人混み嫌い

9月26日水曜日、雨

薄々と感づいていたけれど、僕は人がうじゃうじゃいる状況が苦手なようだ。

昨晩の渋谷もずいぶん難儀したし、そうでなくても出社時間、会社前の大通りを歩くだけでかなりのストレスを感じている。(ここのところぐるっと迂回して目黒川沿いの遊歩道を通っているのだけれど、こちらは人が少なくて快適。浮き立つくらいに気分がいい)

10人いれば、そのうち8人は多分僕とは合わない。
僕の気の遣いかたは、おそらく多分、たいていの人のやり方とは違っているのだとおもう。なんというか、ズレているんだろうなという違和感がいつもつきまとう。
でもだからといって僕が気を遣っていないかというとそんなことはない。人がいるところではとにかく消耗する。それはとりもなおさず、他人という存在に気を遣っているからだ。

ひょっとすると(しなくても)「思いやり」とは違う形なのかもしれない。
でも不快なおもいはして欲しくないし、させないようにしている。(つもりだ)
(ただ口を開くと、僕は自分のことで目一杯になって周りが見えなくなる。いわゆるステレオタイプのオタクが自分の趣味に水を向けられた途端、立て板に水という、まさにあの形をとる)

そして、これまた僕が気を遣っているところが人とズレているからなんだろうけれど、僕が気を遣っている部分、大事にしてほしいところは、案外無視されがち。これもストレスの一因。

給湯室のポット。残りの湯量が減っても足されないことだとか。電車に乗ろうと列に並んでいたはずが後ろの人がさっさと乗り込んでいくことだとか。失礼の一言もなしに僕を押しのけて降りていくだとか(僕も降りようとしているのに!)。

僕はそれなりに上背があるので見えないはずはないとおもうのだけれど、僕の存在を知覚しない人が一定数いる、気がする。

ああ。
ひょっとすると僕は、ここに僕がいるということを人に認識してほしいのかもしれない。自意識のなせる業。

人がたくさんいる場所では特に(埋没してしまう程度には没個性だから)、その他大勢、ワン・オブ・ゼムに過ぎない自分を突きつけられて苦しいのかも。

ああ、
人に左右されない確たる自分を、
少しのことでは動じることのない要を、
自分の中に、ドシンと据えたい。

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