とにかく集められて時間だけ過ぎていくという苦痛もお金に変わるのならば楽しみとして数えられようし、無駄に払い過ぎないよう、すべき仕事・なされるべき仕事がきちんと取捨選択されるようにもなろう。お小遣い稼ぎになると、空いた時間を振り向けようと頑張ってくれる人も出てこよう。仕事内容がきちんと定義され、労働と対価という観念が育つ契機にもなるだろう。家事が無償なんていうバカげた話もなくなるかもしれない。
なんて。
でもこんな頭だけで考えたアイデアは、ザルよりひどい底抜けの鍋みたいなもので、実践すると大失敗するんだろうなあ。(でもどこでどう失敗するのか、見てみたい気はする)
* * *
どのような仕事にも対価が必要なのだと、これが当たり前になってほしい。浅ましいとかなんとか言わずに。
そしてあらゆる仕事に「適正な」対価が支払われるようになって欲しい。(買い叩きとかバカげたことがなくなりますように!)
(あらゆる活動が貨幣という一本の軸で評価されることになり、かえって悪影響が大きいかな?)
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